30.悲しみのあなたに愛を(七)

「あの書き置きは土方さんが…?」


「ああ…とっさにな」


「山南さんを救おうとしたんですね…」


「書き置きさえ残していれば、戻っても戻らなくてもどっちに転んでも、こっちで何とか対処できると思ったんだが…」


「山南さん、意志が強かったですね…」


「あの頑固者…そのまま遠くへ行っちまえばよかったんだ」


「どんなに説得しても、何を言っても、屯所に戻るって譲らなかった…」



やっぱり、土方さんも局長も切腹させる気なんてなかったんだ。



「誰も、こうなることなんか望んでなかったのに…」



自分の信念は生きて貫くものだ、と言った沖田さんの願いも。


みんなの説得も。


明里さんの愛も。



「山南さんにわたしたちの気持ちは届いてました、確実に。心が動いた瞬間はあったんです」



届いているのに、それでも自ら切腹の道を選んだ。


今でもわたしには分からない。


大切な人たちに悲しい思いをさせてまで、貫かなくてはいけないことなのか。



「信念って、それほど大事なんですかね…?」



もしかしたら土方さんも…


局長のためならば厭わない。


そうだ、と言われたらと思うと、怖くてとても聞けなかった。



「人生を懸けた仲間だから…ここに戻るって」



ひとつだけ、理解できるような気がしたのは。



「これからも、心だけはみんなと一緒にいたいってことだったんじゃないのかな…」



自分の心に背かずに、仲間とともに生きていくにはこれしかないと。



「山南さんにとって、居場所はここしかないって…決まってたんだと思います」



口を閉ざしたままで、何を思うのですか?



「“私は人生に決着をつけるときが来たら、新選組総長の山南敬助として、と決めているんだ”って…」


「山南さんがそう言ったのか…?」


「はい…」



だから、自分だけのせいだなんて思わないで。


山南さんはなぜ脱走したのか?


そう聞かれれば、自分のせいにする。



局長が誰にも憎まれないように。


山南さんが悪く言われないように。


いつでも自分が憎まれ役になろうとする。



「ごめんなさい。知ったような口きいて…」


「いや…俺もまだまだだな。弱音吐くなんてな」


「なんで…?こんなときに強がらないでください!友達が亡くなったの。弱音吐いて当然だし、心が折れて泣くのが普通なの…!」



何も言わない。


いいの、それで。


言わなくていい。


だけど強がることだけはしないで。


今この時だけは。



「わたしには本音を隠さないください。もっと、頼ってくれてもいいじゃないですか…」



本心では心臓をえぐられるほどつらくて、心の中ではひとり泣いているはずなの…


もしかしたらわたしたちが知らないだけで、人知れず涙しているのかも。


涙を見せたくないなら、それでもいい。


弱い姿を見せるのが、人よりちょっと苦手なだけだって知ってますから。



「誰に憎まれたってわたしは…」



一瞬で腕の中に引き込まれた。


ふたたび、抱きしめられた。


強く、強く。


息もできないくらいの、でも優しい抱擁。



「土方さんのこと、嫌いになるわけないじゃない…」



心が弱ったときは教えてほしい。


強い人だけど、弱さも抱きしめたい。



わたしがただそばにいたいだけなの。


そういうことにしていいから。



「土方さんがわたしを嫌いになっても、もう逢わないって言われても、ずっとお慕いしています…」



ちゃんと聞こえています、土方さんの声が。



「心が時雨るな…」



自分にも人にも厳しくなるほど、理解してもらえないことがあると思う。


鬼になろうと心を引き締めるほど、おそれられる。


新選組のためにはそれでいいのだ、と言うのだろうけど。


せめて。


今日だけは感情を殺すのはやめて。



「わたしはずっとそばにいます…」



どんなに険しい道を歩こうとも。



「拒否されても、います…」



わたしたちは、山南さんの死からどうやって立ち直るんだろう。



山南さんとのお別れは受け入れます。


でももう少しだけ、待ってください。



もう少ししたらちゃんと立ち上がります。



だから、今は泣かせてください…


わたしたちを泣かせてください。



約束します。


涙の雨が降り止んだとき、虹をかけると。


やがて光は訪れると信じて。



「山南さんが神様、仏様のおそばで安らかに過ごせますように…」



山南さん、大好きです…


どうか、わたしたちを見守って、導いてください。


そして、千里のかなたで待っていてくれますか。


わたしたちが精一杯生きて、自分の人生を終えるときまで。



「土方さんは好きですか?山南さんのこと…」



思い浮かぶのは、あの穏やかなほほえみばかり。



「俺は…」


「うん…」


「あいつが好きだ」


「うん…」


「大切な友だ、ずっと」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る