No.9『凉弛の苗字は佐々野じゃなくて颯々野なんスけど』

 翌日土曜日、一二つまびらから駅前に集合してくれと連絡があったため、俺は駅内のベンチに腰掛けてボーっとしていた。私服姿でせめてもの変装としてコンタクトはせずに眼鏡をかけてきた。風俗街に行くんだ、それくらいはしておかなくては。前来た時はがっつり制服だったけど。


「おーい、穢谷けがれやくーん」


 前方から小さく手を挙げてこちらに歩いてくるニタニタ笑顔の平戸ひらどさん。灰色の無地パーカーにジーンズだけで荷物は何も持っていない。ラフな格好だが、何故か平戸さんらしいなと思ってしまった。いや、平戸さんがラフが似合う容姿と言うべきか。


「あれw、穢谷くん眼鏡かけてるじゃん! 普段コンタクトだったんだー」

「風俗店行くからには、ちょっとは変装しないといけないかなって思ったんで」

「あ、じゃあ伊達眼鏡?」

「いや普通に目悪いんで度付きですよ」


 小三で目が悪くなってから初めて眼鏡をかけた時はすごかったなぁ。ボヤけていた世界がはっきりと見えるようになったあの瞬間のあの感動は目が悪くならないと味わえない特権だ。かと言ってそれを味わうために目を悪くするかと言えば絶対しない。

 それから眼鏡に慣れて中学生でこれまた初めてコンタクトを付けた時は感動ではなく、興奮した。眼鏡で視力は矯正出来る。だけどやはり重みなどでかけているという意識が存在していた。それに対してコンタクトというものは何もかけない、重みも感じない。目に入れるだけで視力が常人になれるのだ。初入れの時は鏡の前でビビりながら苦労して入れたけど、入った後の興奮はすごかった。すご過ぎてひとりで『ふぉぉお!?』って声出してお袋に超笑われた。


「ふーん、目が悪くないと味わえない感動かーw。ボクはちっとも悪くないからなぁ」

「視力いくらぐらいなんですか?」

「確か1.6と1.5だったかな」

「めちゃめちゃ良いな……」


 1.6と1.5って、どんだけ目に優しく生きてたらそんな高い数値維持出来るんだ。羨ましい、目が良いってやっぱり羨ましい。


「レーシック受けたらいいじゃんw!」

「簡単に言いますけど、レーシックってめっちゃ高いんですよ? 片目で二十万とかしますし、そもそも目にレーザー当てるとか俺怖くて嫌です」

「ビビりだなぁw」


 だってジリジリ焼ける音とか焦げてる匂いがするらしいんだぜ? 麻酔で痛くないとしても怖過ぎる、俺絶対無理。想像しただけでも血の気が引いて貧血なる。

 にしても話は変わるけど、ホント平戸さんは人との距離の詰め方が上手い。まだ出会って二週間ちょっとしか経ってないし、その二週間のうちの数回一緒にいただけなのにこんなに会話が繋がっている。無愛想の極み乙男オトメンの俺は、普通だったら数回会ったくらいの人とこんなにスラスラ会話出来ない。そうとうな潜在陽キャ能力(潜在的に秘めている陽キャスキルの手数のこと、今考えた)が無くてはなしえないことをやっているのだ。

 平戸さん実はめちゃめちゃ陽キャ説を推論していると。


「あ、いた~! 葬哉くんっ!」


 ノースリーブのマキシ丈ワンピースに身を包んだ一二が改札口のところから駆けてきた。ばいんばいん揺れてる無防備な胸は誘っていると思っていいんでしょうか。


「ごめんなさい、最近ちょっと眠れてなくって……寝坊しちゃいました〜」

「眠れてない?」

「はい、そうなんですよぉ~……まあ今はそれはいいんですけど、そっちの男の子はどちら様かなぁ?」


 一二は俺の隣に座る平戸さんを見つめて小首を傾げ、年下に話しかける感じの口調で問う。やっぱり平戸さん初見は中学生くらいに見えるもんなぁ。多分一二も自分より年下だと思っているはずだ。身長もちょっとだけ平戸さんが高いくらいだし。


「一昨日言ったろ? ひとり連れてくるって。ま、ホントはこの人の予定じゃなかったんだけど……」

「よろしくね一二ちゃんw! ボク平戸ひらど凶壱きょういちでーすw。これでも劉浦高校の三年生だよ」

「えぇっ!? 葬哉くん、うわなりくんとうさぎちゃん以外に知ってる先輩いたんですね~……」

「やっぱお前俺のこと完全にバカにしてるよな?」


 てか驚くポイントそこかよ、自分より先輩だったことに驚けよ。


「穢谷くんから事情は聞いてる。大変だよねぇ先輩ってw」

「そうなんですよぉ。もうずっと手を焼いてて~、あたしが先輩に向いてないだけなのかもしれないですけど~」

「そんなことはないさw! 人間、生きる上で必ず何かしらグループに所属することになる。その中で必然的に先輩後輩関係は発生し、君みたいに先輩という存在に位置し思い悩む人はたくさんいる。つまり何が言いたいかって言うと、同じ悩みを抱えている人は他にも大勢いるからそんなにヘコむ必要無いよってことねww」


 やけに難しいことを言い出したと思えば、すぐにいつも通りニヤニヤヘラヘラした表情に戻る平戸さん。ホント、変な人だ。


「それじゃあ時間も勿体無いしさっさと行こう! いやー風俗街なんて初めてだから緊張するなぁw」


 そう言って平戸さんはひとり勝手に歩き出した。とても緊張してるようには見えないんですが……。


「なんか、平戸くんって校長先生と雰囲気似てますね〜。あのいっつも笑ってる感じとマイペースなところ」


 平戸さんの背中を追いかけて小走りすると、一二がポソっと囁いた。やはり、一二も俺と同じ感覚を持ったようだ。東西南北校長と平戸さんは似通った点が多く、そして明らかに二人の間には何かしらの秘密が存在している。

 そういや春夏秋冬ひととせから平戸さんと絡む時は校長の過去を探るようにしろって言われてたんだった。ボディガード中にちょいとガサ入れしてみるか(言ってみたかった)。




 △▼△▼△




 風俗街はさすがに明るい時間ということもあってか人通りは少なかった。看板持って行き交う人々に話しかけるキャッチのお兄さんがチラホラと見える程度で、前に春夏秋冬と共に一二の援交の証拠写真を撮りに行った時よりもピンクっぽい雰囲気が薄れている。だけどそれでも平戸さんは田舎から東京出て来て、キョロキョロ高い建物見て目を丸くしてる田舎者みたいになっていた。

 そして一二の案内で一二のバイトしているソープランドに入店。バックヤードに案内され、一二は店長を呼んで来るとどっかに行ってしまった。


「いやーそれにしても、客として来る前にタダ働きで来ることになるとは思わなかったなぁw」

「すみません、一番合戦さんの代わりに来てもらっちゃって。平戸さんにも受験とかあるんですよね」

「まぁ大丈夫だよw。ボク、中間結構良かったし」

「順位上位だったんですか?」

「うん、クラス一位で学年三位だったー」

「え……っ!?」


 嘘でしょドチャクソ頭良いじゃん……。俺の勝手なイメージでは、順位超真ん中辺りの良くも無く悪くもないめちゃくちゃ普通な点数取りそうって感じだったんだけど、全然違った。顔で判断しちゃいけないってことか。平戸さんが普通な顔だとは言ってない、断じて無い。


「編入試験も思いの外簡単だったし、この学校そこまで偏差値は高くないよね?」

「はあ。まぁ確かに市内じゃ真ん中より下くらいですかね。でも学校そのものが人気だから毎年定員オーバーらしいですよ」


 そう考えたら俺よくこの高校受かったなー。神様に感謝だわマジで。合格祈願とか一切してないけど。なんかそういう大事な時だけ神様に頼むって図々しいっしょ。


「だよねーw。クラスの子に聞いてみたら、花魁先生が学校の仕組みとかいじくってから人気が出始めたみたいだったし」

「へー」

「あの屋上テラスも元は普通に立ち入り禁止の屋上だったらしいしね」


 なるほど。今じゃ陽キャのランチプレイスとなっているあのシャレオツ空間は校長の手によって作られていたのか。あの人多分元のスペックは高いんだろうけど、使おうとしないんだもんなぁ。

 程なくして、一二が髭面だけど優しそうな顔をした中肉中背男を連れて戻って来た。

 

「おー、君たちが乱子ちゃんの先輩さんたちかな?」

「はあ」

「あ、僕はこの店の店長してます、徳利とっくりです」


 徳利店長は胸ポケットの名刺入れから名刺を取り出し、俺と平戸さんに一枚ずつ手渡す。うおー、初めて名刺貰った。なんかよくわからんけどちょっとニヤけちまう。


「こっちの身長高い方が穢谷葬哉くんで、こっちの身長低い方が平戸凶壱くんですっ!」

「穢谷くんと平戸くんね。よろしくー」

「一二ちゃんw、もう少し紹介の仕方あったんじゃなぁいw?」


 平戸さんのゆるいツッコミは流され、徳利店長は本題に入った。


「乱子ちゃんから聞いてるとは思うんだけど、君たち二人にはうちの店の新人の子のボディガードをしてもらおうと思います」

「あの、そういうことってよくあるんですか? 客とマンツーマンが怖いから見張り付けるみたいなこと」

「ないね。この業界長いけど、あんなにワガママな子は初めて会ったよ……」


 心底疲れ果てている声音で徳利店長はため息交じりに言う。一二の持ってきたお茶に口をつけ、話を続ける。


「本当ならうちのボーイにさせればいい話なんだけど、人手不足でそれにまで手が回らなくてさ」

「それで外野から手を借りることにしたってわけですか」

「そういうわけだね。いやマジでありがとね。ちゃんとバイト代は出すから」

「おー、やったね穢谷くんw! タダ働きは避けられそうだよw」


 嬉しそうにガッツポーズを取る平戸さん。確かにタダ働き覚悟で来ていたので、報酬があるのはありがたい。しかし俺はひとつ疑問を持ってしまい、そちらに気を取られていて平戸さんほど大きく喜べなかった。


「その新人は、皆さん手を焼いてるほどワガママなんですよね?」

「ん、まあそうだね。超ワガママだね」

「だったらどうしてずっと雇ってるんですか? 店に悪影響な与えるようなヤツ、すぐ切り捨てればいいと思うんですけど」


 風俗とは違うが、仕事が出来て仕事熱心なヤツ、仕事効率は良いけど全然やる気ないヤツ、そして仕事の効率はちょっと悪いけど仕事には熱心なヤツの三人がいたとして、一般企業における採用順はもちろん一番目の人間だ。当然、仕事出来て仕事熱心な人材は会社に必要不可欠だからだ。そして二番目だが、仕事効率良いけど全然やる気ないヤツ、ではなく仕事は出来ないけど熱心なヤツになるのである。

 意外なようにも思えるが、よくよく考えればこれも当然のことで、いくら仕事が出来ようとその仕事への意欲がなくては意味がない。やれば出来るのにやろうとしないようなヤツ欲しいとは思わないだろう。だからちょっと仕事出来ないヤツでも仕事に熱心に取り組む人材の方が採用される可能性は高いのだ。

 要するに何が言いたいかって言うと、その新人ソープ嬢は仕事に不真面目で店に悪影響を与えるようなヤツだと言うのなら、無理に雇っておかず、即刻解雇するべきなのではないかと言うことだ。


「うーん、まあ確かに穢谷くんの言う通りなんだけど、完全に悪影響があるわけでもないんだよなこれが」

「と言うと……?」

「実はね、その新人……結構可愛いのよ!」

「……はあ」

「乱子ちゃんにも驚かされたけど、あんなに可愛い子が自分からうちのバイト面接受けに来たんだ、手放す手はない! パネマジもしなくていいしね!」


 ……なるほど、風俗店の店長として可愛い子は店に置いておきたいという願望があるのか。


「だけど、一二ちゃんもそうだしその子も未成年だよねw。いいんですか雇っちゃってww」

「あー、いいのいいの。バレなきゃ」


 ホントに一二の言っていた通りのことを言う徳利店長。なんてテキトーな店長だ……。バレた時のこと考えてねぇのかよ。

 徳利店長のあまりのテキトーさに戦慄しているその時だった。俺たちのいるバックヤードにひとりの少女があくびしながら現れた。その少女は三白眼ながらもそれに見合った顔の作りをしていて結構可愛らしい。だが俺と平戸さんの存在に気付いた途端、ジトっとした目付きで俺たちを見つめ――。


「うわっ、この二人が凉弛すずしの護衛っスか?」


 開口一番、その少女は俺と平戸さんを見るからに嫌そうな顔をして言った。さすがに初対面の人に『うわ』はダメでしょチミ。


「コラ失礼でしょ凉弛ちゃんっ! 二人は凉弛ちゃんのために来てくれたんだからね~?」

「あー、確かにそっスね。でも風俗でボディガードして欲しいなんて言われて来ちゃうって、お二人とも暇なんスか?」 


 ニマッと口角を上げて俺と平戸さんを茶化してくる少女。なるほど、ワガママな上に年上への態度ナメ腐ってる系女子か。嫌いだわー、マジで。イキんじゃねぇぞ中坊が。


「もぉまたそう言うこと言う……。ごめんね〜二人とも。えっと〜、この子が二人にボディガードしててもらう颯々野さっさの凉弛すずしちゃん。凉弛ちゃん、こっちの身長高い方が穢谷葬哉くんで、身長低い方が平戸凶壱くん」

「ちーっス。颯々野さっさの凉弛すずしでーす、JC3やってまーす。穢谷先輩と平戸先輩ね、覚えましたー」


 へこっと頭を下げる颯々野。彼女は荷物を下ろし、上座のひとり用ソファに腰掛ける。そして徳利店長の分だったお茶を喉に流し込み、俺と平戸さんに向かって口を開いた。


「いやーにしても、二人ともウェーイ系からはだいぶかけ離れてるっスね」

「悪いか?」

「悪くはないっスけど、パッとしない男ってモテないっしょ? 凉弛はモテる男が好みなんで」


 いや聞いてねぇよお前の好みなんざ。どうでもいいわ。


「それよりも、凉弛のことちゃんと守ってくれるんスよね? 二人ともヒョロいっスけど、凉弛がピンチの時に大丈夫っスか?」

「任せてよww! ボクたちが君のことしっかり見張って守ってあげるからさw」

「ま、実際会ってみたら全然守りたいと思えるようなヤツじゃなかったけどな」

「……」

「ちょ、葬哉くん~……」

 

 俺の言葉に颯々野は動きを止め、一二はバツの悪そうな顔で俺を呼ぶ。


「……凉弛、先輩とは初対面だけど多分嫌いなタイプっスわ」

「ほぉ。奇遇だな佐々野ささの、俺もお前のこと結構嫌いだよ」

「凉弛の苗字は佐々野じゃなくて颯々野さっさのなんスけど、耳大丈夫っスか?」


 バッチバチに目線で火花を散らす俺と颯々野。その様子を見て一二は不安げな顔をし、徳利店長はため息を吐き、平戸さんは言うまでもなくいつも通りヘラヘラ笑っていた。

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