「あの午後の日のできごとはトラウマでした」

ヨシキさんと出会ってこれまでのことを、わたしは思い返してみた。

はじめてのイベントのとき、『都合悪いなら、無理に誘ったりはしないよ』と、ヨシキさんはさりげなく、次のイベントにわたしが参加するよう、仕向けていた気がする。

はじめて個撮に誘われたときも、『イベント2回目でいきなりロケは無理かな』と、わたしの闘争心をかきたててきた。

もしかしてわたし、ヨシキさんの掌の上で転がされていたのかもしれない。

なんだか口惜しい。

いくら好きな人だからとはいえ、このわたしがこんなに簡単に、人のペースに乗せられてしまうなんて…


「凛子ちゃんがヨシキさんのことを好きっての、最初からバレバレなのかもね」

「えっ? ほんとにですか? わたし隠していたつもりなんですけど」

「凛子ちゃんって実はわかりやすいもん。すぐ表情に出るし。それに百戦錬磨のプレイボーイなら、女の子の『好きオーラ』を敏感にキャッチするだろうし」

「そ、そんなものですか?」

「じゃないと、最初のデートでいきなりキスなんてできないわよ、ふつー。『いける』って確信がなきゃ踏み込めないでしょ。あ~、どこまでも憎いヤツ!」

「んん…」

「凛子ちゃんが落城するのも、時間の問題かもしれないね~。ヨシキめ~、わたしの美少女を」

「落城って…」

「ま。いっぱつ、薩摩おごじょの意地を見せてやりなさいよ。その狼男に」


もう12時を回って夜も更けたというのに、わたしと優花さんは携帯で話し込んでいた。

愛のこと、恋のこと。

ヨシキさんのこと。

兄と優花さんのことも、いろいろ話した。


「凛子ちゃんって、忠彰さんとつきあいはじめた頃、わたしのこと嫌ってなかった?」


不意に優花さんが漏らした。


「わたしずっと気になってたのよね~。最初はそんなことなかったのに、ある日突然、凛子ちゃんヨソヨソしくなって、顔を合わせてもなんかピリピリしてて、目も背けるし…

『わたし嫌われてるんだな~』って思って凹んでたのよ~。凛子ちゃんのブラコン疑惑も、そのとき感じたわけ」

「そんなことないです」

「ほんとに? 忠彰さんは『思春期だろ』ってお気楽なこと言ってたけど、ほんとに嫌われてなかった?」

「嫌いとかじゃなくて、ただ…」

「ただ?」

「いえ… なんでもないです」

「なにかあったの?」

「別に… たいしたことじゃ」

「言ってよ。ね。あたし、なにかした?」

「ん…」

「言ってよ。すごく気になってたの」

「ええ… 実は」


しかたなく、わたしは話しはじめた。

3年近く前の、あの『トラウマ』になったできごとを。



そう。

あの日…


日舞のお稽古が、先生の都合で急に中止になって、予定より早く帰宅したときのことだった。

父は講演会で泊まりがけで出張に出かけていて、母もその日は友人との旅行で帰らず、兄も外出しているはずで、家にはだれもいないことがわかっていたので、わたしは自分で玄関の鍵を開けて、そのまま階段を駆け上がり、自分の部屋に行こうとしていた。

兄の部屋の前を通ったとき、なかで人の気配がして、声が聞こえてきた。


『あれ? お兄さま、いるのかな?』


しかし、挨拶しようとドアをノックしかけたわたしは、部屋から聞こえてくる、糸を引くような粘り気のある甲高い呻き声にギクリとして、思わずその場に硬直してしまった。

その声は次第に短い促音へと変わっていき、調子を高めながら速くなっていく。

餅つきのような、ピタンピタンとなにかがぶつかり合うような音が聞こえ、金属の、おそらくベッドのスプリングが軋む音が、リズムよく響いてくる。


兄と優花さんがこのドアの向こうで、今、セックスしている…


まだ中学生だったわたしには、それは充分衝撃的なできごとだった。

悟られないよう、わたしは忍び足でその場を離れ、逆回しのように階段を降りて玄関を出ると、家の鍵をかけた。そして、ふたりの情事ことが終わるまで、近くの神社で呆然とたたずんでいた。

それ以来、意識したこともなかった兄の『男』の部分と、可愛くてやさしい優花さんが、獣のような声を上げている姿が頭のなかでグルグル回って、まともに話すことができなくなったのだ。


「んむ~、、、 そっか~。そうだったんだ~」


携帯の向こうで、優花さんが真っ赤になっている姿が、容易に想像できた。


つづく

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