― フラグメンタル・ネオテニー ―

Pledge

Pledge〈1〉

 恐怖はなかった。


 初めて立った戦場だというのに、欠片たりとも。


 大気を切り裂き、また叩き割るような砲号の激甚も。立ちはだかる〈レギオン〉の――その一種である重量五〇トンもの自律無人多脚戦車の威容も。コクピットに忍び込む焼けた鉄の臭いも自機のやかましい走行音も激しい振動も、この距離では腹の底にびりびり響く、断末魔の嘆きも。


 会敵とほぼ同時に徹甲弾の直撃を喰らい、真横でアルミ合金と血肉の混合物に変わった、僚機の無惨な姿でさえも。


 訓練所で一番、仲の良かった友人だった。


 一月ひとつきにも満たない訓練期間の中、それでも顔も名前も笑った顔も、よく知っている相手だった。


 一瞬だった。〈レギオン〉の一二〇ミリ高速徹甲弾APFSDSの初速は一六〇〇メートル毎秒。砲声が届くよりも砲弾が命中する方が早いし、その超高速と劣化ウラン弾芯の重量がもたらす莫大なエネルギーは、〈ジャガーノート〉の薄い装甲を易々と貫通する。ましてその中の脆弱な人体など。


 即死――だったろう。


 何が起きたかも、理解できたか。


 それが救いであるのか否かは、未だ彼にはわからないけれど。


 焔の色にか、人血の焼ける臭いにか。あるいはちりちりと膚を焼く、戦場の空気そのものによるものか。


 かちりとスイッチが入るのを知覚する。


 彼自身も知らなかったスイッチ。平和の中に暮らしていれば生涯、存在さえ意識することもなかっただろう――闘争本能とでもいうべきものの。


 敵機の照準が向くと感じる。砲塔内部の自動装填装置が、次弾の装填を完了させたと何故かわかる。寸毫遅れて実際に砲塔が旋回を始めた時には、彼は操縦桿を横へと倒し、回避の軌道に自機を乗せている。


 砲声。


 至近距離を掠めた徹甲弾の、まとう衝撃波が装甲を叩く。薄っぺらなアルミ合金装甲がびりびりと悲鳴を上げるが、さすがにこの程度では破断されない。流れ弾を喰らった背後の不運なビルディングが、がらがらとコンクリートの内腑はらわたを零す苦鳴。


 自機の――〈ジャガーノート〉の射線が通る。斜め前方に回避した彼の前に、〈レギオン〉は無防備な側面を晒している。


 見据えて、彼――かつて人間と扱われていた頃にはシンエイ・ノウゼンの名を持っていた、ようやく十一の年を数えたばかりの幼い処理装置プロセッサーは、トリガを引いた。






 小隊四機がかりでようやく戦車型レーヴェの一輌を倒した直後、二機分隊を組ませていた新入りの〈ジャガーノート〉の一方が、会敵と同時に別の戦車型レーヴェに喰われた。


「クルス!? しまった……!」


 ちらつく粉雪と〈レギオン〉の群の向こうに垣間見えたその様に、東部戦線第三五戦区第一戦隊“ハルバード”戦隊長、アリス・アライシュは舌打ちを零す。


 今死んだテイト・クルスは、ろくな訓練も受けずに戦場に放り込まれる幼いプロセッサーたちの中では、珍しく見込みのある少年だった。呑み込みが早く、肚が据わっていて、明朗で果断。十代初めの、まだ背も伸び始めていない新入りたちのリーダー的な存在だった。


 彼なら後衛の火力拘束役くらいはなんとかこなせるだろうと、踏んでいたのだが。


 やはり失策だった。いくら戦隊が定数二四名を大きく割って人手の足りない状況とはいえ、新入り同士を組ませるべきではなかったのだ。


 あらゆる性能と数においてこちらを上回る〈レギオン〉との戦闘は、常に苛烈を極める。入隊から一年後まで生き残れる奴は千人に一人にも満たない。そんな戦場で。


 生き残った方の〈ジャガーノート〉は動かない。貧相な四脚の機体に一対の重機関銃とワイヤーアンカー、五七ミリ滑腔砲一門を備えた、四つ足の蜘蛛のような尾を振りかざす蠍のような、彼女たちエイティシックスの相棒にして最後の寝床。


 その〈ジャガーノート〉の操縦士プロセッサーである、無口でおとなしげな少年を思い出してアリスは歯噛みする。テイトとは真逆の、多分この子は長生きできないだろうなと内心感じた、一際小柄な最年少の少年兵。


〈ジャガーノート〉は動かない。


 それはアドレナリンの作用で時間の引き伸ばされたアリスの目に、友人の無惨な死と敵機の威容に身竦んでしまったように映る。


 近くに援護可能な友軍機はいない。


 救出に行ってやろうにもアリス自身、未だ敵機の群に囲まれている。


 もう遅い。何もかも無駄だ。


 それと知りつつ叫んだ。


「――ノウゼン! 退がって……」


 その時。


〈ジャガーノート〉が動いた。






 五七ミリ戦車砲弾はあやまたず戦車型レーヴェの砲塔側面に突進し――ものの見事に弾かれた。


「……駄目か」


〈ジャガーノート〉のメインスクリーンにそれを見て取り、シンは呟く。戦車は砲塔周りの装甲が特に厚い。それは教えられて知ってはいたが、正面に比べて多少薄いはずの砲塔側面装甲でさえ、〈ジャガーノート〉の主砲では貫徹できないらしい。


 戦車型レーヴェの光学センサと戦車砲の照準が彼の〈ジャガーノート〉に向く。見て取ると同時に兵装選択を二挺の一二・七ミリ重機関銃に切り替えて掃射。……当たり前だがこれも効かない。ただしセンサ付近への着弾に戦車型レーヴェは一瞬脚を止め、その間にシンは射線を逃れる。


 戦車型レーヴェ砲塔上部の重機関銃が旋回して彼を追う。〈ジャガーノート〉は戦車型レーヴェとは異なり、正面装甲でさえ重機関銃弾を防げない。後退して弾幕を回避。続けざまに横に移動。撃ち放たれた一二〇ミリ戦車砲弾の軌道からぎりぎりで退避する。


 ふぅっと短く、鋭くシンは息をついた。


 機銃はどうやら、役に立たない。戦車型レーヴェを相手どるにはまるで火力が足りない。


 操作に対する〈ジャガーノート〉の反応が遅い。跳躍も旋回もできない戦時急造兵器は、追従性さえ果てしなく悪い。


 より装甲の薄い後部、あるいは砲塔上面を狙える位置に、回り込むことが今のままではどうしてもできない。


 敵機の巨影を見据えたまま、年齢に不釣り合いに醒め果てた、血赤の双眸がしんと冷える。


 どこか対峙する戦車型レーヴェの光学センサにも似た、冷徹で無機質なその瞳。


 ……それなら。






 戦車型レーヴェの一射目を躱したのは、偶然か強運だと思った。


 だが続く機銃掃射、戦車砲の第二撃まで回避したとなれば、それはもはや運や偶然で片付けられるものではない。


 多脚機動兵器フェルドレスのくせに運動性能の低い〈ジャガーノート〉に特有の、どこかもたついた無様な動きで横に回避したシンの機体が、そのまま戦車型レーヴェめがけ弾かれたように吶喊する。


 意図を悟ってアリスは戦慄する。


〈ジャガーノート〉の五七ミリ砲の威力は低い。比較的軽装甲の軽量級〈レギオン〉ならともかく、重量級の戦車型レーヴェには正面は無論、側面でも距離次第では弾かれる。


 だが、敵機に接近すれば――飛翔した距離に比例して減衰する砲弾の速度を、距離を詰めることで維持し、より多くの運動エネルギーを弾着時まで保持できれば。


 理屈の上ではそのとおりだ。


 だが一二〇ミリ戦車砲の大火力と六〇〇ミリ圧延鋼板相当の装甲防御、何より〈ジャガーノート〉など及びもつかぬ理不尽な機動性能を誇る戦車型レーヴェに単騎、近接戦を挑むなどまるきり正気の沙汰ではない。


 まして今日たった今、戦場に出たばかりの少年兵が。


「よせっ――」


 戦車型レーヴェが向きなおる。


 鈍足の〈ジャガーノート〉の身の程知らずを咎めるように、嘲笑うように、五〇トンの巨体が無音のままに地を蹴った。高性能のアクチュエーターとショックアブソーバーによる、〈レギオン〉特有の無音機動。静止状態から一瞬で最高速度に達する猛烈な加速で、瞬く間に〈ジャガーノート〉の眼前に迫る。


 虫けらを踏み潰さんと戦車型レーヴェがその鉄杭のような脚を振りかぶるのと、シンの〈ジャガーノート〉が斜め前方の地面にワイヤーアンカーを撃ち込むのがほぼ同時。


 巻き上げられるワイヤーに引きずられて地を滑った〈ジャガーノート〉が、蹴撃の下を潜り抜ける。戦車型レーヴェ側面に再び侵入。


 零距離。


 五七ミリ砲が咆哮した。


 今度は車体側面、砲塔よりは装甲の薄い箇所に、本来戦車砲の間合いではないほどの至近距離から。回避のしようもないタイミングで。高速徹甲弾が直撃する。今度こそ、その装甲を貫いた。


 内部構造を破壊された戦車型レーヴェが火を噴く。次の瞬間劣化ウラン弾芯の発火作用で、砲塔内部の弾薬が誘爆して吹っ飛んだ。


『な……』


 知覚同調パラレイドを通じた戦隊員の誰かの驚愕が、耳に届く。


 無理もない。アリスもまた息を呑み、その光景から目を離せない。刷り込まれた殺戮本能以外に意志も感情もない〈レギオン〉でさえも、状況を解しかねたかのように束の間戦闘を停止している。


 戦車型レーヴェを鉄色の影に変えて内包し、瓦礫を覆う雪を溶かして、赤く黒く焔は燃える。その照り返しが、佇む〈ジャガーノート〉の装甲を朱く染める。


 乾いた骨の色をした、まだ真新しい、白茶の機体。




 それは無くした己が首を探して戦場を這いずり回る、首のない不吉な骸骨に似ていた。



■ついに幕を開けた完全新作『86―エイティシックス― ―フラグメンタル・ネオテニー ―』。まだ死神になる前の、幼なきシンの運命が向かう先は――次回、4月28日更新!■

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます