29.夢の香、千里のかなたへ(二)
「つばさ、君もよく来てくれたね。屯所までよろしく頼むよ」
つばさの体をなでて明るく言った。
優しい声で傷つける。
「さあ、帰ろうか」
大津から壬生への長い道のり。
憎らしいほどの陽気だ。
雨でも嫌だけど。
気が沈むから。
3人とも、しばし無言で歩みを進めていた。
山南さんの背中を見つめる。
このままでいいわけないんだけど…
正直もう、どうすればいいか分からない。
口を開いたら、昨日と同じことしか繰り返し言葉にできなそうで。
明るく振る舞ったほうがいいかとも思ったけれど、それは到底無理。
沖田さんも話をする気分ではなさそうだ。
時折うつ向いたり、遠くを見つめたりして。
何か考え事をしているようだった。
もしかして。
どうすれば山南さんを救えるか、屯所に戻ってからのことを考えているのかも。
そんな気がする。
局長も土方さんもみんなも、思いは一致しているのだから、まだ何か手立てがあるはず。
「かれん君」
電話かメールがあればな。
最悪、電報でもいい。
屯所に帰るまでに手立てを考えて、山南さんを説得してほしい、と。
先に連絡しておけるのに。
たらればを言っても役に立つわけでもない、意味のないことだけど。
ああ、昨日のうちに、こっそり手紙を出しとくべきだったかな。
しまったなぁ…
飛脚に頼めば、わたしたちが到着する前には届けてくれただろうし。
山南さんの言うとおりだ。
冷静さを失ってはいけない、と。
冷静さを保っていれば、こんな簡単なことすぐに思いついていたはずなのに。
「かれん君?」
「えっ?あ、ごめんなさい、聞いてませんでした…」
「大津は初めてだったのかい?」
「はい、琵琶湖が海みたいで驚きました」
穏やかな春の陽射しのような表情。
こちらに向かって笑いかける。
「走り井餅、美味しかったね」
「そうですね、明里さんも好きそうですね」
明里さんの名前を出して様子を見てみる。
「そうだね」
「おみやげにしなくてよかったんですか?」
くっ…
笑ってスルーされた。
「君こそ、縫い針を買わなくてよかったのかい?大津の名産品だよ」
「いりませんよ」
「君に最も必要な修行は針仕事だろう?」
「これでも上達してます…ちょっとだけ」
「かれんちゃんの負けだね」
沖田さんも笑ってくれた。
よかった、少しは気が晴れたかな。
「ああ、いい天気だな」
何を話せばいいのか。
と、考えていたけれど、山南さんはいつもよりおしゃべりだった。
無理に明るくしてるわけじゃなくて、心から楽しそうだった。
「そうだ、沖田さん。あの菜の花畑、寄れませんか?」
「ああ、来る途中にあった」
山南さんがこちらを見ていない隙をついて。
沖田さんにこっそりと目で合図をして、合わせた両手を何度か外側に離し、小さくジェスチャを送った。
少しでもいい、時間稼ぎをしよう。
その場しのぎのひらめきかもしれないけど。
うん、と頷く。
サインの意図を読み取ってくれた。
「沖田君、仮にも任務中だろう」
「いいじゃないですか。もうこの際、羽を伸ばすと思って寄り道しましょう」
「叱られるぞ」
「分かりゃしませんよ」
「仕方ないね」
「菜の花って花が咲いても食べられるの?」
「食べられるって、源さんが言ってました」
「そりゃいい。飾ってもよし、食べてもよし。お得な花だね」
「明里さんへのおみやげにします」
「えっ」
「明里さんに渡すとき、山南さんからだって言ってもいいですか?」
「あ、いや…」
「いいですよね!ダメって言われてもそうします」
間髪入れず、山南さんが否定する前に言葉を続けた。
「じゃあ、聞くなよって話ですよね。ふふふっ。あ!屯所の庭の沈丁花も一緒に持っていこう」
「女の人は好きなんだね、いい香りがするものが」
「嫌いな人はあまりいないんじゃないですかね。山南さんも沖田さんも、匂い袋、一緒に作りましょうね。約束です」
「かれん君」
「はい?」
「明里とずっと仲良くしてやってくれ」
「な…」
やめてよ、そんなこと言うの。
それじゃ、まるで…
まるで、自分がいなくなっても明里さんのこと頼むみたいな言い方…
「何ですか、それ!当たり前じゃないですか…」
「そうだね、いらぬ心配だったね」
「変なこと言わないでください」
そんなことさせない。
わたしも考えよう。
諦めたらダメだ。
どうすればいいか分からない、なんて言うのはまだ早い。
気合いを入れ直す。
隊士たちを納得させる理由なんか、後からいくらでも提案できる。
いちばんの問題は、山南さん本人をどう説得するかだ。
付き合いの長いみんなが束になれば、心を動かせるんじゃないか。
山南さんの気持ちを変える方法があるはずと、一縷の望みに懸けていた。
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