第35話 邪魔者を黙らせろ
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アルトセインは賢い子どもである。アニム市街から城壁を飛び越えてアカデミーへ帰ってきた時、スレンから「ありがとう」という言葉を引き出せたのは予定通りだった。もちろん今回の脱走だってバレるような下手は打っていない。すべて計算通り。だが、その賢いアルトセインをしてどうにもならないことがあった。
「スレン、今日こそ本当の実力を見せてくれるのかしら?」
それは権威だ。
スレンが編入して三度目の魔法実技が始まる直前、スレンとアルトセインは学生たちが集まる屋外実習場でお喋りをしていた。アカデミーを脱走してからずいぶんと距離の縮まったふたりの関係。スレンの、アルトセインに対するぎこちなさはもはや皆無。どこからどう見ても仲の良い友人同士だろう。
そんな仲睦まじい男子ふたりに、王女が無遠慮にも割り込んできたのだ。
二度目の魔法実技では、ミルレット王女が欠席していたため難を逃れたが、今回は王族という権威から逃げることはできなかったようだ。
「ミ、ミルレット王女デンカ。ご機嫌るるわしゅ、うどぅわ……しゅうございます」
満足に挨拶もできないスレンに、王女の取り巻きは露骨に眉をひそめた。いや、眉をひそめた理由はスレンが礼を忘れていたからだろうか。スレンの横できちんと礼をするアルトセインを無視し、王女は噛み噛みの挨拶をしたスレンを笑った。
「ふふ、まだ慣れないのね。それよりもスレン、今日こそ本当の実力を見せてくれるのかしら?」
「そんなこと言われても、何を見せれば良いのデスカ」
アルトセインは穏やかでない内心を隠しつつスレンと王女のやり取りを見守る。
「それにどうしてそんなもの見たいのですか」
続けざまのスレンの問いかけにミルレット王女は、笑みを崩さず答えた。
「ふふ、わたくしもあなたに興味があるのよ」
言葉の最中、一瞬だけ向けられた視線にギクリとするアルトセイン。「わたくしも」と言い放った王女に、自分の企みを調べ上げられていることを悟り戦慄した。王女がどうしてスレンに興味を持ったのか。たしかに王女が口にしたスレンの来歴は興味深いものだった。特に研究狂いで有名なアターシア・モールが、なぜスレンを勧誘したのかという部分。だが王女の口からはついに語られることはなかった。彼女は知っているのだろうか。あの後、さらにスレンに耳打ちをしていたけれど、その内容が恐らく勧誘の理由なのだということは想像に難くない。そして、きっとスレンの魔法の実力に関係することなのだと確信した。
アカデミーを抜け出したあの日、アルトセインは一度城壁へ登り、そこから飛び降りることで壁を越えようと計画していた。だが、スレンの跳躍が高すぎてそれが叶わなかった。もちろんアルトセインでも同等の反発力をもった防壁を作ることはできるだろう。かけた時間が短いわけでもない。だが、その後のスレンが普通すぎたのだ。
アルトセインが注目したのはスレンのもつ魔力の量だった。あれだけ強力な魔法を使ったにもかかわらず、スレンは息ひとつ乱さなかった。それはつまり、魔道の名門であるメイオール家で、幼い頃から鍛錬を重ねてきた自分よりも、優れた魔力量を有しているということに他ならない。魔力量を上げるために自分がどれだけ努力を重ねてきたか。幼き日々を思い出す度に、スレンの異常さを思い知らされた。
だが、それだけで王女がスレンに目をつけるとは思えない。きっと魔力量だけではないのだ。
もしかして、スレンが大物を釣り上げたのではなく、ミルレット王女が分相応にグルメだっただけなのでは。
それも平民出身とあればどこの派閥にも所属していない。いわば天然高級食材というところか。
「ワタシは興味ないですが」
「そう言うけれどね、示しておいて損はないと思うわよ」
アルトセインにとって幸いなのは、スレンがミルレット王女を敬遠していることだ。後見人の意向だろうか。しかし都合の悪いことに、王女はまだ食い下がるつもりらしい。
「例えばその言葉遣い。慣れてないのでしょう?」
スレンの口元を指して悪戯に笑う王女。図星を差されたスレンは、思わず半身を下げてしまう。
「けれど使わないわけにはいかないわよね。それが、使わなくても良くなる方法があるとすれば?」
「え?」
ミルレットの甘言にあっさりと食いつくスレン。あちゃーとアルトセインは眉間を押さえ……るわけにはいかないので、視線を伏せた。あからさまなことはできない。スレンの相手をしているとはいえ、自分の一挙手一投足を、あの王女は見逃さないだろう。
「みんな貴方を平民だと思って侮っているのよ。その身分の差をひっくり返してしまうような圧倒的な魔法を貴方が見せれば、少なくともアカデミーの中だけは、貴方に文句を言う輩はいなくなるかもしれないわね」
社交界では爵位が、騎士団では階級が、商人の間では商売の規模が、アカデミーの研究者たちのなかでは研究成果が、学生たちの間では魔法の成績が大きな影響力を持つ。
「魔法を見せるのデスカ?」
確かにと、アルトセインは内心で頷いた。アルトセインのような、実力があって然るべきという立場であれば、どれだけ凄い魔道師であるかを見せつけたところで、その衝撃は歓声へと変わるだけだ。だがスレンのような、どこの馬の骨ともわからない平民に見せつけられれば、普通の学生ならば、恥ずかしさのあまりその口を噤んでしまうだろう。貴族である自分が、平民であるスレンに劣っている。その事実をわざわざ声を上げて宣伝するような間抜けはいない。
貴族社会の振る舞いになかなか馴染めないスレンにとって、王女の提案は渡りに船だった。
「そうよ」
「風の防壁魔法を?」
「うーん、もっと派手なものが良いわ」
アルトセインは測りかねていた。最初の魔法実技では、スレンは呪文の詠唱も覚束ないド素人だった。魔力制御もよく編入試験をパスできたなという程度。しかしアカデミーを脱走した時に見せた防壁魔法は、実技において学年主席をとる自分をして驚愕するほどの出来栄えだった。
やはりミルレットの言葉通り、スレンは”魔道師が短杖を隠す”というやつを演じているのだろうか。
「攻撃魔法……そうね、火属性は使えるかしら?」
言外に使えるわよねと含ませているように得意げな笑みを見せるミルレット王女。その確信はどこから生まれるのか。肯定するスレンに、王女は満足気に頷いて要求した。
「だったら、使ったことのある最大の火属性魔法を見せてくれるかしら。地面が焦げるほどのものがいいわ」
やけに具体的な指定条件に、スレンは顔を引きつらせている。思い当たる節があるのだろうか。
それにしても地面を焦がすほどの火属性魔法とは。
炎とは現象である。実体がないぶん、風属性同様、魔法の発動自体は比較的容易だ。だが、実体がないぶんその維持には常に魔力が消費される。だから火属性魔法の発動は、常々一瞬のうちに終わる。だからこそ。
だからこそ、だ。地面を焦がすほどの魔法となると、それはもう凄まじい大火力が――それこそかのセリクシア戦争でシフォニ、イニピア両陣営がこぞって開発した、多人数での重詠唱が必要な極大魔法ほどのものが必要だ。あるいは膨大な魔力と引き換えに長時間維持し続けるかだが、どちらにせよ単独で発現させられる魔道師は、今現在どれほどいるだろうか。少なくともアルトセインには無理なことだ。
「……わかりました」
スレンは少し悩んで、そして何かを納得したように頷き、了承する。
「じゃあ、ここで詠唱するのは危険なので、あっちで――」
「ちょっと待ちなさい。ただ見せるだけでは無粋でしょう。的を決めましょう」
「的?」
「そうねぇ……アレなんてどうかしら」
王女が指さしたのは攻撃魔法を練習する時のダミーターゲット。騎士科にある木製のものよりも耐久性にすぐれた鉄製だ。今日の授業で学ぶ予定である風属性の攻撃魔法の練習用にと、教師カトレアが用意したものだ。確かにあれならばどんな炎にも耐えるだろう。
「……あれを壊せば良いんですか?」
「鉄製なのよ。壊すのは無理よ。標的が決まっていれば、見る方も安心でしょう」
王女のリクエストは規模の大きい魔法だ。なのにどこに現れるかわからないというのは恐怖でしかない。ミルレットを取り囲む女生徒たちもコクコクと頷いている。アルトセインもダミーのほうへ身体を向けて備えた。
「わかりました」
と、歩き出したスレンにミルレットが疑問符を投げかける。
「あら、どちらへ?」
その疑問に、
「大きな魔法なんだから、近くにいたら危ないでしょう」
と、振り返ったスレンは答えた。
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