No.6『アホを演じてるうちに、あたしは本当のアホになってしまったようだ』
あたしはセックスが好きだ。セックスは男の人から愛してもらえるし、いっぱい『可愛い』『好き』って言ってもらえる。あたしはそれが好きで、そう言われたくて、愛してもらいたくて、だからセックスをしたくてたまらない。
最初はやっぱりみんなから白い目で見られていた。それはわかってる、自分でもウザいくらいに周りの目に敏感だから。でも、あたしはいっそのこと開き直ることにした。周りからセックスしか頭にないような変なヤツだって思われても仕方がないって、気にしないことにした。
そうしてなんとかアホを演じて周囲からの視線を無視出来るようになっていたら、突然
そんな風に考えごとをしながら、あたしはひとり暮らししているアパートの部屋をひたすら掃除していた。今日は嬉しいことに葬哉くんと朱々ちゃんがお見舞いに来てくれる。あの二人をわざわざお見舞いに来させられるんなら、頭打って倒れちゃった甲斐があるかもしれないなぁ。今もちょっと痛むんだけど……。
一通り片付け掃除が終了し、次にキッチンに立つ。初めて人を自分の部屋に入れる、その上あたしの恩人二人だ、何かおもてなしをしないと。そう思ってあたしは昨日得意なシフォンケーキの材料を買い込んでおいた。本当は自宅療養中ってことになってるから、外出しちゃいけないんだけどね。
とにかくそろそろ作り出さないと、二人が来る前に焼き上がらない。エプロンを付け、材料をキッチンに並べる。園にいた時によく園のお姉ちゃんが作ってくれて、作り方教えてもらったシフォンケーキ。あたしはすごく好きな食べ物だけど、二人とも嫌いじゃないかなぁ。
でもまぁ、ケーキ嫌いな人の方が珍しいくらいだし、大丈夫だよね。今さら考えてもどうしようもないし。
あたしはエプロンの結び目をキュッと縛り直し、卵を手に取った。
△▼△▼△
ケーキがもう少しで焼き上がるというところで、アパートのチャイムが鳴った。とたたっと玄関に駆け、扉の覗き穴に目を通す。
「あぁ、朱々ちゃん!」
扉の前に立っていた朱々ちゃんを確認し、扉を開ける。朱々ちゃんはあたしの全身をジッと見つめ、眉をひそめて口を開いた。
「……なんでエプロンしてんの?」
「えへへ~。せっかく朱々ちゃんと葬哉くんが来るからね~、ケーキ焼いときました~!」
「何よ、元気なんだ。心配して損したわね」
「元気じゃないですよぉ。今もズキズキ痛むんですからぁ~!」
「あっそ。お邪魔するわよー」
「あ、は~い」
来客用のスリッパなんてものはうちにはない。朱々ちゃんは靴を脱いでそのまま上がってきてくれた。
「あ、ホントだ。すっごいイイ匂いする」
「でしょ~。シフォンケーキだよ~」
キッチンに戻り、オーブンを覗いてみる。うん、いい感じだ。後はペットボトルに逆さまにして少しの間放置するのみ。そう言えば、なんで逆さまにして放置するのか知らないなぁ。葬哉くん、知ってるかな。変なことばっかり知ってるし、きっと聞いたら教えてくれるよね。
あれ、って言うか……。
「葬哉くんはどうしたんですか~? 一緒にお見舞い来てくれるんじゃなかったんですかぁ?」
「あぁ、穢谷ならもう少ししたら来ると思うわよ。おつかいさせてるから」
「おつかい~?」
「そ、おつかい」
朱々ちゃんが頷いたところで、またチャイムが鳴った。覗き穴から覗いてみるとそこには寒そうに背を丸めた、いつも通りつまらなそうな顔をした葬哉くんの姿が。……何やらコンビニの袋も持っている。
「葬哉くん、いらっしゃい! どうぞ~」
「よー、一二。頭大丈夫か?」
葬哉くんは開口一番にあたしの左目、灰色の目をジッと見つめて言った。
「むぅ! ちょっと言い方がバカにしてる感じあるじゃん〜!」
あたしが頬を膨らませて言うと、葬哉くんはちょっと口角を上げ、何食わぬ顔で我が家へ足を踏み入れた。
むっ、後輩の女の子の家だって言うのに全然躊躇もしないのか。葬哉くんって意外とそういうとこドライなんだよなぁ。
「お疲れ、ちゃんと買って来た?」
「あぁ買って来てやったよ。ほれ」
葬哉くんは持っていたコンビニ袋を朱々ちゃんに手渡す。朱々ちゃんは中身を見て満足そうな表情をして、財布から五百円玉を取り出し、葬哉くんに投げた。
「もしかして、今の五百円っておつかい代ですかぁ……?」
「当たり前だろ。報酬無しの人情で働くほど俺は馬鹿じゃない」
「校長には従順じゃない。ほぼ報酬無しって言っても過言じゃないのに」
「バッカお前そりゃそうだろー。権力者にはプライド捨てて土下座しとくに限る……いや土下寝するまであるな」
何故か得意げな顔の葬哉くん。ホント情けないこと言ってるはずなのに、かっこ良く聞こえるんだから不思議だ。いや、あたしだけなのかな。
「でもそっか。これはちょっとミスだったわね。まさか一二がケーキ焼いてるとは思わなかったわ」
「え、何一二ケーキとか焼けんの。どう見ても
「どこがですかぁ! あたしこれでも毎日自炊してるんですからね~! ……あの、それであたしケーキ焼かないほうが良かったんですか?」
「あぁ違う違う。全然焼いててくれていいんだけど。ただね……んー、まぁいいか。はいコレ」
「ん〜?」
朱々ちゃんは少しの間思案した後、あたしにコンビニ袋を渡してきた。中にはチョコケーキが半分ショートケーキが半分のホールケーキが入ったコンビニスイーツが。
「えっと〜、なんですかコレ」
「一二によ。あんた、誕生日過ぎてたでしょ?」
「えぇっ!?」
確かにあたしの誕生日は先月、十月の最終日だった。と言うか、産まれた正確な日はわからないから園に引き取られた日が誕生日になってるんだけど。
いやあたしが驚いたのはもっと別の部分。朱々ちゃんがあたしにこのケーキをくれたってことはつまり、あたしは朱々ちゃんに誕生日を祝われたってことだよね。あの朱々ちゃんが、あたしを。
……どうしよう。嬉し過ぎてニヤニヤが止まらない。普段ツンツンしてる朱々ちゃんに祝われることほど嬉しいことはない。
「あれ、でもあたし朱々ちゃんに誕生日教えてたっけ〜?」
「教えてもらってないわね。だからあんたが私に誕生日聞いてきた日に色々と探り入れた」
「怖っ! ……でも、ありがとう朱々ちゃんっ!」
「どういたしまして」
きっと朱々ちゃんはお見舞いも兼ねてって意味でこのケーキをあたしにくれたんだと思う。言葉にされてはいないけど、何となく葬哉くんにはそうやって建前を作って自分を守っているはずだ。朱々ちゃんは、本当はもっと守ってもらえる人なのに。自分の弱みをもっと見せて、慰めてもらえる人なのに。今とは違う意味で、もっとたくさんの人から愛される人なのに。それなのに、朱々ちゃんはそうはしない。
とっても強い朱々ちゃんは、とっても弱いあたしの憧れだ。
「んじゃ早速そのケーキいただくとしますかー。俺昼飯食べてねぇんだよ」
「は? なんで私の金で買ったケーキあんたにやらなきゃいけないのよ」
「はぁ? 俺お前のケーキ食うとか言ってねぇだろーがよ。俺は一二のシフォンケーキ食べますぅー。……手作りとか何入ってるかわかったもんじゃねぇけど」
「ちょっとぉ! ちゃんと普通に作ったから〜!!」
まったく……葬哉くんはそういうとこあるんだもんなぁ。
ホントかっこ良くて、情けなくて、クズで、あたしの大好きな人だ。
あの時あたしのオッドアイのことを初めてかっこ良いって言ってくれて、それがあたしは嬉しかった。今すぐあの場でエッチしたい気持ちでいっぱいだった。
だけど本当はあたしが公園でレイプされかけた時からそうだったんだと思う。オッドアイを認めてくれた以前に、葬哉くんがあたしをレイプの人たちから救ってくれたその時、あたしは葬哉くんに普段セックスすることで求めていた愛とは違った愛を求めたんだ。
自分で自分は惚れっぽい性格だとは気付いている。と言うよりも、ひとりの男の人を愛するより大勢の男の人と愛し合った方が良いとさえ思っていた。でもそんなあたしが葬哉くんだけは誰にも渡したくない、あたしだけのものにしたい、あたしだけとエッチしてほしい。
あたしだけを、愛してほしい。
そんな考えを持ったのは初めてだった。たったひとりの男の人に愛してほしいって思ったのは、生まれて初めての経験だった。
それがキッカケで確実にあたしはセックスそのものへのこだわりが薄れている。いや、徐々に徐々に薄れていっていると言った方がいいかもしれない。前だったらたくさんの人とたくさんシタいだったのが、ひとりの人と、葬哉くんとだけたくさんシタいって思うようにもなってきたのだ。
でもあたしはその気持ちから逃げている。あたしがそんなこと思うはずがないって。
葬哉くんは多分あたしの気持ちに気付いている。あたしが葬哉くんに単純に異性として好意を抱いていることに少なからず勘付いているはずだ。気付いた上で彼は何も言ってこないし何もして来ない。だったらあたしも何もしない。自分で自分の気持ちを見なかったことにして、そして好きな気持ちを押さえ込む。
ホント、自分の気持ちから逃げてまで本当の感情を押し殺すなんて、アホ以外の何者でもないよなぁ。
どうやらアホを演じてるうちに、あたしは本当のアホになってしまったようだ。だけど、今はまだアホのままでいい。今、あたしの周囲はこの状態で滞りなく廻っている。現状維持することが一番なんだ。あたしが世間から思われているあたしであるためには、こうあるべきなのだ。
だからあたしは葬哉くんにこう問いかける。
「葬哉くん、シフォンケーキ焼いた後逆さまにするのってどうしてか知ってる〜?」
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