Level 8
「失いかけてはじめてその存在がわかりました」
level 8
「あの… 話ってなんですか?」
『乗って』と言ったきり、ヨシキさんは話をはじめるでもなく、黙ってクルマを走らせるだけだった。
その表情は心なしか、憂いに沈んでいる。
じれてきたわたしは、自分から話を切り出した。
「はい。昨日のプリントとデータ。パソコンで見ても、すっごくよかったよ。美月ちゃん最高だった。改めてありがとう」
気持ちを切り替えるかのように、ヨシキさんは明るい微笑みを浮かべながら、小さな封筒を渡してくれた。
「え。もうできたんですか? ありがとうございます」
「美月… いや、もうプライベートだから凛子ちゃんだな。もう食事すんだ?」
「ええ。さっき軽くすませましたけど。ヨシキさんは?」
「オレはコンビニでおにぎりでも買って、クルマのなかで食べたよ」
「え? そんな適当な食事でいいんですか?」
「ははは。ひとり暮らしだし、仕事に入るとロクに食べられないことなんてザラだし、そういうのは慣れてるから」
「でも…」
「じゃあ、適当に走るか。凛子ちゃん、今日は時間大丈夫?」
「…ええ。門限までに帰れれば」
「よし! じゃあ、ちょっと走るか」
気持ちを切り替えるように言うと、ヨシキさんは首都高速にクルマを乗り入れた。
昨日いっしょに見たような綺麗なトワイライトが目の前に広がり、灯りはじめた街の光が、フロントガラスから左右に分かれて流れていく。緩やかなカーブにからだを揺らされ、タイヤからわずかに伝わってくる振動が、心地いい。
しばらくの間、ヨシキさんは前振りのように、イベントや昨日の撮影のことを話していた。
「今日はごめんな」
頃合いを見計らって、ヨシキさんがようやく話を切り出してきた。
「なにがですか?」
「写真撮りにいけなくて」
「…いえ」
「凛子ちゃんを巻き込みたくなかったんだ」
「え? なににですか?」
どう話そうか迷うように、ヨシキさんは少し考えて答える。
「人間関係。とかに」
「人間関係?」
「オレの周りっていろいろウザくってさ。凛子ちゃんには迷惑かけたくないし。だから今日はイベントで、声かけなかったんだ」
「…それは、百合花さんや魔夢さんと関係あるんですか?」
「まあ… ね」
「それとも、美咲さん?」
「それもあるけど…」
「いったいどんな『人間関係』なんですか?」
「聞いたところで、凛子ちゃんが不愉快な思いするだけだよ」
「そうやってはぐらかされる方が、よっぽど不愉快なんですけど」
「…確かに、な」
「ちゃんと言って下さい。わたし、平気ですから」
「オレは凛子ちゃんとの関係を、なにより大事にしたいんだ。だから言えない」
「そこまで言って教えてくれないなんて、そんなのずるいです。卑怯です」
「…」
わたしがなじると、ヨシキさんは口を噤み、じっとハンドルの先を見つめた。
気がつけばクルマは東京湾のすぐ横を走っていて、左右には工場のプラントや大きなタンクなどが見える。首都のイルミネーションは遥か右手のうしろに遠ざかりつつあった。
次のランプが近づくと、ヨシキさんはウインカーを出した。
首都高速を降りた『TOYOTA bB』は、倉庫街を抜け、対岸に港の明かりが見える臨海公園の駐車場で、静かに止まった。
日の暮れた日曜の埋め立て地の公園は、人影もなく、駐車場に他のクルマはいなかった。
すぐ近くには、ライトアップされた高速道路の大きな橋脚がそびえ立ち、鉄骨が複雑に組合わさった橋の裏側が、重たくのしかかってきて、対岸まで伸びている。
揺らめく
「やっぱりオレ。凛子ちゃんにはふさわしくないかもな」
「え?」
「…」
そう言ったきり、ヨシキさんはまた黙り込んだ。
胸のなかをザワザワしたものが駆け巡り、夏だというのにからだが震える。
これって、別れの予感?
つきあいはじめてまだ、一日しか経っていないっていうのに。
ううん。
わたしたち、ほんとうにつきあっているのかさえ、わからない。
重い口調で、ヨシキさんは話を続けた。
「凛子ちゃんは美しくて清らかで潔癖なお嬢様で、オレみたいないい加減な男には、似合わない」
「…」
「オレは、ろくでもない
「…」
「打算的で性格悪くて卑怯でずるい、イヤなヤツなんだ。だから人の恨みだって、たくさん買ってるし、それに凛子ちゃんを巻き込むなんて、絶対したくない」
「…」
「凛子ちゃんにはもっと純粋で、育ちのいい男の方が、ふさわしいよな」
「…」
「だからオレたち…」
「それ以上、言わないで下さい!」
続きを遮るように声を上げると、わたしは自分の唇で、ヨシキさんの口を無理矢理塞いだ。
失いかけて、はじめてわかる。
わたし、やっぱりこの人が好き!
つづく
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