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86―エイティシックス―誕生日掌編/五月十九日

 ――みんなでお祝い、しましょうね。

 そう、確かに自分は言ったのに。




「……まあ、見事なくらい次の任務にかぶったわよね」

「ええ……」


 代用コーヒーを一口含んでからアネットは言い、その前でレーナはこれ以上ないくらいわかりやすくしょんぼりする。

 五月十九日。シンの誕生日。

 本人は忘れ去ってしまっていたが共和国に残っていた記録から判明したそれを、レーナとしては祝ってやりたかったらしいのだが。

 第八六機動打撃群本拠、リュストカマー基地。日中であまり人のいない士官クラブの一角で、レーナは雨に打たれすぎた白い儚い花のように、一人掛けのソファの肘掛けに突っ伏している。

 これ部下には見せられない姿よねと思いつつ、アネットはお茶請けのビスコッティをつまむ。

ヘーゼルナッツも、南方産で連邦でも今では貴重なココアも本物だ。おいしい。


「派遣先は連合王国だっけ? それも割と、前線にいずっぱりになりそうだって」


 その日を含めたとりあえず五月いっぱい、第八六独立機動打撃群に他国への派遣任務が通達されてしまったのではどうしようもない。


「わたしたちは軍人だから……そうなるのも覚悟の上だもの……」

「セリフと表情が一致してないわよレーナ」


 仔猫だったら耳と尻尾がぺたんこになってる感じだ。


「……ていうか、もしそうじゃなかったとして、祝えるの? あんた最近、シンと全然話してないじゃない」

「それは……」


 更にしゅん……としてしまった。

 共和国への派遣任務後、シンとの間でどんなやり取りがあったのかは、アネットも概要は聞いている。

 まあ、当然だろうがそれ以来互いに気まずい雰囲気になってしまっているのも。

 多少無理にでも、話をするにはいい口実だったはずなのにねと、思いながらアネットは二つ目のビスコッティをコーヒーに浸す。

 あと、このしょんぼりレーナを写真にでも撮って送ってやったら、それはそれでいいプレゼントじゃないかと思わなくもない。

 その程度の悪戯はしてもいいかと思える程度には、かつての幼馴染について踏ん切りがついて、今の同僚としてのシンにも慣れてきたアネットである。


「まあ、でも、シンに限らず、エイティシックスたちってば自分の誕生日なんて覚えてないし当然祝いもしなかったし、調べればわかるようになった今だって聞きにきやしないんでしょ? 何もしなかったからって、別に気にしないと思うけど」


 便宜上の適当な日付が入っていた人事書類の生年月日欄が、いきなり一個旅団全員分変更になっていろいろ手続きに奔走して、にもかかわらずエイティシックス本人は確認にも来なくてお冠の事務方は、全員の誕生会(何しろ数千人もいるのでほぼ毎日)を本気で企画しているが。

 さすがに毎日は無理があるので、“その月生まれ”をまとめて一日で祝う方向でグレーテが調整に入ったようだが、とりあえず五月生まれのシンとついでにクレナについては、それもだいぶ厳しそうだ。

 がばっとレーナは身を乗り出した。


「気にしないからこそ! ……ずっと、そんなことも気に留めていられなかったからこそ、これからはそういうお祝い事も、当たり前にしていければって……思ったのに……」


 またしてもしょんぼりしてしまった。

 面倒くさいわねと正直思いつつ、アネットは言う。


「とりあえず、プレゼントだけでも渡せば?」

「えっ」

「喧嘩する前に、買ってきてあるんでしょ。シンと、あとククミラ少尉と一月遅れちゃったけどリッカ少尉の分。隣の街までいって、丸一日潰してあっちこっち見て回って」


 時間配分が一人に偏ったろうことは想像に難くないが、その辺の公平まで求めるのはさすがに野暮というものだろう。


「でも……その、大尉も今は派遣の準備で忙しいですし……」


 今度は何やらうじうじし始めた。

 ほんっと面倒くさいわねと思いながら、アネットはそれを取り出す。ああもう。

 レーナが渡さないんじゃ、迷惑かけたからとかそういう口実で用意してきた、あたしのプレゼントも贈れないじゃない。


「じゃあ、そんな意気地なしのレーナさんに、大親友から名案があるんだけど。……聞く?」


 ああ、あたしったらほんといい奴。




「――ノウゼン大尉。落とし物が届いてましたよ。どうせこれ大尉のでしょう、こういうよくわかんない小難しい本」

「? ああ、悪い」


 普通はわざわざ届けには来ないはずの遺失物係の伍長がなぜか突然押しつけてきたのは、待機室に置きっぱなしにしていたらいつの間にかなくなっていたハードカバーの書籍だ。

 読みさしではあったものの、相変わらず読書はシンにとっては〈レギオン〉の声から気を逸らすための行為にすぎない。猫かフレデリカあたりの悪戯だろうと、思ってそのままにしておいたのだが。


「……ん、」


 気づいてシンは片手でその書籍を開く。分厚く重い紙の重なりが、自然とその箇所で開かれる。

 ページの隙間に挟まっていたのは、栞代わりにしていた適当なメモ用紙ではなく、薄く伸ばした銀板に緻密な透かし彫りを施した、金属製の栞だった。

 摘まみ上げると、重なっていたエンボスのカードがはらりと落ちてページに横たわる。かすかに香る、聞き覚えたヴァイオレットの甘い清冽。

 ヘリオトロープのインクの文字は、この一月あまりと二年前の半年で見慣れた流麗な筆跡だ。わざわざオーダーしたものらしい、篝花(リコリス)とそこに佇む〈ジャガーノート〉の図案化された紋様。




『お祝い、来年こそやりましょうね。……お誕生日おめでとう』




「……さすがに少し、気が早いですよ、レーナ。まだ半月も先です」


 その頃には自分たちは戦地にいるだろうから、仕方がないのだろうけれど、と。思ってシンは書籍を閉じる。

 七月には。――何やら今、気づかれていないつもりで廊下の向こうをぱたぱた逃げていった誰かの誕生日には、帰還できていればいいのだけれど。

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