第83話 ラミアンの戦い

 ジヤン街道で戦いがあったことと、その結果を知り、悲壮感に苛まれたミルレットは縋り付くような目でスレンを見つめた。


「スレン、お父様が……」


 スレンはハッとする。いつも軽口を叩き合っているミルレットだが、彼女はこの国の王女で、彼女の父親は国王なのだ。行商人の話ではシフォニ王も出陣していたらしい。討ち死にしたという話は聞いていない。行商人が聞いていないだけか、それとも王様が逃げおおせられたのか。どちらにせよ、ミルレットは気が気じゃないだろう。彼女にとってのシフォニ王を、ズウラに置き換えて考えられるくらいには、スレンは人間らしくなっていた。


「急ごう! 王都へ」


 いつも不敵なミルレットの不安げな瞳をスレンは力強く見つめた。少しでも彼女を勇気づけられるように。


 そしてミルレットもまた、スレンの力強い瞳に自分の役割を思い出した。一刻も早くラミアンに行き、王である父にスレンを紹介する。これは王女である自分にしかできないことだ。きっとスレンは遅参したことを咎められるだろう。それを庇うこともまた、王女である自分にしかできないことなのだと。


 ミルレットは強行軍を決断する。モール商会が雇った護衛の冒険者に使用人たちを預け、自分はスレンたちとともに先にラミアンに向かおうというのだ。使用人たちは一様に不安げな顔をした。ミルレットの心情を察して憐れむ者や、いかなる状況においても王女の品格を保つべきだと考え、ミルレットの決断を快く思わない者。みんながみんな同じ考えではないにせよ、主人を思う気持ちは変わらなかった。


「貴方たちは後から追いついてきなさい。冒険者の皆様方、わたくしの大切な使用人たちをどうかよろしくお願いいたしますね」


 騎乗したアキュナの手を取り、ミルレットは馬に跨る。


「姫様、急ぎますので少々揺れますが、どうかご辛抱くださいませ」

「お気遣いありがとう、騎士アキュナ。けれどわたくしのことはどうか構わず、王都まで駆け抜けてくださいませ」


 手綱を握るアキュナとアターシア、その後ろに跨るミルレットとスレン。互いに頷きあい、二騎は闇夜に消えた。






 ラミアン市の都市壁上でマルルダ伯爵は戦慄していた。都市正面の防衛を買って出たものの、敵軍の正面戦力はあまりにも強大だった。後から合流した攻城兵器群、そこにさらなる歩兵も合流して、イニピア・ファーロラーゼ連合軍はニ十万もの軍勢に膨れ上がっていた。

 高い都市壁上から見下ろしても最後尾は霞んで見えやしない。


「どうやら奴ら、戦後の講和などこれっぽっちも考えていないようだ。これもファーロラーゼ公が望んだことだというのか?」


 五千の兵に対し二十万の軍勢はどう考えても戦力過剰だ。たとえ攻城戦であっても二十万をもれなく投入できるわけがない。膨大な予備戦力を抱えることになるのは目に見えている。戦力の逐次投入は確かに愚策だが、それにしても多すぎる。ひとつの都市を落とすためだけの兵力にしては、誰が見ても過剰だろう。


「まさかラミアンだけにとどめるつもりはない、と?」


 有り余る戦力は王国の諸都市を蹂躙するためのもの? 


「なんたる屈辱かッ!」


 歯を食いしばるマルルダ伯爵。イニピアにシフォニ王国の地を侵されることも腹立たしいが、彼にはそれ以上に赦し難いことがあった。

 シフォニ王国でも指折りの古貴族であるマルルダ伯爵家。彼の王家への忠誠は非常に淡白なものだが、シフォニ王国という邦に対する思いは本物だった。だからこそ長年の敵国を誘引したファーロラーゼ公爵が許せなかった。公爵が何を企んでいるのかなどどうでも良い。王位の簒奪? 新たなる王朝の成立? マルルダ伯爵は、そんなものには一切興味がなかった。シフォニ王国は、シフォニ王国でありさえすればそれで良い。それなのに――


「あの売国奴めが!」


 だが、どれだけ怒ろうとも現実は残酷だ。遥か彼方に見える投石機のその数は百を超える。あの様子だともう完成は間近だろう。その手前にはまた数十の攻城塔がずらりと並んでいる。こちらはもう建設済みで、投石機の完成を待つばかりだ。


 と、ついに投石機が完成し、投石が開始される。横一列に並べられたとはいえ微妙に重さの違う石礫は広範囲に渡って効果を発揮する。市街に着弾したものも多く、市民たちは倒壊する建物から悲鳴を上げて逃げ惑った。


「伯爵さま! ここは危のうございます! 早く下へ! 門兵の詰め所ならば比較的安全です!」

「バカを言うな! 私がここを離れれば、誰が魔道師や弓兵に号令を出すのだ! 私はここの死守を請け負ったのだぞ!」

「し、しかし!」

「死にたくなければ鋸壁にへばりついておけ!」


 そう叫んで身を低くしたその時だった。


 バゴン! と重たい音を立てて石礫が近くに着弾した。飛び散った破片が背中を打つ。プレートメイルに身を包んでいなければ大怪我を負っていたかもしれない。


「おい、大丈夫か?」


 傍にいた騎士を見上げると、頭部のもげた首から血しぶきが上がっていた。直撃する確率はいくらくらいだろうか。


「運のないやつめ」


 とはいえ他人事ではない。雨あられと降り注ぐ石礫が自分の隠れている鋸壁に命中しないように祈るばかりだ。




 みっつは鐘が鳴っただろうか。永遠に続くと思われた投石はついに終わりを告げる。ところどころ鋸壁が崩れているが、城壁自体は無事、投石で崩れることはなかったようだ。流石は王都ラミアンの都市壁だとマルルダ伯爵が関心していると、敵陣営で太鼓の音が鳴った。それに呼応するようにドロドロと不気味な足音が壁の向こう側から聞こえてきた。ついに来たかと、マルルダ伯爵は鋸壁の間から顔を覗かせた。そして即座に確信する。


 ああ、おそらくラミアンは、今日中に陥落するだろう。容易くそう思わせるほどの圧迫感。マルルダ伯爵は思わず振り返った。守るべき街、守るべき人々、守るべき国がそこにはあった。だからこそ訝しむ。イニピア軍は一体何と戦っているのだ? これほどの兵力を投入すべき戦いだろうか、と。


 二十は下らない攻城塔にはすし詰めにされた兵士たち。足元には長い梯子が無数に運ばれている。上からぶっかけるための油は足りるのか? そもそもすべての梯子の相手をするのは不可能なのではないか? だとすればたちまち壁は突破され、ラミアンは陥落してしまう。


「構え!」


 だが諦めることなど到底できない。マルルダ伯爵は己を奮い立たせるように怒号を上げ、弓兵に檄を飛ばした。


「放て!」


 一斉に放たれた矢は確実にイニピア軍歩兵に命中する。運び手を失った梯子が次々に地面に投げ捨てられるが、まるで焼け石に水だ。


「攻城塔、くるぞ! 火矢の準備急げ!」


 梯子なら登ってくる人数もたかが知れている。だが攻城塔の接岸を許せば、本当にそこで全てが終わってしまう。なんとしてでも、なんとしてでも――!


「放て!」


 一棟潰しても、二棟潰しても、大挙して押し寄せてくる攻城塔。そしてついに最初の一棟に接岸を許してしまった。


「くるぞおおおお!」


 攻城塔の跳ね橋が降りる。その向こうには、決死の覚悟を済ませた兵士たち。けっして犬死にはなるまいと、追い詰められた獣のような形相の兵士たちが、マルルダ伯爵のいる城壁に雪崩込んだ。






 と、その時、突然攻城塔が炎に包まれた。敵味方とも、一体何が起こったのかわからなかった。誰もが突然現れた途轍もない熱量に、とっさに顔を覆った。

 グワッと音を立てて倒壊する攻城塔。この不自然な燃え方に、この炎の正体が魔法によるものだとマルルダ伯爵は悟った。


「魔道師? いったい誰が……」


 周りを見渡してもそれらしき人影はいない。


「と、とにかく敵兵を――!」


 と、構え直した剣の向こうで、別の攻城塔が燃え落ちていた。だがはやり魔道師の姿はない。ならば敵の自滅か、と原因を確認するために城壁から顔を出したマルルダ伯爵の目に、ひとりの少年の姿が飛び込んできた。


「人? 人なのか? お前は誰だ!!?!?」


 ひどく取り乱すマルルダ伯爵。それも当然のこと。眼の前の少年は宙に浮いていたのだから。少年は振り返りもせずに、突き上げるような突風とともに飛び去っていく。その向かう先で、次々と攻城塔が燃え上がった。


「奴の仕業なのか?」


 こちらに被害はない。一応味方のようだが……と、マルルダ伯爵は少年の行方を目で追った。すでに遥か遠くに黒い点が見えるが、それが彼なのか鳥なのか、もはや判別も困難だ。次々と燃え上がる攻城塔だけが、あの点が彼だと証明している。

 そして今度こそ本当に見失ったと思った次の瞬間、城壁の下から黄金の光が湧き出てきた。何事かと覗き込めばそこには面妖な幾何学模様が浮かび上がっていた。上ばかりに気を取られていた敵兵たちも今は光り輝く地面に動転している。そんな彼らを、地面から突き上げられた無数の巨大な石槍が貫いた。


 かろうじて戦争だったものは、すでに戦争ではなくなってしまった。城壁の向こうは地獄そのもの。壁に張り付いていた敵兵士たちはもちろん、波のように押し寄せていた後詰めも後退し始めている。いいや、後退などという上等なものではない。もはや壊走というべき代物。だがそれすらもままならないのは、寒冬の空から凍てついた氷柱が雨のように降り注いでいるからだ。


 発現する魔法のどれもこれもが逸話に聞く極大魔法の如き威力で、あの少年がニーザ平原の戦いを阻止した魔道師と同一人物であると物語っていた。


「来たのか?」


 今さらとは言うまい。いや、誰も言えやしないだろう。たったひとりで二十万の軍勢を撃退してみせる怪物を、誰が蔑ろにできるものか。






 この日、スレンに殺害された兵士は約ニ万人、負傷者はその三倍以上にのぼった。

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