26.幸せを運ぶ人(五)

「かれん、茶席を設けたい。一服いかがかな?」


「えっ、はい、あ、ありがとうございます。不慣れではございますが、慎んでお受けいたします…」


「ははっ、緊張せずともよい。のう、修理」


「ええ、作法も気にする必要はありませんよ。気楽に」


「茶室の中では皆平等、であろう」



と、それは千利休の教えであり、茶道の精神。


いや、そう仰いましても…無理です!


笑顔がひきつる。



「では、こちらへ」



書院のようなところに通される。


入口で正座をし、扇子を膝の前に置いて一礼。


膝行しっこうと言うらしい、正座のままにじって移動する。


親指だけを立てたまま手を握り、その親指で畳を押しながら体を前に進める、アレだ。


入室のお辞儀や作法はクリア。


でも、まだまだ始まったばかり。


最後まで気が抜けない。



まずは床の間の掛け軸を見て、お花や花生花器、お香合を見て、それから…。


心の中で作法や手順をひとつずつ確認しながら丁寧に。


膝行で点前座に移動して、そうして、どうにかこうにか今に至る、というわけなのだ。



実は、いつかこんなこともあろうかと、心配した明里さんが茶道の心得をレクチャーしてくれた。


屯所でも平助さんがみっちりお稽古してくれたし。



小、中、高校生のときに茶道体験の機会が数回。


襖は3段階の所作で開け閉めする、とか、敷居や畳の縁を踏まない、とか。


基本の作法、というか薄っぺらい知識は辛うじて知っていたものの、慣れていないから助かった!



もしも、もしも、万が一の確率かもしれないけれど、會津の御屋敷に呼び出されることがあったら、扇子、懐紙、菓子切り、帛紗ふくさなどの茶道に必要な物は一式、念のため持って出かけるべし、という平助さんの読みが的中。


ありがとう、平助さん、明里さん!



「緊張していたようだが、美しい所作であるな」


「ありがとう存じます…」


「作法は気にせずなどと、無礼をお詫びいたします」


「神保様、お止めくださいませ!そのようなこと構いません」


「しかし…」


「それより、會津のお城にもお茶室があると伺いました。ぜひお聞きしとう存じます」


麟閣りんかくと言ってな。蒲生氏郷公の時代に建てられたそうだ」


「たしか、氏郷公は織田信長公の娘婿であり、利休七哲のおひとりでもいらっしゃるお方…」


「左様、よう知っておるな」


「千利休が秀吉公より切腹を命じられた後、茶道が途絶えるのを惜しんだ氏郷公は、利休の子・少庵を會津にかくまったのです」


「では、その際に作られたのが」


「少庵が氏郷公のために建てたのが茶室・麟閣なのだ」


「氏郷公は家康公と共に千家復興を秀吉公に願い出た。結果、少庵は秀吉公より京に呼び戻され、千家を再興したのです」



で、現在、いや未来に至る、というわけか。


何だかドラマにでもなりそうな話だな。


茶の湯と呼ばれていた時代から、會津と茶道界に繋がりがあったとは。


あ、そうだ、現代でも麟閣では毎月お茶会が開かれていると聞いた記憶がある。



「かれんはここへ来るのは初めてだったな」


「はい、驚くほど広い御屋敷でございますね。ひとりで出歩いたら迷子になりそうです」


「はははっ!ならば、予のそばから離れるでないぞ」



會津藩御用屋敷。


正門の瓦には菊の御紋、軒丸瓦には三つ葉葵があしらわれていた。



文久2年の冬に會津藩御一行様が入京した際には、京に藩邸を持っておらず、まず黒谷の金戒光明寺に本陣を構えた。


翌年には、千本通せんぼんどおり下立売しもたちうり角の所司代屋敷の北側に會津藩御用屋敷を置いていたそうだ。


その後、その千本通の御用屋敷を引き払い、北は下長者町通しもちょうじゃまちどおり、南は下立売通しもたちうりどおり、東は新町通しんまちどおり、西は西洞院通にしのとういんどおりまで、南北二町、東西一町の敷地を買収して新たな御用屋敷を建設。


それが今いる、この場所だ。


さらに南側に同じ広さの御用御添屋敷を建てているとかで、丸太町通まで拡張中だ。


素人目でも完成はまだまだ先と分かる。



藩の負担で御所の近くに御用屋敷を造る理由のひとつが、會津から単身赴任している約1,000人の藩士たちのためだ。


全會津藩士の3分の1にあたる1,000人が生活する宿舎となれば、必然的に広大な敷地が必要になる。


上屋敷の北側には、藩士が寝泊まりをする2階建ての長屋群がある、と神保様が仰っていた。



御所建礼門の南にある凝華洞ぎょうかどうを仮宿舎として常駐していたのは、寝返りもできないほどの病を押して参内した容保様への朝廷の配慮だ。


現在は黒谷の御本陣とここを、上からのお沙汰や情況に応じて使い分けている様子。


さらには鴨川の東岸、東聖護院村の土地も与えられ、練兵場として利用していると聞いた。



「そういえば、覚馬先生が洋式調練をしていると仰っていました」


「覚馬の弟子になったと聞いたが?まことか?」


「はい、屯所で覚馬先生とお会いして以来、私にもお声がけくださいます」


「覚馬と意気投合したということは、修理、

そなたとも意見が合いそうだな」


「左様でございます。私はかねてよりかれん殿を買っておりますゆえ」


「恐れ入ります…」


「そなたのピアノも毎日聴きたいくらいだ。また聴かせてくれるか?」


「はい、もちろんでございます」


「殿の御墨付きでございますな」


「予にとって、そなたは幸運の使者だ」


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