♯259 ナイトキャットイタズラ

 フィオナが小さくなってドタバタ騒動を繰り広げていた頃。

 一匹の黒猫が、鈴の音を鳴らしながら夜の街をご機嫌に駆け回っていた。


「ニャ、ニャ、ニャ、ニャー!」

 

 猫の姿に変化しているショコラである。

 クレスたちを見送った彼女は、すぐにセシリアの元へ帰ることはせず、森から聖都中心部へ移動。黒猫モードになって石畳を、店の軒先を、民家等の屋根の上を身軽に疾走していた。屋根から屋根へジャンプする姿は月の逆光でシルエットとなり、酔っ払った男が鈴の音に気付いてか、へらへらしながら「おーい」と空へ手を振った。


「にゃはっ、バイバイおじさーん!」


 ショコラは愉しそうに声を掛けて、そのまま止まらずに聖城のある丘の方角へと向かう。黒猫モード時のショコラの声は人間にはただの鳴き声にしか聞こえないが、ショコラ本人にしてみれば普通に喋っているのと変わりはないし、聞こえていようがいまいが些細なことだ。


 ショコラは夜風を切りながら気持ちよさそうに聖都の街を走り、やがて丘の上までやってくると、デートをしていた若いカップルや城の衛兵たちに可愛がられて気をよくし、壁伝いに聖なる城をぐんぐん登る。もはや慣れたコースであるためドジって落ちるようなこともなく、スラスラと最上階端にある尖塔まで到達した。


 ここからは少し慎重に動き、屋根の上からいつものように窓を覗いてみる。

 そこには天蓋のベッドで眠る美しい女性――聖女ソフィアの姿があった。


「にゃふふ、ねてるねてるぅ~……!」


 外開きの窓はちょうど猫が一匹通れそうなくらい開いており、ショコラはそこからスルリと中へ侵入。音もなく机に着地し、そのままベッドへ飛び移った。

 ゆっくりと枕元まで近づくショコラ。寝間着姿のソフィアはその気配に気付くようなこともなく、穏やかに微笑むような表情で深く寝入っている。聖女のここまで無防備な寝姿を見られるのは側近のシスターや大司教クラスを覗けば、それこそショコラくらいのものであろう。


「今日はこっちからイタズラしちゃお~っと」


 ぴょんとソフィアの胸元に乗っかるショコラ。そしてあろう事か、前足で寝ている聖女の額をぷにぷにと押す。それでもソフィアは目覚めない。しめしめとばかりに、ショコラはソフィアの鼻やら頬やらもぷにぷにしまくり、なおも起きないものだから、さらに開いていた鎖骨の辺りをペロッと舐めてみる。ソフィアの“ニオイ”はどこかフィオナを思い出させるところがあり、安心出来るニオイだった。


「にゃふふーんっ、まだおきなーい。もっとイタズラしちゃおっかな~!」


 小声で愉快に笑うショコラ。

 普段は、どちらかというとイタズラをしに来たはずのショコラがソフィアにイタズラをされてしまう展開が多く、以前には隠れていたソフィアが突然ベッドの下から現れて捕まり、もふもふされまくるという経験さえあったため、ショコラはソフィアのことがちょっぴり苦手だったりもするのだが、それでも夜にこっそり城へ忍び込んでソフィアと遊ぶのは楽しかった。ちょっとしたおもちゃで遊んだり、シーツにくるまって話をしたり、ついつい一緒に寝てしまったこともあった。聖女の寝所という最も警戒すべき部屋の窓がいつも少しだけ開いているようになったのは、ソフィアがショコラを迎え入れてくれている証に他ならない。

 そのため、ショコラは聖都に来ては何かとソフィアに会いにくるのだが、このようにソフィアが眠っている深い時間に来ることは稀である。セシリアからは「聖女様に失礼を働かないこと」と念を押されているが、秘密の逢瀬はやめられなかった。


 ――さてさて、次はどんなイタズラをしよう!


 ショコラがそんな楽しい思考を巡らせていると、扉の向こうからカツカツと足音が近づいてくるのが聞こえてきた。ショコラは素早く机にジャンプすると、そのまま窓の外へ飛び出す。直後、ゆっくりと寝所の扉が開いて、仰々しい法衣を纏った男が入室して足を止めた。


 ショコラが窓の外から様子を伺うと、突然男の視線がこちらに向く。

 目が合った。

 ショコラはびっくりして尻尾をぴーんと立て、思わず窓枠から顔を引っ込める。

 ……再びそ~っと片目だけで中を覗くと、男は足音を立てないようこちらまで近づき、開いていた窓の取っ手を掴んだ。


「――夜風に当たりすぎては聖女様のお身体に障る。すまないが、また来てもらえるか」


 小声でそうつぶやき、男は両開きの窓を閉めて鍵を掛けた。


 目をパチパチとさせるショコラ。

 イタズラ本番はこれからというところで、外に閉め出されてしまった。



「…………ふにゃぁ~~~~ん! つまんないつまんない!」



 肉球で窓をぺちぺち叩いてみるショコラ。もちろん窓が開くことはない。

 ショコラが不満げに頬を膨らませていると、やがて法衣の男が何かに気付いたようにハッとした顔を浮かべ、ソフィアの肩に触れて軽く揺する。そして青白い顔で部屋を飛び出して行ってしまった。人を呼んでいるような大声がかすかに聞こえてくるが、ショコラにはそれらの行動の意味がよくわからない。


「……? まーいいや! またこよ~っと。じゃあねーバイバイソフィア!」


 コロッと意識を切り替えたショコラは、猫らしい気まぐれさで城を下りていくと、そのまま夜の闇と同化して消えていった――。

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