29.夢の香、千里のかなたへ(九)

どんなに説得しても山南さんの心は変わらないと、本当はずっと心のどこかで思っていたのかもしれない。



信念を持ち、人生を懸けて生きている人だから。


命を無駄にしているわけではない。


命を捨ててもいい覚悟で、仕事に、仲間に、命を懸けているということだ。


自分の人生を懸けても達成したいことがある。



「私は君に謝らなければならない」


「謝る?」


「君は最初から私を兄のように信じ、慕ってくれたのに、私は君を疑っていた。本当に申し訳ない…」


「そんなこと、いいんです。自分自身が信じられないんだから、疑って当たり前です」


「すまない」


「今は信じてくれてますよね?」


「うん、本当の妹だと思っているよ」



まばたきと同時に、涙が流れて落ちた。


ぽろぽろと涙があふれる。


堪えることがどうしてもできなかった。



「また泣いた。仕方がないね」


「山南さんが真実を知ってくれて、本当によかったって…思ったんです」


「武士と一緒に生きると決めたなら、泣いてはいけないよ。堪えなさい。ほら、涙を拭いて」



涙曇りのぼやけた視界に入るのは、着物の袖口で涙をぬぐってくれた、わたしのお兄さん。



「これから時代がどうなっていくのか、新選組がどんな道を歩むのか、私はこの目で見ることができない」



これから死ぬなんて、到底思えない。


普段と変わらず落ち着いているように見える。


切腹の覚悟を決めた武士というのは、これほど潔いものなんだろうか。



「土方君を頼みます」


「はい」


「彼を鬼の副長にしてしまったのは私のせいでもある」



山南さんは仏の総長。


土方さんは鬼の副長。



いつからだろう。


そう呼ばれるようになったのは。



「わたしは仏も鬼も好き…」


「ありがとう。君が味方なら安心だよ」


「優しさも厳しさもどっちも必要です。どちらかが欠けてもダメです…」


「行く手を阻む困難もあるだろう。その時、土方君は今以上に鬼になる。君が救ってやってほしい」


「わたしにできますか?」


「君ならできる」



沖田さんの言うとおり。


こんなにもふたりは認め合っている。


光と影が寄り添うように。



「君は真っ直ぐだ。そういう人は、人の心をつかむ。とらえて離さないんだ」



山南さんの言葉はいつも正しくて、わたしの頭の中も心の中もお見通しなんだ。


だって、初めから今までずっと、明日からもわたしの先生だから。



「ああ見えて、土方君も真っ直ぐな奴だからね」


「そうですね」


「だから、はじめのころは恋心が芽生えてもなお、お互いに反発してしまったのかもしれないね」



まるで明里さんのように、茶目っ気たっぷりに言うから、泣きながらも笑ってしまった。



「もしも未来に戻る方法が分かっても、帰りません。土方さんがいるこの時代で生きていくと決めたから」


「そうか、よかった。君は自分の意志を貫く子だからね」


「よく知ってますね」


「もっとも、君は我々の行く末を知っているんだろうね」


「秘密です」


「それでいい」



未来図は自分で描くものでしょう。



「わたしたちの未来は輝いているんです」



受け入れるべき未来もあれば、変えられる未来もある。


どんな未来も逃げずに、幸せに変えてみせる。


今日、山南さんに誓います。



「ひとつ教えてくれるかい?」


「はい」


「自分のため、愛する人のために生きるのはいけないことか、と君は言った。君の生まれた時代はそれができる時代なのか?」


「はい、できます」


「そうか…それができるのは平和である証。私はいつか来る君の時代を夢に見ることにしよう」



これからも一緒に時を過ごして、夢見たかった。


その夢を明里さんと叶えてほしかった。


日本はひとつになるんだよ。



部屋の戸が開く音。



「時間切れだ」



ここを出たら、もう会えない。



「教えてください」



最後であろう質問をする。



「人はなぜ生きるの?山南さんの生きる意味は何ですか?」



涙が邪魔しても目はそらさない。



「わたしたちはなぜ生まれてきたの?」


「難しい質問だね。今まででいちばんの難問だ」



困ったように笑って腕を組む。



「それは…」


「それは?」


「…やっぱり止めておくよ。君自身が答えを見つけなければ」



答えは心にしまったまま。


わたしが自分の人生を歩んだその先で見つけられるのかな。



「笑ってくれないか。知ってるかい?君は雨上がりの虹のようだ」



三つ指をついて深く深く頭を下げてから、大好きな優しい兄に勢いよく抱きついた。



「はははっ…困った妹だね」


「ありがとうございます…」


「こちらこそ、ありがとう」



ポンと頭を撫でる。



山南さんみたいに笑うには時間が必要だけど、泣き顔から精一杯の笑顔を。


雨上がりの虹だと言ってくれたから。


さよならの代わりに覚えていてほしいの。


約束の香りとともに、千里の彼方まで。



神様、お願いです。


時を止めてください。


終わりが来てしまう。


終わってはいけないの。


お願い…



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