27.花の春、散るらん(四)
ショパン『エチュード Op.10-5 変ト長調』
通称、『黒鍵のエチュード』。
その名のとおり、主旋律を奏でる右手は1音を除いて黒鍵だけを弾く曲だ。
他の曲と同様、通称は後年の人たちが名づけたものだけれど、黒鍵の演奏のためと、ショパンも意識して作曲したといわれている。
黒鍵だけでこの華やかなメロディを作ってしまうのだから、本当に偉大な作曲家だなぁ。
楽譜を開くと、
変ト長調の黒鍵のためのエチュードだから♭が多くて当然なんだけど。
右手は黒鍵ばかりの3連符の速いパッセージが続く。
ショパンの作品の中では特段難しい曲というわけではないけれど、黒鍵に苦手意識がある人もいるらしい。
ピアノの構造上、白鍵よりも上の位置にある黒鍵は、鍵盤自体が短いし、幅も細いし、高さも違うし、奥で弾かなきゃならないし、どの指でどう弾けばいいのか。
楽譜に調号が多いから、そもそも譜読みが嫌だ。
ふと、そう言っていた人がいたのを思い出した。
「この曲、弾くの久しぶりだな」
まずは右手だけ、少し遅めのテンポで練習しよう。
テンポを落としての練習、わたしにとって速度の速い曲を弾くにはこれが必須なのだ。
両手で速く弾きたくても我慢。
ミスタッチなく、スムーズな指の運びの感覚をつかむためにも。
一定の速度で音を外さずに弾くための正確な技術のためにも。
「指が回ってきた!いい感じ!」
遅いテンポで弾けるようになったら、徐々にテンポを上げて、楽譜に記されたテンポに近づけていく。
音の粒がきちんと揃うと、キラキラ、キラキラと輝くように聴こえて、この曲の美しさが引き立つ。
だけど、それが至難の技。
「かれんさん」
「局長!」
「ピアノの稽古中にすまないね」
「大丈夫ですよ」
「少しいいかな?」
「はい、どうぞお座りください。あ、お飲み物お持ちしますよ!何がいいですか?」
「いや、いいんだ。すぐ済む話だ。深く考えずに聞いてくれ」
「何でしょう?わたしに分かるでしょうか?」
「先日ね、江戸で将軍家や幕府お抱えの蘭方医、松本
「公方様の治療もなさるんですか?!すごい先生ですね」
「うん。豊富な知識と素晴らしい腕を持ち、的確な見立てをする優秀な
「西洋医術のお医者様なんですね」
「かれんさんは以前、日本と異国の良いところを合わせてうまくやっていければいい、と言った。その考えは今も変わりないかい?」
「はい、今もそう思ってます」
「先生からご教授いただいた話に心動かされてね」
「どんな話ですか?」
「君が以前言ったとおりだよ。西洋の国の歴史は古く、太古より文明の発達が目覚ましいと聞いた」
目を輝かせ、生き生きと話す。
局長は松本良順先生というお医者様の話に大層感銘を受けたようだ。
「医学も学問も武術も産業も日々技術が進歩し、遥かに便利な暮らしをしていると教えてくださった」
拓けた考えの日本人もいたんだ。
さすがは西洋医学を学んだ先生ね。
「薩摩とエゲレスの戦や、長州下関の戦を知っているかい?」
「はい、薩摩とエゲレスは生麦事件が発端で、長州の戦は攘夷の決行として、下関海峡を通る外国船に砲撃したことから始まったんですよね?」
「うん、当然のことながら、アメリカとフランスの艦隊に攻撃され、圧倒的な武力の差で長州は敗北したんだ」
長州もただやられっぱなしではなかった。
外国船にとって重要な貿易航路である下関海峡を封鎖したのだ。
それに怒った、アメリカ・イギリス・フランス・オランダの四国連合艦隊に報復されたという。
禁門の変の直後だったというから痛ましい…。
長州の人たちは今、どん底なんじゃないのかな?
何かできることはないかと考えても、長州を助けることは会津や新選組を裏切ることに等しい。
未来から来たのに、何の役にも立てないんて…
そんなこと何度も何度も痛感してるのに、どうすればいいか未だに分からない…。
「どうした?泣きそうな顔して」
「あ、いえ…」
「君のことだ、連続して戦に破れた長州の民のことを思っていたんだろう」
「ごめんなさい…」
「いいんだ。君だけはそういう気持ちを持ち続けてくれ」
「はい…。あ、すみません。お話が途中になってしまいました」
「ああ、戦の勝敗から見ても、日本と西洋諸国の力の差は歴然だ。彼らから学べることも多いのではと思ってね」
「そうですね」
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