30.悲しみのあなたに愛を(三)
「次は、いつ逢えますの…?」
ひとり残されたら、どうやって立ち上がればいいのか?
今のわたしに答えは出せない。
「一目、逢えてよかった」
「先生、うちも一緒に…」
「明里!!」
言わんとしたことを察し、強く遮る。
「いけないよ」
「いやや…」
「幸せになるんだ」
「何言うといやす!あかしまへん!先生なしにうちはどないしたら…幸せなんかあらしまへん…!」
格子にしがみつき、泣きさけぶ。
「先生をおひとりで逝かせるなんて、でけしまへん…」
手を伸ばし、格子の隙間から指先で明里さんの頬に触れた。
「お願いどす。うちの願い、聞いとくれやす…」
「それはできない」
「ほんなら…先生の幸せは何どす?そん中にうちはいてますの?」
「君に出逢えて、これほど幸せなことはないよ」
「ほんなら何で…何でですのん…?」
愛するほどに苦しまなくてはならない。
好きで好きで仕方がないのに。
いつまでも見つめて、触れていたいのに。
「思いの外、君は私の心に深く入り込んできたんだよ」
愛しいただひとりの人。
セレナーデのように、どれだけ愛を歌い語っても足りない。
「私に幸せを与えてくれた君には、生きて幸せになってほしい」
今だって声を大にして言ってやりたい。
どうして、ふたりで幸せになることは叶わないのか。
「自分の人生を歩くんだ。道に迷ってもいい、毎日一歩ずつでいい。君ならできる」
「うちにはでけしまへん…」
「できる、
「先生ぇ…」
見つめ合うふたりを邪魔する格子。
手を伸ばせば触れられる、こんなに近くにいるのに。
今、この腕で胸に抱きしめてやりたいと山南さんの目が言ってる。
せめて、もう一度だけでも。
どれだけ強く思っていることか…
「明里、これを」
格子の隙間から明里さんに手渡した。
「匂い袋だ。君に渡そうと思っていた」
「かいらしい、ええ香りや…」
明里さんのために自分で作ったって言わなくていいの?
絶対喜ぶのにな。
「気に入ってくれたか?」
「へぇ、おおきに…」
島原の芸妓にああだこうだ言ったら、粋じゃないと思われるから?
「山南さんもかっこつけること、あるんだね…」
胸が痛くて、痛くて。
わたしたちも涙を流さずにはいられなかった。
明里さんが格子に掴まり顔を寄せると同時に、山南さんもその想いに応える。
格子越しに重ねた手がかたく結ばれた。
「苦しい時は、私に語りかけなさい」
「先生の名前を呼んだら…、うちの光になってくれはります…?」
再び、お互いの両手を握り合う。
さっきよりもぎゅっと強く、強く。
お願い、その手を離さないで…
「私はいつも君とともにある」
時折、山南さんが涙を拭いてあげても、とめどなく流れては頬をつたう。
「明里…」
「へぇ…」
「愛しています、心から」
「せんせぇ…」
この想いを知ってしまったら、出逢う前の過去には戻れないのだ。
現代にいれば、こんな悲しいお別れをしなくて済む。
もし、前世とか来世とかいうものがあるならば、この記憶を持ったまま同じ時代に生まれて、またお互いを見つけられるようにしてあげてほしい。
「愛してるって…初めてや、言うてくれはったの…」
肩を震わせながらも。
ほほえんだら、涙が一筋。
「ふふっ…先生が愛を囁くなんて…」
「たまにはね」
生まれ故郷も、育った環境も、世代も、好きなことも考え方も、生き方も違うふたりが、こうして京の都で出逢えたこと自体、そもそもすごいことなんだとかみしめていた。
「思えば、いつもは君は私にたくさん想いを伝えてくれていたね」
必要なご縁は結ばれるということだ。
いったん離れてしまったとしても。
「もっと言おうか?」
「へぇ、ぎょうさん聞かせてくれはりますか…?」
「明里、愛しています」
手が離れる。
穏やかな笑顔のまま、山南さんは障子戸に手をかけた。
格子の内側から、戸がゆっくりと閉まってゆく。
そして、閉じた戸がもう一度開くことはなかった。
「山南先生、愛してます…」
つぶやくように、ぽつりと。
明里さんは耐えきれず、ボロボロと大粒の涙を流した。
その場に崩れ落ち、声を殺して泣いていた。
「明里さん…」
息苦しそうに涙にむせぶ姿にも、声をかけることができない。
わたしたちはふたりで泣きながら立ち尽くすしかなかった。
無条件でずっと一緒にいられると思ってた。
いや、現実を直視すれば、ずっと一緒にはいられないのかもしれない。
それは新選組だけではなく、會津だけではなく、薩摩も長州も。
きっとこれまでにも、明里さんと同じように涙を流してきた人たちがいるのだ。
歴史どおりに年月が過ぎれば、これからも涙を流す人が必ず現れる。
それは明日かもしれないし、1年後かもしれない。
誰にも起こりうること。
わたしも例外ではない。
だからこそ、小さな幸せに喜び、ともに過ごすひとときを慈しむしかないのだ。
わたしたちは愛する人たちに、感謝と愛を伝えなければならない。
生きている間に。
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