放課後体育館(86―エイティシックス―学園if)

 がこぉん、と硬めのボールが金属の輪とボードに当たって跳ね返る音と、床に落ちて跳ねる鈍い音、何人かの生徒がぎゃあすか騒ぐ声。

大半は男子生徒で、一部は女子生徒だ。


「――だぁああああっ! くそ外したッ!」

「ふむ、チャンスだなセオ。うてうて!」

「いやカイエ、わかってるけど滑るんだってば! ―――あぁああああもうやっぱり!」

「悪ぃな二人とも。決めるぞー」

「……って言って外すライデンさんってばステキー! 惚れるー」

「うるせえなダイヤ! バスケ部なのに最初に脱落したのどこのどいつだよ!」

「だって滑るんだもんよしょうがねえじゃーん」

「入ったああああ! よっしゃ抜けたぁああああ!」

「シデン、寄こせ」

「おーよ! 二人とも潰しちまえ!」

「シン! ちょっと!」

「お前らこういう時に限って、――あっクソ!?」

「……何やってんだお前ら」


 がらりと金属扉を開けて、その扉にそのまま肘をついた姿勢でイスカは問う。濃紺のブレザーに映える生来の銀髪と、三年生の金縁の校章。

 バスケットコートが二面とれる、この高校自慢の広々とした体育館だ。その一角、床にテープで描かれた台形の短辺――いわゆるフリースローラインからずらっと並んだ十人ばかりの少年少女と、その列からは少し離れてたむろしているやっぱり十人くらいが一斉に振り返る。

 天井から吊り下げられたバスケットゴールの下では、長身の少年と小柄な少年――たしか、ライデンとセオ、といったか――が揃って悲嘆に暮れている。

 状況からしてバスケットボールとゴールを使って遊ぶ、ゲームの一種をやっていたらしい。一列に並んで順にフリースローをうち、外した場合は入るまでゴール下でシュートを繰り返す。その間に後ろの者にシュートを入れられたら脱落、という単純なゲームだ。ボールの数は見る限り三つ、つまり最大二人が同時に脱落するルールである。

 床でてんてんと跳ねていた古いバスケットボールを拾いにいって(途中滑って転びそうになった)戻ってきたシンが答える。


「ノックアウト、でしたっけ?」

「だれもゲームの名前なんか聞いてねえよ。今体育館、ワックスがけしてるんじゃなかったのか」


 そんな理由で本日、体育館を使用する部活は全て休みになっていたはずだったのだが。

 くじ引きで各部から徴兵されたワックスがけ要員の一人であるところのシンは、体育館の隅に目をやってから言う。そこにはワックスがけに使われたモップがやたら大量に、投げ出されたまま寂しく放置されている。

 ちなみにこの高校は武道場が別にあるので武道系の部活は体育館を使わないのだが、そこは持ちつ持たれつ。グラウンドの整備とか武道館周辺の落ち葉掃きとか今回のワックスがけとか、そういう大掛かりな作業は全運動部から人員が提供されるきまりだ。


「今日、暇だった奴が多くて。それで思ったよりも早く終わって」

「…………」


 と、言うには妙に面子がシンの交友関係に偏っているように見えるのだが。

 最初からワックスがけをさっさと終わらせて、その後体育館を占有して遊ぶつもりだったようにしか正直みえない。


「百歩譲ってそうだっとしても、ワックス掛けたばっかのフロアであんま馬鹿やってんじゃねえよ。かけた意味なくなるだろうが」


 つるつるつるつる滑りやがってからに。

 と、言ってはみたものの、シンは気にする風もない。

 イスカはシンの一学年上で、部は違うが運動部同士なので、一応シンは敬語を使ってはいるが全く敬われている気がしないイスカである。


「少し時間はおきましたし……アリス先輩が、まあいいんじゃないかって」

「あいつは……」

「なんだイスカ? 文句があるなら聞くぞ?」


 見やった先、早々に脱落したらしい剣道部の女主将が、長い黒髪をさらりと流して小首を傾げた。

 にっと口の端を吊りあげて笑うアリスに、イスカは舌打ちして目を逸らす。一年生の時から三年間同じクラスの腐れ縁の彼女のことが、イスカはどうにも苦手だ。


「やるか。滑る」

「それが面白いんだろう」

「そう言ってお前、一年の時に今日みたいにワックスがけしてたら時間が余ったからって、ドッジボール俺にやらせてすっこけたところにボールぶつけてきたじゃねえか」

「はて? なんの話かな?」

「……主将、だからやけにドッジボールやりたがったんですか……」


 シンがぼそりと呟いたのは、どうやらアリスには聞こえなかったらしい。


「ったく……。言っとくが、校舎の方まで聞こえてるぞ。そのうち誰か来るんじゃねえか……ん、」


 噂をすれば、というところか。

 背後に何か、多分逆らったらいけない類の存在の気配を感じてイスカは一瞬身をこわばらせる。

 眼前の後輩には気取られないように押し隠しつつちらりと目をやり、それから無言のまま背後のそれに場所を譲った。横をすり抜けていく、彼に比べればまるで小柄で華奢な、ぎんいろの長い髪の少女。

 少女が口を開く。淡い花の色の唇。柔らかな笑みの形の。

 銀鈴の声。


「――シン?」




 その時およそ動揺したところなど見たことのなかったシンが、はっきり顔を引きつらせるのを、イスカは見た。




「ワックスがけだって聞いてましたけど、さぼって一体、何をしてるんですか?」

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