第44話 解決と聞いていた二人

「許せない……? ハハッ、人の会話を勝手に録音した奴が言うセリフじゃねぇぞ。わざわざそんなもんまで用意しやがって」

鼻で笑う翔先輩の視線は鋭く、激憤しているのは見て取れた。


「こうしないと先輩はずっと真白に言い寄るでしょう? ですから、弱みを握るしかないじゃないですか。……さて、この録音した会話を誰に晒しましょうか?」

「……」


『晒す』その言葉に翔先輩の威勢は一気に萎れた。それだけで、琥珀先輩の言っていた『周りの評価を一番に気にしている』との言葉が本当であることを悟る。


「周りの評価を一番に気にしている先輩だと俺は聞きましたので、これを流した後の周りの反応が楽しみですね」


丁度その時、録音していた会話が終わり蓮はポケットの中にボイスレコーダーを突っ込んだ。

誰が見ても分かる有利不利対面にーー

「……すまなかった」

「はい?」


「……この通りだ。本当に悪かった」

拳に力が入っているのだろう、プルプルと震わせながら翔先輩は頭を下げてきた。


「その謝り一つで、俺がこの会話内容を晒さないとでも思ってるんですか? 言っときますけど、そんなに甘いもんじゃないですよ。こればっかりは」

「……じゃあ、どうすれば良いんだよ……」


こんな会話を録音されて、平常心でいられる相手などいない。こんな会話を録音され、晒されたのならこの学園にいられるはずがない。


「……条件は二つあります。一つ、これ以上ありもしない噂を流さないこと。そして、今まで流した噂を撤回すること……。二つ、真白に近付かないこと。これを守って頂ければこの内容は晒しません」

「わ、分かった……」


「即答ですか。にわかに信じられませんね」

「条件を出したやつが何言ってんだよ」


眉間にしわを寄せながら目を細める蓮に、翔先輩はボソッと反論する。


「先輩のお仲間さんにはコレをどう説明するつもりなんでしょうか?」

「……お前のことは伏せて、狙えなくなった理由を説明する」


「それで納得させられるんですか? あれだけ楽しみにしていたお仲間さんを」

「出来る」

なんの根拠もなく言いのける翔先輩を信じることは出来ないが、蓮にも別の目論見もくろみがある。ここは追求するまでもなかった。


「……そうですか。じゃあ約束ですよ」

「分かった」


そうして、約束を交わした蓮は翔先輩を横切り、出口に足を踏み入れたーーその瞬間だった。


「馬鹿が! 死ねやッッ!」

「……ッ!」

背後からの不意の攻撃。翔先輩の拳が勢い良く蓮の後頭部に向かって伸びてくる。


ーーその瞬間、

「バレバレですよ」

その拳を首を傾けて躱す蓮は、伸びてきた腕を掴み……背負い投げる。

そこに手加減はなく、勢いのままに翔先輩の背中は地面に叩きつけられる。


『カハッ……!』

「苦しそうですね。でも、真白はもっと苦しい思いをしてるんですよ」

肺から空気が押し出され、苦しげな声を漏らす翔先輩を見下げて言葉を続ける。


「……あなたのようなクズが、俺の条件をこんな簡単に呑んでくるわけがないじゃないですか。最後の最後まで警戒してましたよ」

蓮はそのまま腕を固めて、じわじわと痛みを与えていく。護身術の習っていた蓮だからこそ出来る技でもあった。


「くっ、痛ぇ……ッ!」

「先輩、少しでも身体を動かすと…………折れますよ」

「……ッッ!?」

抑揚の無い蓮の声音。さっきまでと比べ物にならない重圧を感じる翔先輩はその怖さから身体を硬直させていた。


「別に俺はここで先輩の腕を折っても、なんの問題もありません。正当防衛ですから」

「……」

そう、先に翔先輩から殴りかかってきたのだ。ある程度の処分は与えられるにしても、この時点で退学処分は与えられることはない。


「……ですが、先輩はどうでしょう。高校生最後、、、、、の大会で俺に腕を折られたら、試合本番でいつも通りの実力が出せるでしょうか」

「……ッ!?」


蓮は、翔先輩が友達とトイレに入って来る前にしていた会話からその部分を抜き取ってニッコリと微笑んだ。


「俺、最後の試合に出られない経験をしてるんで、その辛さは分かるんです。だから……先輩にはその辛さを味わってもらうのも良いかもしれませんね」

「や、やめてくれ……。それだけは……」


「真白にしようとしていたことは、一生の傷が残るものじゃないですか。先輩はたったの三年間の努力が消えるだけ。小学校からしていたとしても、たったの十数年の努力が消えるだけ。……でも仕方ないですよね、結局は自分がしようとした悪さが返ってきただけなんですから」

「頼むから……やめてくれ……」


翔先輩の掠れた声。痛みでその言葉を伝えるのが精一杯なのだろう。


「…………では、追加の約束を守って下さい。他の女性を真白のようなことをしようとしてもこの会話を晒す。お仲間さんに俺のことを伝えても晒す。真白の周囲の人間に危害を加えようとしても晒す。……なお、この録音は複製します。良いですね?」


蓮はこの時、自分の甘さを後悔した。

中学での最後の大会。……蓮は怪我をして出られなかったのだ。……その時の情がここに来て出てきたのだ。


「分かった、分かった……ッ!」

「では、腕を離します」

ゆっくりと緩めるわけでもなく、投げ捨てるように腕を離した蓮は乱れた服を正して上から翔先輩を睨み付ける。


「最後に……」

と、一区切り置き。

「次、真白に手を出そうとしたら……約束を破ったのなら……、その時は容赦しません。どんな手を使ってでも、あなたを潰しますから」


翔先輩に背面を見せて、足音を鳴らしながら蓮は男子トイレを後にした。



==========



「……終わったようですね、真白、、さん。まさかこんなに早く終わるとは思いませんでしたけど」

透き通ったその声は、隣の女子トイレから聞こえてきた。


「こ、琥珀、、先輩は、こうなることが分かってたのですか……?」

「いえいえ、そんなことはないですよ。……それより、おめでとうございます。これでもう、あの下衆に関わられることはないですね」


隣の男子トイレに耳を傾けていた二人は、事が終わったのを見越して会話をしていた。


「は、はい……。せんぱい、本当にわたしを守ってくれたんだ……」

「真白さんをここに呼んでおいて正解でした。……一つ聞いておきたいのですが、真白さんはレンのことが好き、なのでしょうか?」


ぽぉっと顔を赤らめる真白を見て、琥珀先輩は首を傾げながら唐突に投げ掛けた。


「っ!? そ、そんなことないですっ!?」

その質問に、さっきよりも顔を真っ赤にして両手をバタバタと振る真白に、琥珀先輩は薄ら笑いを浮かべる。


「あら、そうなの? それじゃあ私が本格的、、、に狙ってもよろしいでしょうか」

「へっ!?」


「……実は私、一度レンに告白しているんですよ。この件が解決したらお付き合いしましょう、と」


『出会って間もない、冗談の告白でしたけれど』なんて事は言わずに、本気の告白であったことを印象付ける琥珀先輩。


「琥珀先輩がですかっ……!? そ、それでせんぱいのお返事は……」

「簡単に振られてしまいました。『こんな条件があるから、助けようと思われたくない』と言ってね」


「せんぱいはそんなこと気にして……」

真白はその答えを聞いて、嬉しさに包まれる中、複雑な思いが芽生えていた。


女子から見ても男子から見ても、憧れの人物に値する琥珀先輩。そんな琥珀先輩の告白を断る理由が、自分のことを思ってなのなら……と、後ろめたい気持ちになったのだ。


「……真白さん、その考えは無しにしてもらって構いませんよ」

琥珀先輩は真白の思考を読んだようにフォローを入れ、

「レンは『気になっている人がいる』と、言っておりましたから」

「そ、そうなのですか……!?」


「私が言うのもなんですが、私は何度もアタックをかけられた事があります。それは真白さんもそうでしょうが、レンにあんなにも簡単に振られ……私は女としてのプライドが傷つきました」


琥珀先輩は、可憐が信頼していた蓮を見極めるために告白をしたと言っても過言ではない。

そのための『告白』だったのだが、ああも簡単に振られるとは思ってもみなかったのだ。


「……ですが、レンのおかげでこの件が解決し、良く分かりましたよ。……あんなにも良い男の子なのだから、私が振られてしまったのだと、ね?」

「……ぅ」


「どうしたのですか、真白さん。唸り声を上げて」

「こ、琥珀先輩っ!」

真白は瞳に火を灯した。それは、当然琥珀先輩にも伝わる。


「わ、わたし……ま、ま……負けませんからっ!」

「ふふっ、それはどう言う意味でしょうか」


「琥珀先輩、今日はありがとうございました……っ! 失礼しますっ!」

恥ずかしさを隠すようにして、真白は勢い良く女子トイレを後にした。……真白の心は『レオ』ではなく、蓮に傾いている証拠でもあった。


========


そして一人残った女子トイレでは……、

「真白さんには一歩……いえ、二歩ほどアドバンテージを取られそうですが、これも面白いですかね……」

手洗い場の鏡に映る自分を見ながら琥珀先輩はふっと微笑み……その表情は元に戻り、さらに一言。


「……敵に塩を送るなんて、私真白さんを応援したい気持ちがあるのかもしれませんね」


そんな呟きは、小さく反響しながら消えていった。

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