Level 21

「十字砲火に沈黙させられてしまいました」

     level 21


「凛子! あなたって子は!」


ドスドスと荒々しく廊下を足早に歩いてきた母は、いきなり玄関先でわたしの頬をぶった。

突然のできごとに、頬を押さえて呆然と突っ立ったままのわたしを、母は恐ろしい形相で睨んでる。

こんなに取り乱した母を、わたしは見たことがない。

一瞬、なにが起こったかわからなかった。

いったいわたしがなにしたの?

今日は門限守ってるし。


「まあまあお母さん、落ち着いて。凛子もちょっとこっちへ来なさい」


滅多に玄関先になど顔を出さない父が、取りなすようにやってくると、わたしを床の間へ促した。

頬を押さえながら、わたしは黙ってふたりのあとについていった。


「そこへ座りなさい」


床の間を背にしてきちんと正座した父は、わたしを向かいに座らせる。

表情を固く強ばらせ、『コホン』と咳払いをひとつすると、一枚の紙切れを畳の上に置いて指差した。


「ちゃんと説明しなさい」

「…」


、、、ついに、来るべき時が来た。

観念して、わたしは瞳を閉じた。

その紙切れは、、、


わたしが勝手に親の印鑑を持ち出し、サインを偽造した、モデル事務所の契約書と保護者同意書だったのだ。


「鹿児島の従兄弟いとこから連絡をもらって、わたしは魂消たまげたぞ。

凛子。おまえはテレビのコマーシャルに出ているそうだな」

「…」

「わたしたちに黙って、おまえは本当にモデルの仕事なんかしているのか?」

「………」


沈黙してるわたしに痺れを切らしたかのように、横から母も口を出してくる。


「『あのCMに出てるの凛子ちゃんでしょ? すごく勇ましくて綺麗ね。先生を目指してるって聞いていたのに、モデルになったのね』って、親戚から電話で言われて、親のわたしがなにも答えられなくて、大恥をかいたのよ。どうしてわたしたちに教えなかったの?!」

「…」

「黙ってちゃわからん。これはいったいどういうことなのだ?!」

「…」

「勝手にうちの印鑑持ち出して、サインまでするなんて。どうしてちゃんとわたしたちの許可をとらなかったのだ?!」

「…」

「最近のあなたは嘘とごまかしばっかり。どうしてこんな娘になってしまったの?」

「…」

「凛子!」「凛子!」


十字砲火のように、ふたりの叱責が飛んでくる。

拳をギュッと握りしめ、わたしはなにも言えずにうつむき、ただ、畳の目を凝視して耐えた。


「凛子。わたしたちになにも釈明できないのなら、今後モデル事務所への出入りは、いっさい禁ずるぞ。もちろんモデルも、今すぐ禁止だ」

「…えっ? そんな… ひどい!」


父の厳しい言葉に、わたしは狼狽うろたえて叫んだ。

事務所への出入り禁止って…

追い討ちをかけるように、母が続ける。


「『ひどい』じゃありません!

あなたが最近、わたしたちに隠れて、なにかコソコソしているのは知っていたわ。

だけどあなたも、もう18歳。

自分のことは自分で判断できる年頃だから、あなたの意思を尊重しようと考えて、あなたの方からキチンと言ってくるのを、わたしたちは待っていたんです!」

「…」

「なのに姑息にも、勝手に文書を偽造したり、コマーシャルに出たのを隠していたり、挙げ句の果てには嘘をついて外泊までしたり。

来月にはセンター試験だというのに、全然勉強もしないで、学校の成績も模試の順位も下がっているし。

これ以上勝手な真似をするようだったら、こちらにも考えがあります。

ちゃんと納得できる説明を聞かせてもらうまで、あなたは外出禁止。当分謹慎してもらいます!」

「…」

「まったく…」


『はぁ』と、大きくため息ついた母は、諭すように言った。


「いったいどれだけの人に、今回あなたは迷惑をかけたと思っているの?」

「迷惑?」

「事務所の方も、モデルの件を、わたしたちが聞いていなかったと知って、驚いていたわ。なによりあなたがお世話になっているという、森田美湖さん。あなたはその人のメンツを潰してしまったのよ」

「みっこさんの、、、?!」

「だってそうでしょ? あなたは森田さんをも騙していたんだから」

「…」

「森田さんは言っていたわ。モデルをやることについて、ご両親にちゃんと許可をもらっているか訊いたとき、『両親も賛成してくれています』って、あなた答えたそうじゃない」

「…」

「未成年者がモデルをするのには、保護者の承諾がいることもちゃんと説明して、あなたからは『大丈夫です』と言われていたので、心配していなかったとおっしゃっていたわ」

「…」

「言っておきますけど、こんなビジネスの契約に関わる重大なこと、あなたの口約束だけでは済ませられないのよ。

あなたの返事次第では、わたしたちはそのモデル事務所や森田さんを、法的に訴えることにもなるんですからね」

「そんな、横暴な!」

「黙りなさい」

「いいえ、黙らないわ。そんなことする権利、お母さまにないわよ!」

「権利ならあります!

「労働基準法の未成年者の扱いについて、親権者は雇用契約が本人に不利であると認め、その契約を解除することが未成年者の保護のために必要であると判断した場合は、本人の意思に反したとしても当該雇用契約を解除できる権利があるのです」

「…」


さすが、社会科の高校教諭。

反撃を試みたものの、法律を盾に、有無を言わさぬ口調で理論整然と話す母に、たちまち沈黙させられてしまう。

わたしが黙ったのに調子づいた母は、ダメ押しするように続けた。


つづく

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