No.4『ワイン、飲まない?』

 春夏秋冬と共にファミレスを出てスーパーで買い物を済ませた後、俺たちは春夏秋冬宅へと帰ってきた。帰ってきたって言い方はおかしいか。俺は別に自宅じゃないし。春夏秋冬としてもあまり帰ってきたくはない家みたいだし。

 ただ今のところはここしか寝床がないのだから仕方がない。春夏秋冬の話によれば、雲母坂きららざかさんの家に居候させてもらえないか頼み込むつもりらしい。

 雲母坂さんには話を通しているそうだが、春夏秋冬はあまりそちら側、母親Shikiの実家の人間に好かれていないので、雲母坂さんの親御さんが了承してくれるか否かわからない。春夏秋冬の母親がモデルとして食べていくと言って家を出たことが原因で、何故か娘の春夏秋冬さえも毛嫌いされてしまっているのだ。何とも理不尽に思えるが、もしかしたら実家側の人間は春夏秋冬の父親がわからないということを知っているから腫れ物のように思っている可能性も無きにしも非ずんば……。


「穢谷ごめん。茶碗にご飯よそっといてくれない?」

「ん、あぁ。了解」


 俺が余計な心配をしていると、春夏秋冬がハンバーグを焼きながら俺に頼んできた。断る理由も厚かましさも持ち合わせていない俺は頷いて食器棚を開く。


「これ、どれ使ってもいいの?」

「うん。使ってなくて埃被ってるのあるかもしれないから、気を付けてね」

「あいよー」


 俺は手前側にあった茶碗を二つ取り、炊飯器を開ける。そして白米をしゃもじで茶碗によそい、レンジにかけた。程なくしてチンと温め終了の音、四十秒前の冷えた白米が嘘のように湯気を立てている。

 こうして考えると現代科学恐るべしだ。電磁波で分子を振動させ温度を上げる電子レンジ、考えたヤツが誰なのか後で調べてみることにしよう。


「よしっ! 完成!」


 ダイニングテーブルに茶碗と箸を用意し、座って待っているとキッチンの方で春夏秋冬が満足げな声音を出した。キッチンの方と言ってもこの家はアイランド型キッチンなのであまりダイニングとキッチンが分けられている感覚がしないし、何なら春夏秋冬がキッチンに立つ姿も頭の上から足の先まで全然視認できる。

 改めて家の広さに驚きですわ。本当にデカいと感じる家って、部屋数が多いんじゃないんだよな。一個一個の部屋の広さがケタ違いなんだよな。


「はいメインディッシュ」


 春夏秋冬はサラダと一緒に皿に盛り付けたハンバーグをダイニングテーブルに置く。作っている時からずっとそうだったが、絶対美味いと確信する匂いにふわっと鼻腔をくすぐられた。

 思えばドリンクバーのカルピスソーダを飲んだ以外では今日は朝から何も食べていない。胃袋がスカスカ過ぎて逆に腹が痛い。早く食べたい欲を生唾を飲んで抑え、春夏秋冬が席に着くのを待つ。

 エプロンを外してハンガーにかけ、春夏秋冬は俺の対面に座った。


「いただきます」

「はい、召し上がれ」


 春夏秋冬に向かって参拝するかのように手を合わせ、俺は箸を握る。箸の先が最初に向かったのは、もちろんハンバーグだ。箸で一口大に切ると、中から肉汁が溢れ出てきた。なるべく出ていってしまわないよう、俺はすぐに切ったハンバーグを口に運ぶ。

 その瞬間。


「美味ぇな」


 ぽろっと半笑いでそうこぼしてしまった。春夏秋冬はそんな俺を見て、しめしめといった顔で目を細める。春夏秋冬にしてやられた感が凄かったけど、俺の脳はそんなことよりも目の前の美味しい焼いた肉塊でいっぱいだった。

 今後デートが無くなったとしても、手料理で俺満足しちゃいそうだ。なんてカンタンな男なのでしょう。いやでもこれだけ美味いご飯作ってもらえてるって、俺もしかして彼女持ちの中でもかなり恵まれてる部類なんじゃね?


「あ、そうだ!」


 春夏秋冬は突然立ち上がり、キッチンの方へ。棚をゴソゴソしていたかと思うと、すぐに一本のワインボトルを取り出して俺に振り返る。


「ワイン、飲まない?」


 未成年の飲酒。春夏秋冬の提案は法律で禁じられた違法行為だ。だが法律で禁じられているとは言え、大抵の人間がその味を未成年のうちに知る。好奇心だったり祝い事の席で親戚の人間から勧められたりと、きっかけが何であれアルコールの味は大抵未成年のうちに味わうことになるはずなのだ。事実俺も知ってるし。


「春夏秋冬、ワイン飲んだことあんのか?」

「そういうあんたはあるの?」

「ない。俺はほろよいしか飲んだことない。そしてその経験から言うと俺はかなりの下戸だ」

「へぇ、そうなの。それじゃあ少しだけってことで。ちなみに私はがっつりは飲んだことない。だからまだ自分の限界はわかんない」


 言いつつ春夏秋冬は二つのワイングラスにワインを注いだ。飲食物の表現には不適切極まりない気がするが、ドス黒い血のような色をした赤ワインだ。あと注ぐ時に春夏秋冬がちゃんとラベルを上側にしていたところは流石と賞賛を送りたい。

 片方には半分ほど、もう片方にはグラスの三分の一ほど注いで少ない方を俺に渡してきた。俺はそれを受け取り、ワインに関する知識をひけらかす。


「赤ワインはぬるい方が良いらしいな」

「白は冷たい方がいいの?」

「うん、知恵袋に書いてた」

「よくそんなこと調べるわね。ワインソムリエにでもなるつもりだったの?」

「まぁ確かにカッコ良さで言えば俺的一位に輝くな。でも、自分がなりたいかって言ったらそうでもねぇ」


 春夏秋冬は俺のその答えに『ふーん』といつも通り聞いておきながら興味無さそうな態度をとった。グラスをそっと持ち上げ、それを俺に向かって一度揺らし、言う。

 

「君の瞳に乾杯」

「それどっちかと言うと男のセリフじゃね?」

「じゃ言う?」

「絶対言わん」


 断言し、春夏秋冬の差し出したグラスに自分のグラスを弱い力で当てる。キーンと甲高く、それでいて小気味いい音が鳴り響いた。

 俺はグイッと一気に呷り、グラスの中身を空にした。本当は急性アルコール中毒とかマジでシャレにならないから一気飲みは良くないけど、この量なら良いかなと思ってしまった。

 それが間違いだったのだ。過去にお袋が飲んでいた缶チューハイを一本飲ませてもらい、俺はたった一本でゲロ吐いてしまった。アルコールに慣れていないにしてもかなりの下戸だと自分で理解していながら、今微量とは言え一気飲みしてしまったのは大きな過ちだった。

 と言うのも、身体がみるみるうちに熱くなっていくのが自分でわかった。きっと一瞬のうちに顔に赤みが増したはずだ。


「んふふ。穢谷ホントに弱いんだね、もう顔赤くなっちゃってる」


 春夏秋冬も俺の二倍くらいあった赤ワインを飲み干し、俺の顔を見て愉快そうに笑った。対する春夏秋冬は全然顔色に変化は見られない。なるほどコヤツ強いタイプか、小癪な。


「どう? もう一杯いく?」

「……お前がいくなら俺も」

「じゃあもう少し付き合ってもらおうかな」


 今度は先ほどの春夏秋冬が飲んだ量と同じくらいグラスに注がれた。春夏秋冬のようにがっつり飲んでベロンベロンになったらいけないし、俺はチビチビと飲みながらハンバーグを味わうとしよう。




 △▼△▼△




 はっきりと記憶はしていないけれど数ヶ月ぶりのアルコールは、苦味と渋みの中に仄かな甘味が感じられた。初めてのワインの感想としては、正直そこまで好きな味ではなかった。

 それでも春夏秋冬は自分の酒の限界を知りたいとのことでバンバン飲んでいく。一度付き合うと言ったからには終わりまで付き合うべきかと思い、俺も一緒に飲むことにした。今はハンバーグも食べ切り、ワインだけを嗜んでいる状態だ。


「あはははは! 穢谷顔すっごい赤い!」

「うっせー……赤ワインは酔いやすいんだよ、多分、知らんけど」

 

 確かに春夏秋冬の顔は全体的に見ればそこまで赤くないけど、頰に若干の紅潮が伺える。それにいつもとは違ってちゃんとした笑い声が聞こえる。春夏秋冬も少しは酔いが回っているのだろう。

 何にせよ春夏秋冬がワインを飲まないかと問うてきたのも、俺がそれを了承したのも、もう一杯どうかと尋ねてきたのも、それに付き合ったのも、所詮は大人の真似事だ。俺たち子供が背伸びし、大人だけが出来る特権に憧れ真似をして。

 でも結局真似は真似。未成年がいくら爪先立ちしようと本当の大人にはなれない。それでも俺たち子供が背伸びするのは、やっぱりそういう時期だからなのだと思う。

 背伸びして、大人になろうとして、自分の中で親と精神的に離別して、世の中の不条理と理不尽を知って、そしてそれを受け容れられる器を広げていく。今の俺たちはそんな時期だ。

 だから存分に目上の人間に楯突き、経験の差で打ちのめされるべきだ。打ちのめされてこそ、次は打ちのめされるものかと成長することができる。俺みたいに捻くれて打ちのめされる自分の弱さを許容することは、本来絶対にあってはならない。

 春夏秋冬との勝負とも取れるあの約束。今振り返れば、俺はそれにずっと縋っていた。春夏秋冬との関係を繋ぐパイプとして、維持しなくてはと意地になっていた。故に俺は自分を社会不適合者日本代表だと名乗り、自分で地位を下げるようにしていたのだ。社会不適合者として人気者の春夏秋冬に勝つために。まぁ自分が弱い人間だとしていることが楽だからという理由も半々で存在しているわけなのだが。

 とにかく、もうその約束を守る必要は無くなった。春夏秋冬は人気者ではなくなったし、俺が春夏秋冬に一泡吹かせたとも言えない。勝敗はつかず終いとなってしまったわけで。

 だから俺もそろそろ、自分を下げるのはやめて成長すべき時なのかもしれない。今更感は否めないし、今からでも遅くないだろなんて甘い考えを持っているわけではない。むしろその辺の高校生より現実の厳しさ知ってるつもりだし。


「顔赤い穢谷……可愛いなぁ、照れてるみたい」

「やめてくれハズいから」


 俺は春夏秋冬の愛おしそうな目線から外方そっぽを向いて逃げる。こっちから言わせてもらえれば、春夏秋冬のとろんとした眠たげな眼と少しだけ火照った頰がコケティッシュで実にエロい。そしてカワイイ。エロい+カワイイ=エロいイイだ。

 ヤベェな俺、何言ってんだろう。マジで頭が回ってねぇ。意識するとちょっと気持ち悪い気がしてきた。缶チューハイ一本でゲロった俺がワイン三杯飲んで耐えてるだけ頑張ってる方か。


「ねぇ、ベッドいかない?」

「……うん、いいよ」

「ついてきてー」


 俺は立ち上がった春夏秋冬の後を追うように席を立ちついて行こうとしたのだが、そこでフラフラっと千鳥足になってしまった。床に崩れ落ちる俺を見て、春夏秋冬は可笑しそうに目を細める。


「もう二階に上がる気力無さそうね。こっち、来て。ソファあるから」

「へーい」


 フラフラ覚束ない足取りで何とか春夏秋冬の手招きする部屋に入った。そこはリビング的な部屋なのだろう。かなり画面の大きいテレビの前には、かなり大きいL字型ソファがある。

 俺はドサッと勢い良くそこに倒れ込んだ。弾力性の高いフカフカのそのソファは寝転んだが最後、もう立てる気がしない。


「ちょっとぉ、寝ないでよ〜」

「ん、わかってるよ」


 俺の上にのしかかって猫撫で声を出す春夏秋冬。やっぱりコイツも結構酔ってんな。普段なら絶対に出さないような声色だ。

 春夏秋冬は俺の上に乗っかったまま、キスをしてきた。俺がギュッと抱き締めると、春夏秋冬の舌が俺の唇に触れ、チロチロと蛇のように舐め始めた。

 俺もそれに答えるかのごとく自分の舌を彼女へ差し出す。すると春夏秋冬は『んっ』となまめかしい声をあげて舌を絡ませてきた。舌を絡ませあうたびに、まるで電流が走ったような感覚に襲われる。

 酔いに酔いまくった宵、二回目のセックスはお互いを貪り食うような濃厚なものとなったのであった。

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