♯366 帰りましょう。わたしたちのお家に

 全員の目がレナへと集まる。


「クレスが、レナたちのこと忘れちゃったんだよ。それがもんだいでしょ! それいがいはどうでもいいじゃん!」

「レナちゃん……」

「フィオナママおかしいよ! どうしておちついてるの? クレスが、クレスがわすれちゃったのに……!」

「……そうだね」


 フィオナは、優しくレナの髪を撫でる。


「でもね、レナちゃん。クレスさんは……ここにいてくれるから」

「……え?」

「たとえわたしたちとの記憶がなくなっちゃっても、クレスさんは、ちゃんと生きてくれているから。わたしはね、それが一番嬉しいの」

「……フィオナ、ママ……」

「一番大切なものは、きっと消えたりしないから。だから――怖がらなくて大丈夫ですよ。クレスさん」


 不安と動揺に揺れていたクレスの瞳が、フィオナを見る。

 フィオナは、悲しむこともなく真っ直ぐな目で言った。


「わたしは、クレスさんのお嫁さんです。クレスさんのことは、これからもわたしが絶対に守りますからね!」


 頼もしくそう告げたフィオナを、クレスはただじっと見つめていた。

 そしてつぶやく。


「…………教えて、くれないか」


 絞り出すような声だった。


「俺に、何があったのか。俺は、なぜ、ここにいるのか。君は、本当に、俺の――」



 ――それからフィオナたちは、クレスに一つ一つ丁寧に事情を話していった。

 初めこそ混乱していたクレスだが、少なくともここに“敵”はいないことを知り、冷静に話を聞いてくれるようになった。それは顔見知りのヴァーンやエステルがいたことが大きかったようだ。


 やがてクレスが落ち着いたところで、話はその問題へと移る。


「んで、どうやってクレスこいつの記憶を戻しゃあいいんだよ?」


 正座するクレスの頭をペチペチ叩きながらのヴァーンの発言。それはおそらく多くの者が同様に考えていたことだった。

 しばらく考え込んでいたエステルが言う。


「通常の記憶障害であるならば、通常の対処である程度は記憶を取り戻したり、時間を掛けて思い出すこともあるでしょうけれど……今回はあまりに特殊な例だから……」

「幻覚作用のある魔術でなら、相手の記憶に一時的に介入したりすることも出来ますけれど、クレス様の件に関しては根本的な……それこそ魂レベルの問題、なんですよね?」


 おろおろして尋ねるリィリィに、メルティルは興味もなさそうに「ふん」と腕を組むのみ。

 そこでヴァーンが「おっ!」とひらめいたように手を打った。


「んじゃあよ! フィオナちゃんがクレスにもう一度同じ魔術を掛けりゃいいじゃねぇか! そうすりゃきっと元通りにぶっふぇ!?」


 途中で言葉を切るようにエステルがヴァーンの顔面にチョップをたたき込む。


「馬鹿。そもそもフィオナちゃんと《結魂式》の状態にあったからこそクーちゃんの命が危なかったのよ。元に戻せばどうなるか容易に想像がつくでしょう」

「んでも今日までは普通にやってこれたじゃねぇか! もしかすっと上手くいく可能性もあるだろ!?」

「ないとは言わないけれど、限りなく不可能に近いでしょうね。そもそもフィオナちゃんがもう一度《結魂式》を成功させられる保証なんてどこにもない。失敗すれば、その時点で二人の命が消えるかもしれないわ」

「……チッ!」


反論もなくクレスの隣に座り込み、不満げにあぐらをかくヴァーン。

 メルティルがぽつりと漏らした。


「近い、どころか完全に不可能だ」


 その言葉に全員が彼女の方を見る。メルティルはため息をついて語った。


「《結魂式》によって魂を繋ぐことすら偶然の賜であり、かつ一度融合した魂を強引に引き離せばもう二度と元の形に繋ぎ合わさることなどない。《結魂》は生涯に一度しか出来ん。本来、人間共の文化における“結婚”もそのはずだがな。魂を結うことの意味を理解出来ているような人間などまずいない。いたとしても不可能だ。お前には解っているだろう」


 メルティルの視線が向いたのは、フィオナ。

 フィオナはただ、小さくうなずくことで応えた。


 レナが呆然とつぶやく。


「……じゃあ、クレスどうなるの? ずっと、このまま……?」

「……消えてしまったのは、フィオナちゃんがクーちゃんに《結魂式》を掛けた直後から今までの記憶。これからの記憶に影響が出ることはない……はずだけれど」

「いままでの思い出は? ぜんぶ消えて、もう、もどらないの?」

「それは……」


 レナの問いに、エステルはハッキリと答えられずに目をそらした。

 さらにレナはエリシアやニーナの方を見た。


「とても残念だけれど、ボクには君の望む答えはあげられないかな。ごめんね」

「エリシア様。これ、ひょっとしたニーナの力がなくなっちゃったから? ニーナの運が悪くなったから、クレスまでこうなったの? ええ、そんなことってあるぅ?」

「君のせいじゃないよ、ラビちゃん」

「でもでも! あたしのカレシなんてさ、世界で一番ラッキーで、一番幸せな人に決まってるの! なのにさ、こんなのってないじゃん。そんなの、カノジョ失格じゃん。じゃあいいよ。別れる。ハイ別れました! ねぇ魔王様。これでクレス元に戻る?」

「戻らん」

「じゃ、じゃあどうしたら」

「知るか」


 素っ気なく、メルティルはニーナの言葉を叩いた。

 そして遠慮も容赦もなく告げる。


「《離魂》によって失われた魂の記憶が戻ることなどありえん。はっ。だから何だ? わずかな期間の記憶が消えたからなんだというのだ。命は無事であるだろう。これ以上まだ望むのか」


 メルティルはとても不機嫌そうに宙を二度“裂く”。そこに暗黒の切れ目が二つ生まれた。

 その一つに足を踏み入れ、振り返ることもなくメルティルは言う。


「くだらん。これ以上貴様らに付き合うつもりはない。しょうもないことを考えていないで、上手いスイーツを作るために頭を使うんだな」


 そして、そのまま暗闇の中に消えそうになったところで――


「メルティルさんっ」


 フィオナが呼びかけ、メルティルの動きが止まった。


「わたしは、これからもクレスさんとずっと一緒にいたいです。そばにいることで、クレスさんが何か思い出してくれるかもしれませんし、たとえそうはならなくても……また、一からたくさん思い出を作っていきたいです。以前の『パフィ・ププラン』をお届け出来るのは、ずいぶん先かもしれませんが……待っていてもらえると嬉しいです」


 メルティルは振り返ることはなく、ただ一言だけつぶやいた。


「勝手にしろ」


 そして、そのまま切れ目の中に消えていく。


「……メル様のあんなお顔、久しぶりに見てしまいました……」


 シュンとしていたリィリィがそうつぶやき、クレスたちの方に振り向いて足を揃え、深々と頭を下げる。


「皆さま。そちらの切れ目は聖都に繋がっておりますので、本日はもうお帰りになった方がよろしいかと。まずは身体を休めて、それから考えましょう! メル様はああ言いましたけれど、私にも何かお手伝い出来ることがあればなんでもおっしゃってくださいね!」

「リィリィさん……ありがとうございます」


 フィオナの声に、リィリィは少し目を潤ませながらニコッと笑った。


「エリシアさん」

「うん、行こうかリィリィ。ほら、ラビちゃんもとりあえず一緒においで」

「こんなのってないよぉ! うわーんクレスぅ! 思い出してよぉ~~~!」


 リィリィと、涙目のニーナを引っ張るエリシアも闇の切れ目に入り込む。そしてエリシアが最後に振り返っていった。


「みんな、いろいろとありがとう。それから、力になれなくてごめんね。ボクも聖都に様子を見にいくよ。ヴァーンくんと約束もあるし、手合わせして身体を動かせば、なにか思い出すかもしれないよね」

「エリシアさん……はいっ。ケーキ、がんばって作っておきますね」

「……ありがとう。でも、無理はしなくていいからね。ばいばい」


 エリシアがこちらに小さく手を振って、魔王一行はこの場所から消えていった。

 ヴァーンが無事な方の手で地面を叩きつける。


「チッ! オイ帰んぞてめぇら」


 そのまま立ち上がり、躊躇なく闇の切れ目に飛び込むヴァーン。エステルが無言でそれに続き、フィオナはクレスを支えながら一緒に立ち上がる。レナもクレスに寄り添った。


「クレスさん。帰りましょう。わたしたちのお家に」


 優しいフィオナのささやきに、茫然自失としたクレスは声を発することもなく静かにうなずき、そして、三人もまた闇へと足を踏み入れた――。

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