第36話 そして誰もいなくなった

「さて、みなさん集まってくださいねー」


 準備を終え、呑気な口調で授業の始まりを告げる教師カトレア。だがすぐに生徒たちの様子が可怪しいことに気づき、慌てて周囲を見渡した。そして集団からひとり離れて佇むスレンを発見する。彼の視線の先には大変な思いをして準備をしたダミーが。


「え? え?」


 まさかイジメかとも思ったが、他の生徒達は黙ってスレンの様子を見守っている。その先頭にはミルレット王女殿下が。また彼女が中心人物なのかと、カトレアは辟易しながらもミルレットに状況を尋ねた。


「あの、いったい何が始まるんで――」

「しっ」


 しかし言い切る前に制止されてしまった。ふたりのやり取りを横目にしてアルトセインは、すでに豆粒ほどの大きさになったスレンに視線を戻した。


 それにしてもずいぶんと離れるな。


 アルトセインも複数の魔法を習得済みだ。だがすべてではない。だからこそ、スレンがどのような魔法を使うのかには興味があった。もちろんその詠唱呪文にも。しかしこう遠くに離れられては口の動きくらいしかわからない。危険だと言われれば、近づくこともできないので仕方がないが。


 大きく息を吐いたスレンが、意を決して短杖を掲げた。生徒たちのなかに、いよいよだという空気が流れる。だが反応は様々だ。ゴクリと緊張に唾を飲む者、どうせ大したことはできないだろうと高をくくる者、興味なさげに静かにしている者、逆に野次馬のようにニヤついている者。


 しかし次の瞬間、そのすべてが思考を止めた。


 突如、棘が刺さったような感覚が全身の肌を撫でる。不快な痛覚にアルトセインは思わず身じろいだ。が、同時に動きを見せたスレンに全神経を奪われた。口元が動いている。詠唱が開始されたのだ。そう思った次の瞬間、太陽が彼の頭上に現れた。


 炎は何色だろうか。赤か、橙か、あるいは青を思い浮かべるだろうか。しかしこの時スレンが作った炎の色は白。すなわち光の塊だった。


 あまりの眩しさにアルトセインは思わず目を覆う。だが好奇心か義務感か、アルトセインはどうにかして光の行方を見守ろうと指の隙間からスレンを覗き込んだ。だが、やはり一瞬たりとも直視することは叶わない。そして顔を覆う手の向こうがいっそう眩く光ったその時、まるでドラゴンの咆哮のような轟音とともにピリピリと焦げつくように痛む肌を熱風が吹き抜けた。


 目の前を覆う両腕に影がかからなくなったことから、スレンの生み出した太陽が消えたことをアルトセインは悟る。そして恐る恐る顔を出し、その赤い瞳を大きく三度、瞬かせた。スレンが見える。そして彼の前には芝生が焼けて、黒焦げになった地面が広がっていた。


「すごい……」


 誰かが溢した。その呟きに我に返ったアルトセインは、確かにと肯定する。そして友人として、さらには魔道師として、問わねばならないことを問うためにスレンに駆け寄った。




 本当に火属性魔法なのだろうか。アルトセインには、スレンが燦然と輝く太陽を生み出したように見えた。眩い光を発するといえば雷属性がそうだが、もしかしたらまったく新しい魔法という可能性も考えられた。いうなれば光属性だろうか。

 しかし熱を生み出す魔法であることは明白だった。遠くからでは黒く見えた大地も、近づけば真っ黒ではなく、ところどころドロリと灼熱に溶けていたからだ。そして草木もないのに地面からは火がでて、風に揺らされていた。


「スレン、大丈夫かい?」


 開口一番に出た言葉は、スレンを労る言葉だった。これは彼がこの場の誰よりも魔道師である証拠だった。誰よりも魔道師であったがゆえに、魔法の正体よりもまず、スレンが大量の魔力を消費したことに頭を回すことができたのだ。普通ならば魔力枯渇に昏倒していてもおかしくはない。立っていることすら、自分たちの年齢では讃えられるべきことだ。アルトセインは、倒れるスレンに肩を貸すことすら考えていた。なのに、


「何が?」


 事も無げに振り返るスレンに、アルトセインは身震いをした。


「いや、その、魔力は大丈夫なのか?」

「魔力?」


 アルトセインの意図になかなか気づかないスレン。


「ずいぶん大きな魔法だったけれど、使った魔力も多かったんじゃないか?」

「ん、あーそうだね。防壁魔法よりはかなり」


 キョトンとするスレン。本当にやせ我慢ではなさそうだ。


「すごい魔力量だな」

「え、そうなのか? そ、そういえばやっぱりとても疲れたよ!」


 ほら、と溌剌に言って身体をだらんとさせるスレンに、アルトセインは眉をひそめた。魔力量が多いことは魔道師として誇るべきことだ。だがスレンは隠したいのだろうか。それにしては態とらしすぎるが。

 ともあれスレンが無事ならそれで良い。ならば遠慮することもないだろう。


「それよりさっきの魔法。呪文はどんななんだ?」


 いろいろ聞きたいことはあるが、大抵は呪文を知ればわかることだ。属性も、スレンが求めた効果も、どのような呪文を唱えたかで明らかになる。

 スレンが唱え始めてから発動まであまり間がなかったことから、呪文はとても短いものだということがわかる。しかし得てして強力な魔法の呪文は長い。アルトセインもすべての魔法を知っているわけではないので例外はあるだろうけれど、少なくとも聞いたことはなかった。だからこそ興味を抑えることができないのだ。


「あの……なんというか、それは……」


 だがスレンの反応は期待していたものとは大きく違っていた。アルトセインはわずかに表情を曇らせるが、すぐにハッとしてスレンが口ごもるわけを察した。


 私は馬鹿だ。あれほど強大な魔法の呪文を容易く口外できるはずがない。恐らく師匠から口伝された《とっておき》に違いない。私はまだ教えてもらえないが、メイオール家にも、秘伝の魔法は存在するのだ。そうか。スレンが遠く離れたのは呪文を盗み聞きされないためか!


「いや、ごめん。なんでもない。忘れてくれ」

「え、いいの? あ、いや、うん、わかった」


 追及を逃れ、安堵するスレンを見て、アルトセインはやっぱりと確信した。


「コホン」


 と、アルトセインの後ろから態とらしい咳払いがした。ミルレットだ。


「すごい魔法だったわね。いいえ、すごいだなんて評価ではあの魔法に失礼だわ」


 燃えて形の崩れた足元を注意深く確かめながらミルレットは二人に歩み寄る。咄嗟に身構えるスレンにミルレットは、


「そう構えないでもらえるかしら。わたくしはそこの魔法馬鹿と違ってさっきの魔法には興味はないの。余計な詮索はしないわ」


 と、肩を竦めた。


 そんな王女に、アルトセインは違和感を覚えた。


「ミルレットさま、おひとりですか? 彼らは……」


 王女はひとりだった。いつも彼女の周りに付きまとっている生徒たちは、はるか後方、さっきまでアルトセインたちがいた地点から一歩も動いていない。遠巻きにこちらの様子を伺っているだけだ。


 取り巻きから解放されたミルレットは、スレンではなくアルトセインに接近する。


「メイオール家はどの派閥にも属していなかったわね」

「え、ええ。おっしゃる通りです」

「ならば今後、彼と近づくのは控えなさい」


 それはスレンを取り込むという宣言にほかならない。


「それは……」


 アルトセインは言い淀む。せっかく手に入れた防壁をみすみす手放すわけにはいかない。だが、


「あら、メイオール家もわたくしの側についてくださるのかしら」

「それは……」


 自分が当主であればそうしたかもしれない。しかしたかが十二歳のアルトセインにそれを決める権限はない。

 言葉に詰まると同時にアルトセインは悟る。


 そうか。ミルレット王女の言った「貴方に文句を言う輩はいなくなるかもしれない」という言葉の「文句を言う輩」とは、彼女がスレンを取り込んでも文句を言わない輩、ということだったんだ。


「……わかりました」


 ならば、アルトセインはこう答えるしかなかった。そしてミルレットの矛先は当然スレンへも向かう。


「そういうわけだから、スレン。貴方もアルトセインと関わるのは控えなさい」


 ミルレットの誤算はスレンが平民ではなかったことだ。平民とは身分制社会に存在する身分のひとつでしかない。そういう意味でスレンは、純粋な平民とはいえない。だから、王族を敬うことがどれだけ自己保身に繋がることなのかを真に理解していなかった。そしてもうひとつ。スレンが純真すぎたことだ。単純とも言っていいだろう。スレンは「貴方に文句を言う輩はいなくなるかもしれない」というミルレットの言葉を鵜呑みにしてしまったのだ。


「何言ってるんだよミルレット。おれはまだアルトセインにお礼してないんだからな」


 その《輩》には自分も含まれてしまった。そしてそれを咎めることができない決定的な理由が、ミルレットにはある。彼女がスレンを欲していたことだ。もしも敵対派閥の連中がスレンの無礼を許容し、自陣に取り込むことを選択してしまった場合、彼我の戦力差は決定的なものとなってしまう。それは彼女にとって許されないことだった。


 一方でアルトセインにとって、この状況はすべて予定通りのものだった。スレンとの関係をより深くしようとアカデミーの脱出を企てたのだって、ミルレットがスレンに接触したことを受けてのことだ。彼女と自分を天秤にかけた時、スレンが自分をとってくれるような親友と呼べるような間柄にならなければならなかった。それが今、まさに実ったのだ。本当にギリギリのタイミングだった。


 しかし素直に喜べないのは、目の前の王族が、頬をひくつかせているからだろう。





 アルトセインがなんとも言えない気まずさを感じている時、不意に視界外からドサリと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。


「……そんなぁ」


 情けない声をだして尻餅をついていたのは教師カトレアだった。

 涙目の彼女の視線を追うと、根本から上が消失している鉄製のダミーターゲットがあった。

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