第36話 疾風のレッドローズ

 レッドローズ号がシャープ兄弟の船へ移動を開始すると同時に、相手も挟み撃ちを狙ってゆっくりと左右に展開を開始した。


「さあ、アサシンだったらどう攻める?」

「そうだなぁ……向こうはゆっくり動いているってことは、ある程度のパターンを想定している気がする。だったら狙い目はパターンに当てはまらない行動を行ったときに生まれる隙を突けば勝ち目があるんじゃね?」

「ふむ、そうだな」

「まあ、問題は相手の意表をどうやって突くかなんだけどね。まず逃げるのは向こうもそれを狙っていると思うし得策じゃない」

「……となると攻撃か?」

「それも向こうからしてみれば想定内だと思う。俺がもし敵の不意を突くなら……逃走に見せかけた攻撃、そして、スピードを生かして一撃離脱を狙うね」


 海戦ゲームのRTSリアルタイムストラテジーで遊んだときの戦法だけどな……。


「副船長、お前はこの意見をどう思う」


 俺の意見を聞いたアビゲイルが副船長に確認する。


「俺も賛成だ。それに……」

「それに?」


 副船長は話を途中で止めて、アビゲイルにニヤリと笑う。


「その攻撃の仕方はキャプテンの好みなんじゃないか?」

「あははははっ、違いない!」


 彼の言葉を聞いてアビゲイルが笑った。




「よし、アサシン。コイントスだ」


 どっちを攻めるかをまた俺の運で決めるらしい。失敗しても俺の責任にしたいという悪意を感じる。


「表なら右、裏なら左ね……今度は裏だから左」

「よし面舵60度! 全砲門に砲弾は込めておけ」

「全砲門だと残弾数ゼロになるぞ」

「構わない。一発で決める!」


 副船長の報告に、彼女は一言だけ言って正面を見据えていた。


「了解、面舵60度だ! 全砲門に弾を入れておけ!」

『おーもかーじ60度!』


 レッドローズ号が左へと傾き、左に居る敵船のさらに左へ逃げるように舵を切る。

 左側の船は覆いかぶさるようにこちらから見て左へと移動、右側の船もゆっくりだが針路を同じように左へとずらして来た。


「左の敵船まで残り0.5マイル(926m)!右の敵船との距離は……0.6マイル(1111.2m)!」

「まだだ、そのままゆっくり進め」


 ゆっくりと進むレッドローズ号の前方で左の敵船から砲弾が飛んでくる。


「威嚇だ、慌てるな! ただの足止めに過ぎない」


 アビゲイルの言う通り、有効射程距離を越えて放たれた砲弾はレッドローズ号の近くへと落ちて水柱を上げる。

 左側が砲撃している間、右の敵船がさらに左へと角度を変えてこちらの右前方の位置へと移動して逃走針路を塞ぎ始めた。

 レッドローズ号は次第に囲いの中へと挟まれていく。


「左の敵船まで残り0.3マイル(555.6m)!!」

「面舵10度!」


 砲弾が飛ぶ中、レッドローズ号がさらに左へと動いて逃走を図るが、左の敵船も同じように左へと動いてこちらの進路を塞ぎ始めた。


「今だ!! 取り舵90度、速度最大!!」

「取り舵90度だ、急げ!!」

『取り舵90度、急げ、急げ!!』


 左の敵船の動きにチャンスを待っていたアビゲイルが指示を出すと、レッドローズ号が凄い勢いで進路を右へ向き始め甲板が斜めになる。

 そして、甲板が水平に戻る直前、レッドローズ号が爆発音と同時に大きく揺れた。


「被弾!! 左側面に二カ所、正面一カ所。火災も発生!!」

「修復は後回しだ! 急旋回、面舵100度!!」


 見張りからの絶叫に近い報告が聞こえるが、それを上回るアビゲイルの声が船上に響く。


「面舵100度!! 急旋回だ!!」


 今度は左へと甲板に立てないほど甲板が斜めになる。

 船に乗り慣れている何人かの船員も作業を止めて、近くの柱に掴まって堪えていた。

 再び床が水平に戻ると……。

 レッドローズ号は相変わらず二隻の間に位置していたが、左を見れば敵船の後ろ姿、右を見れば敵船の舳先が見えていた。

 逆にシャープ兄弟の船は現在の位置と角度から、レッドローズ号へ攻撃ができない状態だった。

 そして……。


「左右の敵船まで距離0.1マイル(185.2m)!!」

「全砲門、一斉射撃! 撃てーー!!」


 見張りの報告と同時にアビゲイルの号令が下り、左右から轟音が鳴り響くと敵船に向けて砲弾が放たれた。


「左右共に命中! 左側大破、右側は中破!!」

『イヤッハーー!!』


 こちらの急な動きについて来られなかった両方の船が、砲弾を避わせずまともに喰らい二隻とも炎上していた。

 俺がレッドローズ号の戦果に驚いていると、姉さんからの通信が入る。


≪レイちゃんお待たせ、今からこちらも海に出るわ≫

「海軍が出るぞ!!」


 姉さんの連絡を聞いてアビゲイルに向かって叫ぶと、彼女が驚き振り向いた。


「本当か!?」


 彼女と目が合って頷く。


「お前ら海軍が動くぞ!!」


 アビゲイルが甲板上に響き渡る大声で叫んだ。


『うおおおおおお!!』

「取り舵40度! 目標、片耳の母船だ!!」


 船員の歓声を響かせたレッドローズ号が最後の敵、片耳に進路を向けて進み始めた。




≪レイちゃん?≫

≪ああ、ごめん立込んでた≫


 放置プレイ中の姉さんが逝きそうに、違う、痺れを切らして、チャットが入る。


≪凄いわね。こちらも出航したけど殆ど倒しちゃっているじゃない≫

≪姉さん達は動かなくなった海賊船の拿捕をお願い≫

≪レッドローズ号は?≫

≪片耳を倒しに向かう≫

≪え?≫


 それを聞いた姉さんの声が驚いていた。


≪……追いつくの?≫


 驚くのも当然だと思う。

 片耳の船は沖合に居て一番近いレッドローズ号からでもかなりの距離がった。


≪さあね。だけど、片耳はアジトに篭ってなかなか出てこないらしいから、やるなら今しかないらしい≫

≪分かったわ。船長さんにお願いして私達も向かうから、無茶は駄目よ≫

≪それは俺じゃなくアビゲイルに言ってくれ……≫


 姉さんとのチャットを切って片耳が乗る船を見る。

 船は味方の船が全て被弾してたのを見て、舳先をコトカの反対に向け逃げようとしていた。


「姉御、これ追いつくの?」

「アビゲイルだ。任せろ、必ず追いついてみせる!」


 そう言い切った彼女の目は前方を鋭く見据え、片耳の船を片時も逃さずに睨んでいた。




「片耳の船まで残り3マイル(5556m)!!」

「風向きが変わったぞ、帆の角度を10度傾けろ!」

「左側面、修理完了!」


 至る所でレッドローズ号の船員が大声で叫び、船に当たる波飛沫の音を掻き消す。

 今、レッドローズ号はアビゲイルの指示の元、全員が一体となって逃げる片耳の船の倍近いスピードで追いかけていた。


「このままじゃ厳しいな」

「ああ、このままじゃな」


 前方を見据えて副船長が呟いた後、アビゲイルも同じように頷いた。


「よし、お前等、手が空いている奴は今すぐ船から不要な荷物を捨ててこい! 食料、水、砲台、いらない物を全部海に捨てて軽くするんだ!!」


 突然、アビゲイルが自然保護団体が聞いたら殺して海に捨てそうな命令を下す。

 だけど、それを聞いていた船員は一斉に船内になだれ込んでバケツリレーで次々と荷物を捨て始めた。


「……捨て身だね」

「一撃でいい。一撃さえ決まれば、後は相手の船に乗り込む!」


 俺がアビゲイルに話し掛けると、彼女は俺に笑みを見せた。

 彼女は片耳に一発でも借りを返したいらしい。巻き添えになる俺の身にもなれと言いたい。

 身軽になったレッドローズ号が帆に風を受け、最大全速で大海原を突き進み、前方の船へと迫った。




 片耳の船はレッドローズ号の速度を見て、逃走を諦め船体を横に向けていた。

 近づいてから改めて見ると、片耳の船は高さも横幅もレッドローズ号の倍近い大きさがあり、その側面には物凄い数の砲台が装備されていた。


「距離0.5マイル(926m)、敵船から砲撃開始!!」


 その砲台が一斉にこちらに向かって砲弾を放ち始める。


「そのまま進め!!」


 嵐のような砲弾が周辺で落下し水柱が上がる中、レッドローズ号はそれでも速度を落とさず、片耳の船に向かって稲妻の様に突き進んだ。




「距離0.4マイル(740.8m)!!」


 少しずつレッドローズ号が被弾して船員から被害の報告が飛び、修復活動が行われていた。

 それでもレッドローズ号は真っすぐ片耳の船へ向かって走り、自爆覚悟の突進をする。


「ラムの用意開始!」


 アビゲイルの指示でこちらに残された最後の武器でもあるラムが、レッドローズ号の先端に備え付けられた。

 後はこちらが先に沈没するか、それとも一撃を与えるか、レッドローズ号の最後の戦いが始まった。




「距離0.3マイル(555.6m)!!」

「被弾! 火災発生!!」

「消火急げ! マストにだけは燃え移すな!!」


 片耳からの砲撃が有効射程内に入ると同時に被害が大きくなる。

 手の空いている船員が必死に消火活動を行っているが、それ以上に被害の方が大きく船全体がきしみ始めていた。

 レッドローズ号は炎に包まれていたが、同時に乗組員全員の意思も熱い炎に包まれていた。




「距離0.2マイル(370.4m)!!」

「フォアマスト大破!!」

「今だけ持てばいい! ロープで支えて維持しろ!!」


 砲弾の一発がフォアマストの柱に直撃して倒れかけるが、アビゲイルの指示ですぐにロープで括って数人で抑えていた。

 フォアマスト以外の帆も弾丸が通った後がいくつも空いていて、ぼろぼろの状態だった。

 それ以外の場所でも、落ちてくる砲弾によって至る箇所で穴が開き、火災も発生する。


 レッドローズ号は何時沈没してもおかしくない状況だったが、傷だらけになりながらもさらに速度を上げて目前の船に向かった。




「距離0.1マイル(185.4m)!!」

「延焼がもう抑え切れん!!」

「消火はもう諦めろ、今はマストだけを守れ!!」


 レッドローズ号を包む炎が最大限に広がる。

 俺が居る場所にまで火の粉が飛び船の大半は破壊されていた。

 沈没していないのが既に奇跡に近い。たとえ方耳の船に届いたとしても、この船の命はすぐに尽きるだろう。

 片耳の船の甲板を見れば、敵の海賊が指をさして信じられないという表情でレッドローズ号を見ていた。

 レッドローズ号は最後の攻撃を、片耳の船目掛けて狙いを定めた。


「全員衝撃に備えろ!!」


 副船長の怒鳴り声で全員が慌てて近くの手すりに掴まる。


「うわ!」

「うおぉ!!」


 手すりを掴むと同時にレッドローズ号が波に打ち上げられ船体が持ち上げられる。

 そして、波が引くのと同時に、先頭に備え付けられたラムが片耳の船に突き刺さろうとした。


『行けーー!!』


 アビゲイルの絶叫と同時に、レッドローズ号の先端から木が炸裂する音が船上に鳴り響き、衝撃が船全体に走った。




「いてて……」


 衝撃で背後の楼閣の壁に背中を打ち付けていた体を起こす。

 周りを見れば副船長も床に倒れ、アビゲイルはまんぐり返しの状態で倒れていた。

 彼女のその体勢に少し興奮する。


 待て! それよりも一体どうなった? 慌てて前方を見ると……。

 レッドローズ号の先端はラムごと片耳の船の側面にめり込み、相手の船体に大穴を開けていた。

 この場に居る全員、まだ目の前の状況に追いつけず呆然と立ち竦んでいた。


「すげぇ……」


 この状況に思わず口ずさむ。

 レッドローズ号は片耳の船まで到着したが、いつ沈んでもおかしくない状態で、生き残るには白兵戦で勝つ以外なかった。

 後方を見れば、姉さん達が乗っている船はまだ遠く、ここに来るのもまだまだ時間が掛かるだろう。


 ここまで全員が死に物狂いで片耳を追い詰めた……なのに俺は何をしている? ただアビゲイルの横に居るだけで終わりか?

 アシッドと戦ったときにも湧いた闘争の魂が胸の中で目覚めようとしている。

 それなら俺はその本能に従おう。


 フードを脱ぎ、青から黒へと裏返しにして再び身に着ける。

 今、俺はローグからアサシンへと生まれ変わ……バシッ!!


「痛てぇ!」


 闘志を燃やしていたら後頭部を叩かれた。


「アサシンぼさっとするな、火の手が上がっている! 前に行け!!」


 振り向くと、アビゲイルが俺を怒鳴っていた。俺の湧き上がる闘志を返せ。

 このシチュエーションは盗賊のアジトへ忍び込む時と同じパターンじゃねぇか! ネタか? ネタになっているのか? ここ一番盛り上がるいいところ! 突っ込みはいらないから!!


 溜息を吐いてアビゲイルの後を追う。

 前方では状況に追いついた船員達が片耳の船に乗り込み、戦闘が始まっていた。


「じゃあな、俺も行ってくる」

「待て、アサシン」

「ん?」


 アビゲイルに一声掛けてから前へ行こうとすると、彼女が俺を呼び止めた。

 振り返れば、アビゲイルが不安そうな表情で俺を見ていた。


「……死ぬなよ」

「後は任せとけよ、アビゲイル」


 軽く笑って言い返すと、アビゲイルが俺を凝視した。


「……やっと名前を呼んだな」


 アビゲイルが微笑む。

 背後には迫り来る炎、前方では激しい戦闘が繰り広げられている戦火の中でも、笑う彼女は燃えるように美しかった。


「行ってくる」


 見守る彼女に片手を上げて、俺も戦いの場へと向かった。

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