♯335 “希望の勇者”

 巻き起こる砂塵。

 突然の“風”が止み、ようやく視界が晴れてくる。


 そこでしゃがみ込んでいたクレスとフィオナが見たものは――


「なっ……」

「え……!」


 ゆっくりと立ち上がる二人。

 コロシアムの壁は崩壊し、ニーナの姿を模していた柱もいくつかはボロボロになって、それらが瓦礫となって地面に転がり落ちてくる。そこにはもう、ほとんどの招待客らの姿はなかった。


 代わりに――大量のコインが地面を埋め尽くすように広がる。

 

「ヴァーン! エステル! ……良かった、二人とも無事か……!」


 声を上げるクレスの視線を追って、フィオナも安堵の息をつく。うつぶせにスッ転んでいたヴァーンは呆然と目を開き、エステルは尻餅をついた状態で目をパチパチさせている。

 他に生き残っている者は、クレスとフィオナの背後に立つ外套を纏った人物と、「うわーんニーナの像がぁー!」と悲鳴を上げているニーナ。


 そして、コイン化した大勢の元招待客たちに囲まれるようにコロシアム中央に立っている二人の男女。


 細身の剣を天に掲げる灰色の髪の青年は、涙を流していた。


「皆……すまない……! 必ず、必ず元に戻してみせる……!」


 その剣から放たれる微風が、そんな彼の涙を拭うように弾いた。

 彼にそっと寄り添う女性がささやく。


「風の前の塵。些末なことを気にする必要はないわ、アイン」

「……エイル」

「アナタがこうしなければ、私たちの争いは過熱し、あの底意地の悪い魔族の思うつぼだったのよ。それに、愚鈍な人間たちの醜い姿なんてこれ以上見たくなかったもの」


 彼に励ましの言葉を掛けつつ、涼しげな顔で微笑む女性。


「コイン化が魔術結界によるものであれば、おそらく元に戻す方法もあるでしょう。希望を持って、アイン。アナタは希望の勇者なのだから」

「……ああ。そうだねエイル、ありがとう! 希望に捨てずに進もう!」


 涙を拭い、爽やかに笑う青年アイン。エイルと呼ばれた女性はにこやかに応えた。

 灰色の髪のアイルは若く精悍で、上背こそそれほど高くはないが、軽鎧を纏う身体はよく鍛えられており筋肉も締まっていて、活力の満ちた瞳からは生来の実直さを感じさせる。


 隣のエイルは踊り子のような薄手のドレスを纏った美しい女性であるが、その細身に宿る妖艶な雰囲気と魔力は通常の人のモノではなく、アイン以外を見る目は冷たき冬風のように鋭い。


 そんな二人に皆の注目が集まる中、アインが視線を向けたのはクレスだった。


 アインはレイピアのように鋭い剣を地面に刺すと、嬉しそうに顔を綻ばせる。


「斬風をあっさりと見切るなんて……さすがは伝説の勇者クレス殿!」

「むっ?」


 いきなり声を掛けられたことで、クレスは少々戸惑いながらも返事をする。


「君は……俺のことを知っているのかい?」

「もちろんですクレス殿! 自分は貴方に憧れて剣を学びました! 自分は貴方のような真の勇者にはなれませんでしたが……いつか直接お会い出来ればと夢見ておりました。このような場ではありますが……恐悦至極に存じます!」

「そ、そうなのか」

「はい! そして大変失礼にも身勝手な攻撃をしたこと、お詫びいたします。ですが、貴方なら必ずと信じていました!」


 深々と頭を下げた後、憧れを多分に含んだ目でクレスを見やるアイン。彼の隣のエイルはあまり面白くなさそうにじっとクレスを見ていた。


 クレスは面を食らいつつも尋ねる。


「で、では先ほどの風は君が?」

「はい! この風の魔剣〈ヴェルシオン〉によるものです! 出来れば使いたくはありませんでしたが、猛りきった彼らを止める方法が他に思いつきませんでした。自分の未熟さゆえに皆を……くっ……!」


 再び悔しげに顔をうつむけるアイン。

 そして彼の視線はぐるりと回り、柱が壊されたことでまだ悲しんでいたニーナの方へと向く。


「獣の魔族よ! もういいだろうッ!」

「ケ、ケモノー!? ちょっとひどくないですかぁそれ! ニーナは立派なラビ族ですよ! ほらちゃんと見てくださいよ! こんなカワイくって胸もおっきくてキラキラ笑顔の美少女がケモノなワケないじゃんっ!」

「そんなことはどうでもいい!」

「どうでもー!?」


 即断されてさすがにショックを受けたのか、ぺたんと座り込んだままガーンと放心するニーナ。

 アインは抜き取って剣をニーナに差し向け、叫ぶ。


「これ以上人間を弄ぶことはやめろ! 貴様の悪事は希望の勇者アインが絶つ! そしてコインになった者たちを元に戻せッ!」


 凜々しい顔つきで断言するアイン。絵に描いたように実直な“勇者”の姿に、クレスたちは少々唖然とする。

 ニーナは「ムカムカムカ~!」とわかりやすく怒りながら立ち上がり、頭のウサ耳をぴょこぴょこさせ、腕を組んで頬を膨らます。


「ふーんだ! そんなひどいこと言っちゃっていいんですかぁ~? あたしはみ~んなのヒミツ知ってるんですよ~? あなたたちがしてたことぉ、ここでバラしちゃっても……ってああーっ!」


 膨らんでいた頬に両手を強く押しつけ、ぴょこーんとウサ耳を長く伸ばして驚くニーナ。


「このお二人はぁっ! あたしの街で唯一欲に溺れなかったエッチなことしなかった人たちでしたぁ~~~! うわ~んバラしちゃうような恥ずかしいネタがなにもありません~~~!」


 ニーナと同様に、クレスやフィオナ、ヴァーンにエステルまでもがショックを受ける。特にヴァーンは愕然としていた。


「オイオイマジか……!? あんなそこそこイイサイズの乳持ってるSっ気ありそうな目のエロい女とカップルでこの三日なにもしてねぇってのか!? アイツ、昔のクレスみてぇじゃねぇか……!!」


 一方のアインはやれやれとばかりに小さくため息をつき、首を振る。


「くだらない。勇者を目指したる者、我欲に溺れるようなことはありえない。それにエイルは自分の大切なパートナーだ。恋人同士カップルではない。獣ごときが自分たちを陥れようなどと浅はかに過ぎる。人間は強いぞ。恥を知れ獣」

「ガガガガーン! まままままたケモノよばわりされましたぁ~~~~!」

「ふん。人間を侮辱するのも大概に……ハッ!?」


 そこでアインがなにかに気付いたような鬼気迫った表情でクレスの方を振り返った。クレスは思わずびくっとする。

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