No.15『影ながら見つめる』

 一二つまびら乱子らんこという名前は、本人がそうだと自覚する前から決定していた。簡単に言えば、物心つく前から『一二乱子』として扱われてきた。物心つく年頃が何歳程度なのか詳しい定義は存在しないが、この場合乱子が自分の名前を乱子だとはっきり理解した時のことを言う。まぁ一般的に考えてみれば、別に特筆すべきようなことでもないように感じるかもしれない。誰だろうと、自分が気付かぬ内に自分が何て言う名前なのか自覚しているものだから。自分に付けられた名前をいつから自分の名前なのか理解した時のことなど、絶対に思い出すことは出来ない。

 乱子も同様に児童養護施設の園長考案の名前でここまで生きてきた。自分が物心つく年頃になると、周りの人間は皆自分のことを一二乱子と称し、可愛がってくれた。乱子に限らず、全ての子供が自分の名前というものをそうして自覚する。

 親の愛という不透明なものを感じたことがなくても、乱子には施設の大人たちや義兄弟たちからの愛があったからこそ今が有る。それでも性行為依存症になってしまったのは、悲しいかなやはり本当の家族ではないという意識が存在していたからだろう。

 ただ、性行為依存症だからと言って彼女を卑下するのはまた話が変わってくる。乱子はセックスに快感より『愛』というものを大事にしており、援助交際をしていた際もそれを重んじ、目的としてた。親がいないから、代わりにセックスで寂しさを埋める。施設の人たちでは埋め切れなかった乱子のぽっかり空いた穴を、乱子は援助交際という手段で埋めていたのだ。

 今では乱子の通う劉浦高校の先輩である穢谷けがれや葬哉そうや春夏秋冬ひととせ朱々しゅしゅのせいもあって援交はやめ、風俗店で働き、その寂しさと性行為依存症の症状であるセックスをしたいという欲求を満たしている。

 性行為依存症だとしても、それで葬哉や朱々、夫婦島めおとじまあきら一番合戦いちまかせうわなりたたりみやび月見つきみ親子と出会えたのだ。乱子にとって、いつの間にか彼らはセックスをしていなくてもセックスのことを考えずにいられる、心休まる存在となっていた。特に葬哉とは一番心休まる相手だと乱子は思っている。過去、乱子はそんな人と会ったことがなく、あながち『葬哉くんといるとハイになる』という言葉も間違っていないのだ。


「じゃあ、お先失礼しま~す」

「はーい。疲れてるみたいだし、明日はしっかり休むんだよー」


 バックヤードで一服する徳利とっくり店長に声をかけ、乱子は店を後にする。風俗街に出ると、周りは既に暗くなり多くの人が行き交っていた。

 

「…………やっぱり感じるんだよなぁ」


 ボソッと小さく呟く乱子。顔は動かさずに灰色の左目と黒色の右目でどこにいるのかわからない自分を見つめているを補足するべく、キョロキョロと辺りを見渡す。しかしいつも通りながら、その誰かを見つけることが出来ない。

 

「もう、今日で三週間だよ~……」


 この誰かに見つめられている状況が二学期の始まる数日前からかれこれ三週間以上続いている。いくらちょっとおバカな乱子とは言え、さすがに気持ちが悪かった。所謂いわゆるストーカーと呼ばれる者である可能性は非常に高いが、実際に付きまとってきている人間の姿を見ているわけでもなく、警察に通報しても大したことはしてくれないだろう。

 ストーカーされたら、どう対処するべきなのか。乱子は気持ち悪さと対処方法に悩まされ、最近寝不足になってしまっていた。


「……」


 乱子はとたたっと駆け出す。見つめてきている誰かから逃げるように、その場を走り去る。とりあえずいつもこうするようにしていた。


「おい。いつまでこれ続けるんだよ」

「もう少し待ちなって。十月の第一土曜、劉浦高は体育祭があるんだ」

「そこでヤんのか?」

「あぁ。待っててね乱子ちゃん……っ!」


 男三人は路地裏から走る乱子の背中を見つめ、見えなくなったところで姿を消した。影ながら見つめる男たちは、ちゃくちゃくと乱子に、乱子に近付いている――。




 △▼△▼△




「て感じで〜! もぉ最近は夜も眠れないんですぅ!」


 ファミレスの喫煙席のテーブルにて。俺の前に座る一二は困り顔で言った。一二から何やらまたも相談があるとのことで、この月見さんの働くいつものファミレスに呼び出されたわけである。ちなみに時刻は六時近く、定時制である月見さんはもういなかった。


「夜も眠れないってことは、朝昼は寝れるってことか」

「そうですね〜。授業中はほとんど爆睡してますぅって! ほらまたすぐ話ズレちゃうじゃんっ!」


 ぷくっと頰を膨らませ、ジト目を向けてくる一二。かわいー、顔ちょーかわいー。可愛い女の子からのジト目とかMにとっては超絶ご褒美なんですけどー。


「穢谷顔キモい……」

「あぁ? 誰がブスだコラ。そこそこの顔してんだろーがよ」

「ブスとは言ってないじゃない。一二見る目がキモいって言ってんのよ。どーせジト目に興奮してたんでしょうけど」


 春夏秋冬ひととせてめぇ、もしやエスパーか。春夏秋冬も俺同様に一二からここに来るよう言われていたらしい。ここへ向かう途中にちょうど落ち合ったのだがその際、『はぁ、メンドくっさ』『なんで私が……』とか何とかずっとボヤいていた。ホント自分のこと以外興味無い姿勢が美しい。


「ねぇあたしの話聞いてたっ!? ストーカーされてるんだよぉ〜?」

「それはわかったけど、俺たちに何して欲しいん? 颯々野の時みたいにボディガードでもしろっての?」

「いやそうとは言わないけどさぁ〜。ちょっと怖いからさぁ」


 小さく身をよじり、うーんと唸る一二。そのウダウダした態度が気に食わないのか、隣に座る春夏秋冬が足をゆさゆさ、腕を組んで人差し指をトントンしだした。ま、要するにイライラしはじめた。


「あんたの勘違いの可能性だってあるじゃない。あんたが自意識過剰に考え過ぎてて見つめられてる気になってるだけで。実際にその視線向けてる人を見たわけでも無いんでしょ?」

「それはそうなんだけど〜、朱々ちゃんだってわかるでしょ? あ、今この人自分の胸観てるなぁとか」

「まぁそれはわかるけど」


 いや嘘付けよ。俺がお前の胸に視線向けてても、一回も気付いたことねぇじゃねぇかよ。気付いていて指摘してきていないなんてことはないはずだし。


「でもやっぱりあたしの勘違いなのかなぁ……」

「お前顔立ち良いから通りすがりに見られてるだけなんじゃねぇの?」

「……葬哉くん今なんて言いましたかぁ?」

「いやだから顔立ち良いから通りすがりに」

「ごめんなさい~。もう一回だけ~……」 

「黙れ、もう言わん」


 どんだけ顔立ち良いって言われたいんだ。客から腐るほどそういう言葉投げかけられてるだろうに。


「本当にストーカーされてるとしても、勘違いだったとしても、何かあってからじゃ遅いのよね」

「だからってずっと一二に付きっ切りになるのも無理だろ」

「あー、大丈夫ですよそこまでしてもらわなくても~。実はただちょっと怖いなぁって思っててそれを話したかっただけですから~」

「話したかっただけ? でもお前、春夏秋冬の言う通り、マジで何かあってからじゃ遅いんだぞ」

「だけど今のところ家に何かされてるわけでもないし~、家に誰かが入った跡があるわけでもないですし~、いつも風俗街を出ると視線を感じなくなりますしぃ」


 女の子との会話はただただ黙って相槌を打つだけでいい、無駄に話を広げ過ぎるな、なんて噂(ネット調べ)もある。今回も一二はただ俺たちに話をしたかっただけなのかもしれない。人に話すことで気を紛らわせたかったんだろう。颯々野のボディガードの日に最近寝不足だと言ってたのも多分この件が関係しているはずだ。この数日間、一二はきっと不安だったのだ。

 そもそも不安とは『不』――打ち消し、否定の意味を持つ一文字と安らかという言葉で作られている。つまり不安という言葉は安らかではない心情を意味し、人間は安らかでない心情に陥るとストレスとプレッシャーのどちらかが生じる。要するにこの場合一二は、ストーカーされているかもしれないという不安が普段の平穏な日常とは逸しているため、プレッシャーではなくストレスを感じているのだ。そして一二は人に話すことで不安からくるストレスを解消しようとしたのだと思われる。

 どこぞの腹黒美少女さんも言っていたしな、ストレスを溜め込むのは良くないとか何とか。


「あたし、そろそろバイト行かなきゃ~。お二人とも、お話聞いて頂きありがとうございましたっ!」

「ん、行ってらっしゃい。客に襲われないようにねー」

「なんかあったら一応連絡しろよ」


 スマホで時間を確認し、荷物をまとめ始めた一二に俺と春夏秋冬は各々言葉をかける。すると一二は何やら口に手を当てて目を細めて言った。


「ふふっ。葬哉くんも朱々ちゃんも、ホント大好きですっ!」

「「なに急に……」」

「ううん、やっぱり二人とも優しいなぁって思って~。それじゃあ、またねっ!」


 一二は胸の前で小さく手を振り、ファミレスを出て行った。残された俺と春夏秋冬は少しの間一二の出て行った方向を眺め、やがて春夏秋冬が発言した。


「……私も帰るけど、穢谷は?」

「あぁ、俺はお袋に飯食って帰るって言っちまったから、食ってから帰るわ」

「そ。じゃ、また」

「あ、うん。また」


 クルリと踵を返して、春夏秋冬もファミレスを後にした。ホント、お互い角が取れまくってんなぁ……。別れの挨拶なんてするような仲じゃなかっただろ俺ら。

 

「お待たせしました。ご注文お決まりですか?」


 ベルを鳴らすと、すぐにやって来た研修中のウェイトレスさん。この人俺が前にパフェって言ったらサンデーって真顔で訂正してきたヤツだな。まだ研修なのか。

 俺は注文を済ませ、他に客もおらず空いているお陰で結構早めに注文したものが届き、大して待たずに晩飯を食うことが出来た。そう言えば、春夏秋冬に平戸さんから仕入れた校長の過去情報を言うのを忘れてしまった。後でラインして時間を作ってもらうとしよう。……ラインめっちゃ便利だな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る