第4話『私には母さんみたいな素質は無かったんだわ』

No.21『俺はそれを美しいと思った』

「君たち二人とも、自分が何をやったかわかっているのか……」


 普段なら社長椅子にどっかり腰を下ろしている東西南北よもひろ校長も、今回は椅子に座らず俺と春夏秋冬をギロリと睨んでいる。春夏秋冬ひととせは校長の問いかけに対して無感情に滔々と答えた。


「黎來の命を救ったのよ。後、平戸先輩もね」

「平戸くんを救っただと!? さっきのアレを見た生徒たちの中で平戸くんがどう映ったと思ってるんだ! アレじゃ完全に彼が敵、悪役じゃないか! わたしは言ったはずだぞ、平戸くんを悪にはさせないと!」


 物静かな態度の春夏秋冬に対して、それとは対照的に校長は声を荒げる。それでも春夏秋冬は表情を変えず、静かに校長へ反論した。


「でも私たちのおかげで平戸先輩は人殺しじゃ無くなったじゃない。それにそもそも私は平戸先輩を悪役にするつもりだったし」

「……なに?」

「平戸先輩みたいな人は一度痛い目見ないとわかんないんだと思うから」

「君なぁ……っ!」


 校長は春夏秋冬の胸ぐらを掴みかけるも、すぐに自分の立場を考え手を引っ込めた。掴みかかる勢いが余ってしまい、ドサッと後ろの椅子へ倒れるように座った。

 そして校長は苛立ちを隠すつもりもないらしく、ため息混じりに春夏秋冬に言う。


「君はわたしのことを相当甘く見ているようだ……わたしが君の弱みを握っていることを忘れたわけじゃないだろう?」

「もちろん覚えてる……。甘くも見てないわよ」


 校長はデスクの引き出しからボイスレコーダーを取り出し、机上に置いた。春夏秋冬はそれを見て苦虫を噛み潰したような顔をする。

 四月のあの日の春夏秋冬の愚痴が録音されているこのボイスレコーダーは、春夏秋冬が面倒ごとをこなしてきた理由でもある。これを世に出されないようにするために春夏秋冬は面倒ごとを解決してきたのだ。

 これが春夏秋冬と面倒ごと……否、校長との関係を作った。これが無ければ春夏秋冬は面倒ごとなんて押し付けられていない。この小さな黒い装置にこれまでの出会い、時間、全てを作られたと言っても過言ではないわけで。


「次の校内放送でこれを流す。異論反論は認めない、君がわたしの命令を破った罰だ」

「……」

「君の人気も、ここで終わりだ」


 黙り込む春夏秋冬へ残酷にもそう告げる東西南北校長。そんなことは春夏秋冬自身が一番にわかっているはずだ。春夏秋冬はそれ覚悟で雲母坂さんを救うと、校長には従わないと決めたのだから。

 俯く春夏秋冬の表情は陰り、見えない。見えないけど、きっと悔しい気持ちでいっぱいだろう。七歳の頃から亡き母親を越えようと努力し、自分を磨いてきた春夏秋冬が手に入れた人気は次の放送、腹黒暴露により一瞬で泡と消えるのだ。絶対嫌に決まっている。


「さて穢谷くん。君は無条件進級だったけど、それはもう無しに……」

「待ってせんせー聞いて。みんな私が無理矢理手伝わせたの、だから穢谷は関係ない。責任は私だけが取るってことでいいわよね?」

「おいお前……」


 春夏秋冬は顔を上げ、俺の言葉を人差し指を自分の唇に当てて制する。校長はそれを聞いてジッと俺と春夏秋冬の間の虚空を見つめ、数秒間思案した後に口を開いた。


「……うん、良いだろう。わたしの駒が減るのも困るしね。穢谷くんには今後も働いてもらう」


 東西南北校長は数回頷き、春夏秋冬の提案を承諾してしまった。本当ならここで『そんなのダメだ、俺も罰を受ける』とかカッコいいセリフのひとつでも吐けたら良かったのかもしれない。だけどそんなこと言える空気感じゃなかった。と言うか、そもそも俺はそんなこと言わない。


「あとせんせー。それ放送で流す必要無いから」

「うん?」

「私、。だから放送はしなくていいわ」

「ほぉ……そうかい。勝手にしたまえ。君はもう、わたしと何のしがらみもない。わたしと君は普通の一生徒と一教師なんだからね」


 校長は春夏秋冬の顔を見ることもせずそう言い、社長椅子を回転させて外方そっぽを向いた。そして一言『さっさと部屋から出ていきなさい』と呟いたので、俺と春夏秋冬は校長室を後にすることにした。

 春夏秋冬は廊下に出ると何も言わず、つかつかと教室の方へ歩き出した。俺はその後ろをただただ黙って追いかける。

 さっきは校長が何と言うか予想出来なかったし、したくもなかったが、今はこの後の展開がどうなるのか予想出来ないし、予想したくない。いや、予想は出来ているのだ。それにしたくないのではなく、予想通りになって欲しくないのである。

 だけどどうしてそう思っているのか、その時の俺はまだ自分でわかっていなかった。




 △▼△▼△




「なぁ、春夏秋冬。本当に自分で言うつもりなのか?」


 俺がようやく聞きたかったことを春夏秋冬に問うことが出来たのは、教室に上がる階段に差し掛かったところだった。

 俺より少し前を歩いていた春夏秋冬は階段の手すりに手を軽く触れ、上の方から俺を見下ろす。

 

「えぇ、自分で言うわよ。ちゃんとアイツらの顔見て悪口言ってやるつもり」

「ふーん……」


 赤い夕日が逆光となり、春夏秋冬の表情ははっきりとわからないが、きっと笑っているんだろう。それこそ校長がPTSDを克服するべく無理矢理笑うようにしたように、春夏秋冬も今笑うべきとこではないにも関わらず笑っているはずだ。

 この階段を登りきれば、春夏秋冬は自分から腹黒であることを明かし、スクールカースト上位から一気に下位へと転落する。つまり学校という閉鎖された世界において社会的に死ぬわけで。春夏秋冬にとっちゃ、この階段が十三階段というわけで。


「穢谷との勝負は、私の負けっぽいわ」

「……」


 春夏秋冬は階段を登りきり、教室の前扉の前で一度止まってから後ろの俺を振り向かずに言った。違う春夏秋冬、本当はお前が勝ってたんだ。俺が言い出せなかっただけで。

 だが俺のそんな心中など知る由もない春夏秋冬。ついに扉に手をかけ、ガラリと開いた。すると。


「おぉっ! 朱々帰ってきたっ!!」

「来たぞ本日のMVP〜!」

「劇のアドリブすごかったよー!」

「それもだけど、ついさっきの体育館もすごかった!」

「アレはさすがは春夏秋冬って感じだったなー」

「まさかあそこで朱々が助けに入るとは思わなかったわー!」

「朱々今日だけでマジすげぇ功績だよ」


 入った途端、クラスの連中がひたすらに春夏秋冬を褒め称え始めた。その声はなかなか静まらず、よもや永遠に続くんではないかと思わせるほどだった。

 俺はどさくさに紛れて教室内に入り、自分の席に座る。ほとんどの生徒が春夏秋冬へ視線がいっているため、俺が一緒だったことに気付いたヤツはいないだろう。

 席に着き、改めて春夏秋冬を見てみると、クラスの連中からの言葉に普段なら猫被り表モード(吉岡里帆似)で対応するはずなのだが、今現在はそうじゃなかった。口を真一文字に結んで俯き、おそらく最後になるであろうクラスの連中からの称賛を耳にしている。一体どんな気持ちで彼らの言葉を聞いているのだろうか。

 やがて春夏秋冬を褒める声も小さくなり、だんだんと黙っている春夏秋冬に皆違和感を感じ始めた。諏訪すわが駆け寄って『おーい、朱々?』と呼びながら、俯いた春夏秋冬の顔の前で手を振る。

 刹那、パシッと諏訪の振っていた手が春夏秋冬によってはたかれた。そしてつかつかと春夏秋冬は教卓の前に立つ。


「お前ら全員聞けカス共ーーー!!!」


 そんな雄叫びから始まった春夏秋冬の暴言は、結論から言えば美しいと思った。暴言、悪口が美しいと感じたの初めての経験で、春夏秋冬のそれがまさに魂の叫びではないかと感じたのだ。

 春夏秋冬の唐突な雄叫びに、当然クラスの連中はポカンとしていた。学校一の美少女で学校一の人気者であるはずの春夏秋冬がいきなり自分たちの悪口を叫んでいる状況に、脳が追いついていなかったのだと思う。

 だが春夏秋冬の口から飛び出る多くの悪口を聞き、徐々に理解してきたようだ。皆の春夏秋冬を見る目から少しずつ信頼の色が消えていくのがわかった。築き上げるのに長い期間を要すると言うのに、失うのは一瞬の小さな出来事だったりするのが信頼というもの。悪口と暴言のオンパレードにより、春夏秋冬への信頼は失われた。人気者としての春夏秋冬の体温は悪口を言う度に低くなっていった。もう彼らの中に人気者の春夏秋冬朱々という人物は存在していない。

 だからきっと俺だけなのだろう、彼女のその暴言を言いまくる姿を見て美しいと思ったのは。春夏秋冬の覚悟を見た俺だけがそう思うことが出来たのだ。雲母坂さんを救うと決めた時点で校長の命令に反することになり、それはイコール秘密暴露の可能性が大ということ。それでも春夏秋冬は自分が落ちぶれる覚悟を決め、雲母坂さんを救った。

 実に美しく、カッコいいではないか。結局秘密は暴露されることになったが、今しているように自分からこれまで言ってきた暴言や悪口を当人たちに言うことでバラすなんて肝の座った行動、俺には絶対真似出来ない。

 それに春夏秋冬は亡き母親を越えるような人気者になるという夢があった。母親の葬儀よりももっと自分の死を悲しまれるような人間になりたいと。その夢のため、春夏秋冬は十年間自分を磨き上げてきた。十年やってきて手に入れた今の地位を、自分から手離す気持ちは俺には計り知れない。でも本当は嫌で、悔しくてたまらないに決まってる。

 俺だって正直なことを言えば、中三時に交わした春夏秋冬との勝負とも取れる約束。それに勝手ながら敗北していた俺としては、人気者の春夏秋冬がこんなところでドロップアウトするなんて、ちょっと嫌だった。完璧だった春夏秋冬にはこれからも完璧でいて欲しかった。

 でも春夏秋冬が自分から大勢の前に立ち、悪口を言い、美しくカッコいい姿を見たら、そんな腑抜けた気持ちは吹っ飛んだ。

 さっきどうして予想出来るのに、予想通りになって欲しくないと思ったのかわかった。春夏秋冬は自分が落ちぶれる覚悟が出来ているのに、俺自身に覚悟が出来ていなかったからだ。それは俺が元から落ちぶれている存在で高い地位からドロップアウトした経験がなく、春夏秋冬のそんな姿を見たくないという身勝手な考えの元生まれた弱い人間の逃げでしかなかったのだ。

 兎にも角にも、春夏秋冬はクラスの連中を前に言い放った。自分はこんな人間だ、お前たちが見ていたのは嘘の自分だと。お前たちが嫌い、気持ち悪い、不快、ウザい、死んでほしい、邪魔、生理的に無理、馬鹿過ぎる、騙されるアホばかりとひたすら言いまくった。これでもかと言いまくった。常人の一生分くらい悪口を叫び続けた。勢いは徐々に徐々に強くなり、繰り出される暴言の質も上がっていった。数々の暴言と悪口は、今朝の劇の前の挨拶が嘘のようにまとまりがなかった。


「わかったかゴミが! 全員気持ち悪いのよ! クラス全員気持ち悪くて、ずっと大嫌いだった!」


 はぁはぁと息を切らす春夏秋冬。春夏秋冬の暴言はようやくそこで止まった。時間にして五、六分程度叫んでいた、息も上がって当然だ。


「……行こー」

「あ、待って此処ここちゃん……!」

「朱々……」


 黙って聞いていたクラスの連中の表情は完全に春夏秋冬を敵と見做している。特に友人もどき一号、ヤンチーギャル定標じょうぼんでんの目はすぐにでも春夏秋冬を殺しそうだ。そして聖柄は悲しいという表情の正解例みたいな顔をする。

 でもそれだけのことを春夏秋冬はしたということになる。大勢を騙し、自分を偽り、人の気持ちを弄んだ。よってクラス中から鋭い視線を向けられても仕方がないと言えば仕方がない。

 今、春夏秋冬に味方はいない。少なくとも、俺以外は。


「よく言ったぞー。俺の思ってること代弁してくれたみたいで感動した。このクラス、気持ち悪いもんなー」


 パチパチと教室内に俺の拍手と声が響く。もう周りからどう思われたって良い。俺は彼女の味方をしたい、孤独にさせたくない、絶対にひとりにさせたくはない。

 そんな気持ちから俺は春夏秋冬へ拍手を送った。本当に微力通り越して力にもなっていないが、この拍手で少しでも春夏秋冬の勇姿が称賛されるものであると知らしめたかった。大勢には称賛どころか大ブーイングだったとしても、それが俺ひとりにとっては拍手を送るべきことだったと思わせたかったのだ。


「……気持ち悪」


 定標は俺を思いっきり睨みつけて教室を出て行く。四十物矢もそれを追いかける形で教室を後にした。

 二人が出て行くと、次々にクラスの連中がそれに続いた。ひとり、またひとりと教室から姿を消してゆく。皆完全に俺と春夏秋冬をゴミを見るような目で見ていった。最後の方で諏訪は何故か目に涙を溜めながら未練残り感満々で走っていった。最後に残った聖柄は春夏秋冬、俺の順で顔を見回し、短く深いため息を吐いて教室を出た。


「お疲れさん」

「うん」


 窓から差し込む夕焼けがスポットライトのように俺と春夏秋冬を照らす。つーと流れる一筋の涙を、春夏秋冬は拭おうとはしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る