這う虫よ
不思議そうな顔を、光廣とフセは向ける。カズを兄と慕う少年がいる。それはカズとそっくりである。知ろうとも、それに戸惑うのは必然以外の何物でもない。二人の情報量はほぼ同じである。そこに、個人間での差は少ない。
「貴方死んでるんだと思ってたわ」
ただし、そこから出る発言の有無、質は全く異なる。ハッキリと、生を問い詰める言葉を出したのは、フセであった。
「あぁ、確かに、あっちでは、そういうことには、なっているから」
区切り付けて、淡々とした話し方は、カズのそれとは似ていない。同名を冠した存在でありながら、彼は腰据えた何かを持っていた。
「俺達は入れ替わりを生きながらしている。というわけでもない。言えるのは、俺はここに逃げて、豊宮和姫として生きている。兄さんは、豊宮和一のまま、俺の名を名乗り、姿を無理矢理に変えて、俺の身代わりを、買って出ているということだ」
彼は目を摩って、それを示した。理由はこれであると、手を翳す。和姫は傍にあった和一の手を探る。それに気づいたカズが、その手を引き寄せて、握った。同じ大きさの手だが、うっすらと見える傷跡の数は、圧倒的に、カズの方が上である。
「学院長のいるその扉から出て来たんだもん。立ち話は飽きたでしょう? ご飯を食べようよ。他の皆も三人に会いたがるわ」
リリーが、腕の中ですり寄るフセを受け止めながら、そう笑った。ハクも頷き、隣にいた貴族風の少年も、キラキラとした目をこちらに向けている。
「そこの背の高い方は?」
カズの後ろ、ずっと立っていたらしい、アキラを見て、貴族風の少年は尋ねる。
「俺もこいつらを頼まれている身の上でね。悪いがご一緒させてもらおう。本当であれば、子供だけで話したいんだろうが」
その声聞いて、首を傾げ、アキラ、と、呟いたのはハクである。声の判別。ハクはアキラを知っている。だが、これで言えるのは、アキラは声を覚えているハクがわからない程度には、姿を変えているということだ。
「積もる話は席でしよう。体力も湯水も限界はある」
カズの言葉で、全員が、他の生徒たちの行く方向へと向かって行く。ふと後ろを振り向いたフセは、そこに、自分たちが出て来た扉が無くなっていることに気が付く。そこは既に廊下の壁の一部となっていて、それ以上の存在ではなくなっている。隣にある温もり、姉リリーの手の存在を確かめながら、フセはその先を見つめた。気にせずに暫く歩けば、そこにあるのは、大きな開かれた扉である。様々な姿をした少年少女、一部は青年達が、吸い込まれるようにその部屋の中に入っていった。
「おう、坊ちゃんたち、今日は客人を連れてるのか」
そうやって笑いかけた男は、ぬるりと蛇のように腕を彼らの間に入れ、前にあった長机の上に布を敷いていく。
「いや、いや、これは珍しい。最一の若君か」
長めの睫毛をバシバシと瞬かせ、彼はにこやかに笑う。ゆったりと結ばれた赤髪が揺れて、カズの顔に当たった。全員が座ったのを確認すると、男は押していたワゴンから水と食器の一式を全員の前へ置き始める。
「何の風の吹き回しだ? 魔女の才を持て余した貴方が、ここに誰かを連れて来るとは。俺達の料理が恋しくなったか?」
「まあ料理の善し悪しで言えば、お前達に勝るものは無い、というのは事実だな」
鼻で笑うカズは、男の顔を見て、丁度、机の反対側で大皿の料理を運ぶもう一人の男も観る。彼もまた、赤髪を持ち、すっきりとした短髪に整え、瞳に草原を抱く。不思議そうに草原の彼は、大皿を皆の目の前に置いた。
「最近入った俺の弟もついでに紹介しよう。俺はアンドレ・バスティア。弟の方はユーリ。この城で料理人をやっている。種族はただの人間……と、言いたいところだが、ちょいと訳ありな血筋でね。それを買われてここで生活してるんだ」
低音は、しわがれて、大人を意味する。彼の言葉は重いが、軽い感覚を含む。
「どうせここにいる奴らなんて、大体そういうのだ。自己紹介はちゃんと聞いておけ。お互いにタブーに踏み込まないようにな」
そうとだけ言って、アンドレとユーリは立ち去った。全ての食器と大皿を置いていく。その上には、大量のパンや、洋風煮付けなど、多岐に渡る品々が、それぞれに盛られていた。和姫が手を出そうとすると、すかさずカズが彼の食器に取り分けてやる。
「で、まあ、飯でも食いながら自己紹介と行こう。地雷踏むのだけは嫌だからな。何をするにもまずは、挨拶と飯だ」
自分の皿にも、和姫と同じものを盛り付け、カズは椅子に座り込む。足を組み、手を合わせ、一度祈る形を取りながら、いただきますと呟く。
「俺は全員知っての通り、豊宮和一。ここでは最一の魔女なんて呼ばれることもあるが、ただの混血だ。ここの学長の孫だから持て囃されてるけど、それだけだ。十歳の時から十二歳の時までここで過ごしてた。だからリリーやハクとも面識があるし、ここの人間とは交友がある」
カズがタバコでも吹かすように息を吸い、吐く動作は、樒のそれと似ている。特に横から見る雰囲気は、真似ているわけではなく、自然とそうなってしまったようにも見える。熱々の芋のトマト煮を口に含むと、カズは、目配せでハクに紹介を促した。
「ボクはハムレット=クラーク・ナッシュ。本名が長いからハクで良いよ。ハムレットもクラークも、ちょっと恥ずかしいしね。ナッシュは守り人の家の名前。つまりボクは守り人のハク。守り人は精霊や悪魔なんかと仲が良いんだよ! 彼らを守る存在だからね! 皆ボクのお友達だから、もし何かあったら相談してね!」
ハムレット=クラーク、ハクは、素直さと、実直さをその手振り身振りで表しながら、その明るい声を上げる。金糸と黒水晶の瞳は、暖かく、カズ達が触れるには熱い。そんな気がした。それだけ、彼には異常なまでの、精神のやさしさを感じたのだ。
「私はリリー。本名は月ノ宮百合子。伏子ちゃんのお姉ちゃんよ。つまり、月ノ宮本家の長子長女ね。母さんが魔女の血族で、私はそっちが濃かったから、こっちで魔女になる修行を積んでいるの。見た目は父さんの色を受け継いだけどね。帰っても繋がりはあるだろうから、よろしくね」
首を傾げる仕草で、彼女は清純性を訴える。月ノ宮家の長子。それだけで、光廣よりも高い立場にあるということを突きつけられる。光廣は本来、宮家に仕える者である。その上位に立つ者を前にしていると自覚した時点で、背筋がいつもよりも真っ直ぐになってしまう。その様子を見たリリーは、クスリと笑う。艶めかしい黒は、リボンで後ろに一括りで纏められているが、髪型の大人しさに反して、それは見目のかわいらしさを助長していた。瞳は真っ直ぐさを物語る、一点の曇りもない夜空の黒である。それが細められると、その奥の、更に奥を欲するように、見ていたくなるようであった。
「……もしかして、僕、今、とんでもない人達に囲まれてる?」
光廣は少々の顔の青さを見せて、そう言った。
「別に気にするこたないさ。ここにいる奴らは、元が何であろうと誰もが平等だ。皆、学びに来てるんだ。権力を揮いに来てるわけでも、手下を探しに来てるわけでもない。ここで絶対的な権力があるのは、学院長のババアだけだ」
カズがそう言ったのに合わせて、貴族風の少年が、クスクスと笑う。ハクの隣でパンを毟っていた少年は、ゴクリとそれを飲み込んで、口を開ける。
「お前はその絶対権力の孫だけど。ま、それでも僕らみたいな普通の子供と、気軽に話すんだ。ここが平等だということに異議はないね!」
鋭く尖った犬歯がちらりと見え、少年は笑いを止めない。
「僕はルシアン。ここの生徒兼先生兼実験体兼研究員、といったところだ。歯を見てわかる通り、普通の人間じゃなくて、吸血鬼って言う、ちょっとした絶滅危惧種だよ。繁殖が目的でここに五十年近くいるんだ。可愛い女の子知ってたら紹介してね!」
大分キツイのが来た。フセにしても光廣にしても、純粋な感想はそれである。少年の見た目は日本でいう中学生程度で、清潔そうな見た目に、良質な墨でも固めてやればこうなるだろうというような長髪を波入れて垂らし、ギラギラとした金ではない、泥金の瞳がうすらと輝いている。
「吸血鬼は幻想種っていう、異界と現世を半々にしたような場所に生きてる種族の一つだ。守り人が守ってる種族の一つでもある。特に吸血鬼は人間の手で絶滅寸前まで追い込まれた奴らで、各地域の教育施設やら研究施設で保護管理がされてる。こいつもその一人なんだ」
にっこりと、屈託のない笑顔で、ルシアンは微笑みかける。カズの説明を聞いた後では、その微笑みに返す顔が見つからない。
「保護されてると外に出る機会が少なくて暇だから、ここで色んな人達と話すのが好きなんだ。外から来た人達とね。だから、時間があったら是非僕とお茶してよ。色んな事を知りたいから」
ルシアンの声は、ころころとして転がる。明るい内に、何か冷えた石を含んでいるようにも思えた。煮つけのスープをひと匙すくって、フセはルシアンの目を見る。それに対して、観察であると察したルシアンは、そのまま食事に移る。
「……俺の説明は長くなるし、本当に自己紹介だけで良い?」
和姫が、食器に入っていた食事に手を付けながら、そう困惑したように言う。カズに伺う彼は、酷く不安そうでもある。
「良いよ。大した話でもない」
カズがそう言うと、和姫は、良かった、と一言だけ置いて、口を開いた。
「初めまして二人とも。俺は豊宮和姫。豊宮本家の次男で、北の魔女の弟子。今はこの目の治療も兼ねてここにいるけど、昔は亥島に住んでたし、少しくらいは会ったことあるかも」
彼の開かぬ目は、凄惨な何かを物語るには見事なまでに過剰であった。眼球を潰したのであろう。瞼は形を成していない。一線に切りつけたのだろう。こめかみ同士を繋ぐように、傷跡を成していた。
「過去を語ればキリがない。それはここにいる全ての人間がそうだ。この目に興味があるなら、自分で調べるべきだ。知っている人は知っている。何も、本人から聞くことはないさ」
和姫は踏み込ませることを止める。事実、彼はそれ以上を語ろうとはしていない。口角だけを上げ、崩れ気味の眉は皺を寄せている。目さえあれば、顔が完全に見えれば、きっと、テリトリーを侵されたような、野生の獣のような顔をしているのだろう。
「そう。なら良いわ。別に私もカズも光廣も、貴方に会うためにここに来たんじゃないし」
フセの声で、ピクリと和姫の眉が動く。ハラハラしている、という感情を、ハクとリリーが露骨に表す。
「……まあ、何だ。一通り説明していいだろうか、俺が」
髪を搔き乱すカズが、整っていた髪型を散らして、そう言う。かくかくしかじか。一夜という少年を助けようとしていること。そのために、大罪の悪魔を召喚し、戦わなければならない事。それが故、仲間を欲すること。三人を土産として連れて来たこと。
「成程。それは大変だ。こんなとこで飯食ってる場合じゃない」
全てを平らげた和姫が、そう笑う。
「召喚ならまずボクが手伝うけど……最高位の悪魔か……ちょっと今は、仲間を集めにくいね」
ハクがその印象に似合わず、難しそうな表情を現した。何事かと、問いただす意思を持って、何故、と、カズが首を捻る。
「二か月前に、同じことをやった人達がいるんだよ。南の派閥なんだけどね。ちょっとおかしなことがあって」
言うまいか、どうかをハクは悩むような表情を出すが、不安とその他諸々を飲み込んで、吐き出した。
「惨殺されたんだ。体の中で心臓を粉砕されて」
カズは目を見開く。リリーが少々、口に手を当てて、気分悪そうにハクを見る。『体内での粉砕』と『抜き取る』ことは違う。命を懸けることには同じだが、回復のチャンスがあるかどうかと言う意味では、全くに異なる。心臓を抜き取るということは、確かにリスクは大きい。だが、幸い、抜き取られるだけなのだ。魔法でも魔術でも呪術でも何でもよい。工夫を凝らせば、負けても心臓を元に戻して蘇生する方法など、いくらでもある。だが、粉砕されれば別だ。元に戻すことはできず、ただ、死ぬだけ。
「何故そんなことに? 抜き取られるだけだろう。勝負は」
珍しくアキラが、怪訝な表情でそう尋ねる。びくりと肩を跳ねたハクは、おずおずと口を開いた。
「機嫌が悪かった、って、言う話だけど……悪魔の種類はサタンだったかな。なんか、変に怒り狂ってたって、生き残りの人が言ってた。もう退学したからここにはいないけど……」
情報を取り損ねている。機嫌が悪い。そんなことで、命のやりとりのルール変更など、まかり通らない。だが、言ってしまえば、悪魔と魔女、どちらの方が上の立場にあるかは、明白である。召喚の時点で、本来なら上にいるのは悪魔である。戦えというのは、力尽くで従わせろという意思表示だ。供物を捧げよというのは、報酬を寄こせということである。
「リスクが上がればハードルも上がると」
カズが、一言、そう唸る。目を瞑って、さてどうするかと、また頭を掻いた。頬に当たる爪が、血を流した。
「……でも、こんなので命を懸けるのは俺だけだ。どんなルートでもな。それを説得に使おう」
そう言いながら、カズは机に指で、線を描く。それは、カズにだけわかる、最高位の悪魔の名。
「因みに聞こう。話のノリに従うなんてしなくていい。純粋な言葉で良い。仮にでも、お前らは俺に心臓を預ける気はあるか?」
このお前らというのは、ハク達への言葉である。悩む顔を見ると思った。だが、その予想は覆り、綺麗に裏返される。
「勿論! でなければ、皆みたいに、話を聞いてすぐにここから立っていなくなってるさ!」
少々困った顔をしたハクを見る。その隣や、周囲、賑やかだったそれが、静かに、騒めいていることに気が付く。自分が当たりたくはない、話したくはないという、一般市民の意思表示だ。
「私も、力になれるなら、お友達の頼みだもの。それに、一夜君には家として恩があるの」
リリーも笑う。和やかなそれは、一種の恐怖を含む。
「僕も、魔力量だけは規格外なんだ。手伝わないわけがない。それに、今更過ぎるんだ、君は。君を見てすぐに駆け寄った僕らが、君を助けないわけないじゃないか。本当に、人間関係苦手なんだなあ、君は」
呆れたように、ルシアンはククっと笑う。煌めくような髪が、揺れた。
「俺は……俺は」
唯一、口ごもったのは、和姫であった。
「俺は、少し、考えたい。兄さんと一夜の為って言うのはわかるけど、俺は、その」
彼は目を擦る。目があった場所を擦る。未だ癒えぬ体の傷と、未だ言えぬ心の傷に触れた。
「構わない。暫くここに滞在するから。なんなら、参加しなくても良い。お前はお前として生きてくれれば良いんだから」
カズは、同じ身長の弟を、優し気に撫でる。妙に暖かく、傷だらけの手は、和姫の真っ直ぐな茶髪を真っ直ぐなままに触れた。
「……さて、三人の参加はわかった。あとは駒……じゃなかった。他の仲間を調達しなきゃだな。あとは召喚で使う材料。それを買う金」
カズは手で丸のマークを作る。下品だからやめろと、フセは言うが、カズはにやにやしながら保つ。フセと光廣には、その表情のカズが、いつものカズ本来のものに見える。狡猾、何か悪だくみでもしているような表情。
「この恰好じゃ、舐められる気がするから、着替えるか。あぁ、それと、俺の部屋がそのまま残ってればいいんだが。俺の帳簿がそこにあるはず。それとリストも一緒に。いや、リストは無くていいか。使えそうな弱みは全部覚えてる」
心底嬉しそうに、カズは紫色の瞳を細めて、口角を上げる。手を組み、顎を乗せて、ハハっと笑った。その瞳の奥、先、見据えるのは、最高位の悪魔と聞いて、震えあがり、遠のいた者達。
「忘れた何て言わせないので覚悟しとけよ、俺の預金通帳達も、俺の道具共も」
数名から、ヒッと悲鳴が湧いた。独断場、仲間とは何なんだろうかと、カズの正しく悪魔のような目に、光廣は首を傾げた。
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