第85話 舞踏室の見えるバルコニーで

 哨戒任務から帰った兵士の話によると、すでに戦力の五分の一を喪失したイニピア軍は自国へと撤退を開始したらしい。そのなかにファーロラーゼ公爵家の旗はなく、どうやら両者は袂を分かったらしい、ということがわかった。セレベセスに撤退したのか、それとも別の場所に拠点があるのか。いかんせんシフォニ王国軍でも混乱は続いており情報が錯綜しているなか、確かなことはわからなかった。


 それでも呆れたことに戦勝パーティは開催されるもので、軍の再編成が完了するまでの数日間、王宮では毎日のように賑やかな夜が続いた。ラミアン防衛戦において勝利の立役者であるスレンのところにも招待状が届けられたが、王宮に不信感を募らせていたスレンが出席することはなかった。スレンの身分を考えれば国王陛下から招待状が届けられるなど異例中の異例だと、アターシアから説明を受けたが、だからどうしたというのが彼の率直な感想だった。


 戦勝記念パーティなのだからスレンが主役なわけだが、その主役たるスレンが主催者である国王陛下の意向を無下にし続けている現状は、スレンの後見人であるアターシアにとって非常に胃の痛い話だ。だが無理やり連れていけば今以上に胃を痛めることになるとわかっている手前、無理強いすることはできなかった。それに、王宮が何も言ってこないところをみるに、必要以上に関わっても良いことはないと考えているのだろう。さすがは国王陛下、なんと懸命な判断だと、アターシアは感心していた。


 だが、まったく放置しておくわけにもいかない。シフォニ王は、スレンと交友関係のある者を送り込むことで、信頼の回復を図るとともに監視しようと試みたのだった。




「――それでお前が来たのか」

「言っておくけれど、わたくしはちゃんと話したのよ。それをお父さまが駆け引きに使っただけで」

「わかってるよ。ミルレットにとってもヨルヤは従姉妹なんだから」


 夜更け、赤々と明かりの灯る舞踏室を遠くに望むバルコニー、そこにスレンとミルレットの姿があった。優雅なワルツが夜風に乗って鼓膜を優しく揺らしている。だが踊る気になどなれやしない。


「なあミルレット。ファーロラーゼ家が潰されたら、その後ヨルヤはどうなるんだ?」


 身寄りがなくなるヨルヤ。公爵位を継承することはできないから、貴族社会においてヨルヤの価値はその血筋のみとなる。が、その血筋も裏切り者の血だ。誰が彼女を引き取るというのか。誰もいないのならば行き先はひとつ。


「国王陛下が養女か後見人として引き取ることになるでしょうね」


 裏切られた本人が、その慈悲を持って彼女を引き取る。これは美談だ。傍に置いておけば復讐の芽も育つまい。


「――つまり、ヨルヤはまた利用されるってことか」

「けれどそれが彼女にとっても最善だわ。わたくしも彼女の傍にいられるし」

「……そうだな」


 なにやら考え込むスレン。その真剣な横顔にミルレットは警告する。


「スレン、貴方、マルルダ伯爵に感謝は告げた?」

「感謝? どうしてだ?」


 思わぬ話しを振られたスレンはきょとんと首を傾げた。その態度に、やはり何もわかっていないのねと、ミルレットは大袈裟に溜め息を吐いた。


「あの時、マルルダ卿が口添えしてくれなければ、貴方は本当に王国の敵になっていたかもしれないのよ。そうすればヨルヤを助けても、彼女まで王国の敵になってしまうわ。それとも貴方はヨルヤとまた離れ離れになりたいのかしら。けれど貴方の手を離れたヨルヤは、きっと殺されてしまうでしょうね」

「おれはただ――」

「ええ、わかっているわ。けれど、ままならないものでしょう?」


 くすりと優しげに笑うミルレット。

 スレンはもどかしい気持ちでいっぱいになった。森から出てきた当初は自分が特別だなんて思っていなかった。けれどアターシアに出会い、アカデミーに通うようになって自分が常識はずれの暴力を持っていることを知った。そしてミルレットやアターシアに、その使い方を教わった。二十万の大軍をたったひとりで撃退できる自分なら、何だってできるはずだと思えた。けれど、世の中、そんな単純なものではなかった。


「……ついこの間、思い知ったばかりなのにな」


 どれだけ暴力を駆使しても、やっとの思いで救い出したヨルヤをまた奪われてしまった。苦い経験。


「わかったよ。でもどうすれば良いんだ?」

「そうね、もう少し権威に対して敬意を払いなさいな」

「権威?」

「言葉遣いとか。丁寧な言葉、ちゃんと教わったのでしょう?」

「あ……うん」


 もうずっと蔑ろにしていたことだ。ここ最近の会話相手といえば、アターシアたちを除けばもれなく敵だったから。


「そもそも、後見人であるアターシア・モールに対して粗雑な言葉遣いをすることからして間違っているのよ」

「え、そうなのか?」

「あとそれ。わたくし、一応王女なのだけれど」

「あ……」


 呆れ笑いを浮かべるミルレット。


「ふたりきりの時は無理しなくても良いけれど」

「わかったよ……………………わかりました」


 気づけば、いつの間にか舞踏室の明かりが消えていた。

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