第13話 叶えたい、小さな夢

そのまま小晴を背負って、僕は家まで戻って来た。


「運搬お疲れ様です」


どうやら単に眠っていたらしく、布団に寝かせると小晴はすぐに目を覚ました。

大事に至らなくて良かったが、顔はまだ赤く、呼吸は荒かった。

傍目から見ても、具合が悪いことは明らかだ。


「やっぱり、布団はいいですね。こんなに柔らかい所で毎日眠ってみたいです」


「布団が好きなのは分かった。とにかく安静にしてくれ」


一体、何が原因なのだろうか。

意味があるのか分からないが、頭におしぼりを当ててやる。

人間の治療法しか知らない僕には、このくらいのことしか出来なかった。

市販薬を飲ませるのは、もっと危険なことだろう。


「熱なのか?」


尋ねると、小晴は首を振った。


「それはまずありえません。そもそも、私達は雨の精霊ですから、熱を持つことはないんですよ」


試しに体温計を渡してみたけれど、エラー音が無情に響くだけだった。

小晴の身体には、反応しないらしい。


「となると、単純に体調を崩したのか…何かの病か」


「精霊は健康なはずなんですけどね。少なくとも、私の知る限りでは病気にかかった友人は見たことがありません」


「羨ましいな」


そんな悠長なことを言ってる場合ではない気もするが。


「これも下界に降りたことによる副作用みたいなものかもしれません。そもそも、私たち精霊の姿を見られていること自体が異常ですし、何か特別な状況下で起こり得る現象になっているのかもしれないです」


「そうなると、厄介だな。解決策が分からないってことだろ」


「まあ、そうなりますね」


困ったことになった。

雨の精霊の原因不明の病なんて、僕に治す術はない。


「退屈です。何か楽しい話でもしてください」


「無茶言うな」


体調は悪いが心は元気が有り余っているらしく、僕の言葉に小晴は頬を膨らませた。

治療法が分からないのなら、心配した所で仕方がないだろうか。

それならば、退屈凌ぎにくらい付き合ってあげたいものだが。


あいにく、小晴が満足しそうな面白い話は思いつかなかった。

だから代わりに、聞いてみることにした。


「夢や目標を叶える手伝いをする。それが雨を降らせることに繋がるって言ったよな」


「はい…?」


「でもさ、それはいわゆる大きな夢に過ぎない訳だろう? 精霊に課せられた使命なのかもしれないけど、その精霊にだって個人はあるはずだよな」


唐突に、小晴は何の話か分からないといった顔をしている。


「つまり」


僕は続けた。


「小晴にも小さな夢があったって良いってことだ。雨を降らせることだけじゃなくて、もっと何かをしたいだとかやりたいという目的が。そういうのは、ないのかよ?」


「祈吏さんに言われたくはないですね」


そう言って小晴はクスリと笑った。

まあ、確かにそうかもしれなかった。


「でも、祈吏さんのおっしゃる通り、精霊にも個人はありますからね。だから、全員が全員、雨を降らせる為だけに生きているってわけではないですけれど」


そこまで言って、一度呼吸を整える。


「雨の種類にもいくつかあるって話をしましたよね?」


「聞いたな。小雨だとか霧雨だとか」


そしてそれは下界の生き方で変わるとも言っていた。


「その中の一つ。雨の種類の中でも、精霊の憧れる天気があるんです。一体何か分かりますか?」


憧れる天気。

簡単には思いつかなくて、適当を言った。


「なんだろうな。雨を降らせて、ついでに雪も降らせる…とか?」


「雪は無理です。でも、惜しいですね」


雪は雪の精霊がいるのだろうか。

顔を赤らめながらも、小晴は楽しそうな声色で話した。


「私の小さな目標も、雨を降らせるということに変わりはありません。ですが、特別な条件を満たした時にだけ、雨を降らせたあとに咲かせることの出来るものがあるんです」

「咲かせる?」


天気を咲かせるとは、どういうことなのか。


「祈吏さんも、一度くらいは見たことがあるはずです」


そう言って、小晴は指を大きく左から右に動かした。

何やら、指で空中に絵を描いているようだった。

その指の動きを、注視する。

半円を描くようなその動きで、なんとなく、理解が出来た。


「虹か」


僕の回答に、満足そうに小晴は頷いた。


「正解です! 雨の精霊にとって憧れの空模様。それこそが、虹なんです」


「めったに見られるものではないな。虹も、雨の精霊が作るものだったのか」


「そうです。天では、とても素晴らしい生き方をした精霊だけ、虹を咲かせることが出来ると言われています」


「雨の降る頻度と虹の見える頻度を考えると…相当難しいんだな」


「もしかすると、甲子園よりも難しいかもしれませんよ?」


「わかりやすいな」


「私は、ただ雨を降らせるだけじゃなくて、虹の花を咲かせたいんです。下界で色んなことを楽しんで、幸せな時間を過ごして。それで人の夢を叶えてあげて。綺麗な虹の花を空に描きたいんです」


「それが、小晴の夢だって言うのか」


聞くと、小晴は布団の中で何度も頷く。


「そうです。だから、もっともっとこちらの世界で色んなことを楽しみたいんですよ」


そう言って、立ち上がる。


「おい、やめとけって」


「だって、時間がもったいないじゃないですか」


ふらふらと身体を揺らしながら、小晴は布団から出ようとする。

…なるほど。

小晴からしてみれば、僕らの世界こそが夢を実現させる場所なんだ。

いや、それこそ夢の舞台なのかもしれない。

商店街で、学校で、全てのことに対して好奇心旺盛だったのも、小晴が夢の舞台を楽しんでいたからこそだったのか。

言われてみて、初めて気が付いた。


「せっかく念願かなってこの世界に舞い降りることが出来たというのに、ちょっと体調を崩したくらいで、じっとしていられません」


同じだ。

小晴にとって雨を降らせることは、虹を咲かせることは、かつての僕が甲子園を目指していたのと同じことだ。

決して使命感に迫られながら果たしている義務ではない、どうしても叶えたい夢のひとつ。


「明日だ」


それならば。

僕は起き上がろうとする小晴を制して、言った。

夢を叶えさせてあげたいと思うと同時に、今の小晴に無理をさせたくなかった。

無理をすれば、夢を急げば、取り返しのつかないことになるかもしれない。


「それなら明日、僕と一緒にどこかへ行こう。この世界の楽しい場所なら、僕の方がよく知っている」


だから、また案内役を買って出るのだった。


「珍しいですね」


小晴は笑った。


「祈吏さんの方からそういった提案をしてくるなんて」


「そうかもしれないな」


ふと、思ってしまったのだ。

小晴にとっての夢が雨を降らせることならば、もしそれを失ってしまったら。

その夢が叶わないものとなって、小晴が絶望を感じてしまったら。

そうさせたくはなかった。

何より、それを失った時の痛みは僕がよく知っている。


「だからもう、今日は休め。それが守れないなら、案内人は引退だ」


「それは困りましたね。私はうっかりさんなので、案内人がいないと道に迷ってしまいます」


そう言って小晴はもう一度布団の中に潜り込む。


「ありがとうございます、祈吏さん」



この時、僕にもひとつ叶えたい夢が出来た。

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