第64話 戦争を止めるには

 スレンの生み出した流星は大地にひとつの巨大な穴を作った。五つの円がまばらに重なってできたために歪な形をしているが、両軍をニーザ平原の東西に分断するには十分すぎる大きさだった。

 すでに空はもとの晴天を取り戻している。絶好の戦日和だが、鬨の声を上げる者は誰ひとりとしていなかった。穴は縁が盛り上がり、中は真っ黒に焼け焦げていて、残りカスのような火が点在していなければ深さを知ることもままならないだろう。


「行くわよ」


 目標は達成されたとアターシアはスレンを急かした。両軍に撤退を始めた様子はないと、スレンは経過を見守ることを主張したがそれは却下された。


「だめよ。どちらにせよ今日はもう戦にはならない。その後の戦争が続くようならその情報収集はセリクシアの街ですればいい。今はシフォニ王国軍よりも先にセリクシアの街に戻ることを優先させなきゃだめ」


 街のすぐ外で野営している軍に見られながら都市門をくぐりたくはない。今なら門兵に口止め料を握らせても目立たないだろう。


「とにかく、彼らが狼狽えているうちに早く」


 後ろ髪を引かれるようにスレンは平原に目を向ける。アターシアの言ったとおり、両陣営ではざわつきが収まらず、確かにこれでは戦争をしている場合ではないだろうと、ひとまずの安心を得たスレンはセリクシアの街へ戻ったのだった。


 結論からいうと、ニーザ平原の戦いはスレンの思惑通りの結果に終わった。シフォ二軍二万とイニピア軍一万五千は、万全を期して平原で対峙した。天候にも恵まれ、絶好の殺し合い日よりだった。にもかかわらず両軍の死傷者は皆無に終わる。いざゆかんと前衛部隊が前進を開始した直後、空を奇怪な幾何学模様が覆い、それを突き破るように五つの流星が平原に巨大な穴を開けたのだ。平原はもはや平原とは呼べない代物になってしまった。名付けるならばニーザ窪地だろうか。地形を変えていしまうほどの天変地異の正体がなんなのか、両軍は最後まで把握できなかった。千年に一度の天災か、あるいは敵魔道師による新たな極大魔法だろうか。後者であればこれは大問題だ。どちらの確証も取れない以上、両軍上層部は最悪の場合を考え、その結果、後退を選んだのだった。


「まったく、後世の歴史家はどう評価するでしょうね。魔法史の観点から見ても衝撃的な事件だと記録されるはずだわ」


 国境都市セリクシアのモール商会支部の一室で、アターシアは呆れ気味にひとりごちた。机に何枚か紙を広げてペンを走らせている。


「魔法史には乗らないのではないかしら。天災の類だと結論付けられるでしょう。あれを魔法だとは今の誰も思わないでしょう」


 チェインメイルの手入れをしているアキュナの言葉にアターシアは「確かに」と、短く答えた。


 現在の誰も、あれほどの魔法を発現させることはできないだろう。理由は単純。発動するための呪文が無いのだ。今ある魔法のほとんどはアグニア国時代に産み落とされたものだ。だが時代が下り、その時々に必要とされ新たに開発された魔法も少なくない。その中に極大魔法という種類の魔法がある。読んで字のごとく、極めて規模の大きな魔法。膨大な魔力を消費する代わりに、それに見合っただけの破壊を発現させるものだ。スレンの放った魔法の見かけだけを見ればこれに該当するだろう。だが今、その開発を両国は禁止している。理由は単純。あまりにも殺しすぎるためだ。敵が死ぬ分には、これほど喜ばしいことはない。だが、味方の魔道師に犠牲がでるとあれば話は別だ。極大魔法はその必要魔力量から、発動には複数人による重詠唱が必要だった。だが詠唱を終え、魔法が発動すると、儀式に携わった魔道師たちがバタバタと倒れ絶命したのだ。当初、両上層部は勝つためには必要な犠牲だとして、次々と極大魔法の開発と履行を命じた。戦場を焼き払い、都市を破壊し、民も騎士も魔道師もお構いなしに殺したのだ。国境沿いにある全ての村や都市が瓦礫に埋もれた頃、両国は停戦を決意。互いに極大魔法の開発、使用を禁止し、さらに既存の極大魔法に関わる全ての書物を焼却するという項目を盛り込んだ条約が結ばれた。だから今度の戦争にも、極大魔法が使われるなど「ありえない」ことなのだ。


 その「ありえない」ことが起こってしまったことで両国は疑心暗鬼に陥ってしまった。迂闊に兵を動かせない。だが撤兵させることもできない。シフォニ王国軍が駐留する国境都市セリクシアでは、剣呑な雰囲気の中にあって不気味なほど静かな日々が流れていた。


「いつまでここにいるんだ? あれからもう一週間だけど」


 戦争を止めたいスレンとしては、結果のはっきりしないままずるずると過ごす日々は、なんとももどかしいものだろう。愚痴のひとつでも溢したくなるというものだ。だが望みを叶えるためには、時に待つことも必要だ。


「今、慌てて調査を進めているところでしょうね」


 とにかく、敵の極大魔法でないことだけははっきりさせなければならないと、両陣営躍起になって情報収集をしているらしい。


「でも、そんなのわからないんじゃないのか?」


 魔法を使った本人がここにいるのだからと、スレンは当然の疑問を投げかける。はからずともそれは正解で、極大魔法につきものの大儀式の跡もなければ、魔道師の死体ももちろん発見されない。判断材料を欠いた状況で結論を出すことなどできるはずがない。

 だが、予想に反して状況の変化は意外と早くに訪れた。




「なに、撤退した?」


 それはニーザ平原の戦いから二週間が過ぎようとしていたときだった。町娘のような格好で市街に出ていたアキュナが、買い物の途中、ぞくぞくと自領へ帰還していく騎士や貴族たちを見かけたそうだ。


「調査結果はでたのかしら」


 真実などわかるわけがない。ならば結論はでっちあげられたものになるはずだが、それにしても軍がどのような結論に達したのかは気になるところ。それ如何によっては、戦争の今後の行き先も予測しやすくなるからだ。しかしアキュナは首を横に振ってみせた。


「逆よ。どちらの陣営も真相に辿り着けていないみたい」


 協定違反だと相手を非難しても、極大魔法を背景に脅してくるわけでもない。本当に極大魔法ではないのか。とはいえ前例がないので自然災害とも思えない。セリクシアの神殿では神々の怒りだと警告しているが、どちらに被害があったわけでもないのに神々の怒りを買ったというのは些か説得力に欠ける。


「結局わからずじまいで仕切り直すことにした、と」

「仕切り直すってことは、また戦争が起こるってこと?」


 せっかく阻止したのにこれでは意味がないとスレンはうんざりした表情を浮かべた。

 ひとつの会戦の邪魔をすることと、国同士の争い自体を止めることは同列に考えられることではない。すでに生半可でない口実を、イニピア王国は得てしまっている。シフォニ王国とてダタル地方の割譲などのめるわけがない。そもそも王子暗殺など、企んだ覚えがないのだから。すでに賽は投げられているのだ。


「とにかく、もうニーザ平原で戦いは起きないわ。私たちも帰りましょう。また戦いが起きるにしても、極大魔法への疑念が晴れない以上、作戦の大幅な変更が必要なはず。だからすぐに別の戦場が設けられるということはないと思う」


 「はず」「だろう」「思う」の多いアターシアの言葉。何一つ確かなことがわからないのはこちらも同じだった。手を尽くしてもままならない現状に気をもむスレンだが、焦っても仕方がないというのはよく理解していた。


「わかった、帰ろう。アニムへ」




 今回の戦いは無事阻止することができた。だが次も上手くいくとは限らない。あのとてつもない天変地異の原因がわからずとも、両王国は何らかの手を講じてくるはずだ。それにどう対処していくのか。再び戦いが起こった時、次はどういう方法で戦いを止めるのか。情報収集は当然のことだが、その他にもやるべきこと、考えることが山程あった。そもそも戦いを止めたいというスレンの願いも、ヨルヤの救済が目的で、そちらの作戦も考えなければならないのだ。

 自身の研究を第一に考えたいアターシアは当然うんざりするかと思いきや、彼女自身、ことのほか悲観的ではなかった。研究室に籠もりきりではスレンにニーザ平原の戦いを阻止した時のような大規模魔法を使わせる機会は永遠に訪れない。危ない橋を渡るのは好ましくないことだが、あれ程の魔法を間近で見学できるのであれば、彼女にとっては犯す価値のある危険だった。そして次の旅に向けての準備や情報収集のかたわら、フィールドワークで得たものの考察をするのだ。

 早くアカデミーの我が研究室へ! と、嬉々として馬を走らせるアターシア、ヨルヤのことで頭がいっぱいのスレン、その両者につきあわされて半ばうんざりしているアキュナ。それぞれ考えることは別々だが、とにかく住み慣れた部屋でようやく一息つけると安堵しているのは一緒だった。そんな彼らが、アニムの都市門をくぐろうとした時、緊張した面持ちの門兵に不意に制止された。アカデミーの魔道師であることを示すブローチは、アターシアもスレンも見せたし、アキュナもアニム市の騎士団のマントを羽織っている。しかし門兵は彼らを都市門のそばにある詰め所の応接室に連行したのだった。


 しばらくお待ち下さいと言われ待つこと半刻。まさか――と、不安を過ぎらせながら待つ三人。このような扱いを受けなければならない理由に、思い当たる節はありありだ。そんななか、応接室に姿を見せたのはアターシアの師、ヘズモントだった。見知った顔が出てきたことに安堵する三人に、彼は開口一番にこう告げた。


「お主ら、叛逆者として指名手配されておるぞ」

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