♯208 クレス、お兄ちゃんになる


「――なるほど。リズリットさんは、その合宿が嫌なんだね」

「はい……」


 しょんぼりと肩を落とすリズリット。

 初級魔術師であるリズリットは大いに怯えていた。何も魔術合宿が嫌なわけではない。内気な彼女にとって、“男女混合での合宿”が恐ろしい以外の何物でもないのだ。

 昨年まではフィオナが助けてくれていたからなんとかなっていたものの、リズリットは厳しい父の影響で男性恐怖症なところがあるらしく、特に男性の先輩や同級生となんて何を話していいのかもわからないらしい。クレスとはなんとか普通に話せる程度にはなったが、それは今までの付き合いで多少の慣れがあるだけなのだ。


 そういえば自分と初めて会ったときもリズリットは怯えていた節がある。事情を知ったクレスは理解を示した。


「……そういうことか。それは、フィオナやセリーヌさんには?」

「いえ……お、お二人には、その……」

「相談していないのかい?」

「は、はい。あの、その……」


 両手の指をつんつんと合わせてうつむいてしまうリズリット。

 普段の彼女ならば、きっとそういう悩み事はフィオナやセリーヌへ助言を求めるはずだろう。クレスはそう思っていたのだが、リズリットには何か考えがあるらしかった。


 クレスが言葉を待っていると、リズリットはゆっくりと顔を上げて、沈みゆく夕陽を眺めながらぼそぼそと話す。


「……本当は、相談に、乗ってもらいたい……です。でも、フィオナ先輩とセリーヌ先輩は、もう、ご卒業されていて、せ、籍を持っていないから……」

「籍?」

「はいです……。アカデミーの決まりで……籍を持たない生徒は、生徒ではない、から。本当は、もう『先輩』と呼んではいけなくて……。講義や講習についての相談も、しては、いけないんです……」

「む。そうだったのか」

「だ、だからリズは……もう、先輩たちに頼らないで、一人で、が、がんばろうって……」


 初めて聞く話に驚くクレス。

 だが、言われてみれば納得である。セリーヌもフィオナも、頼れば間違いなく応えてくれる。親身に力となってくれるだろう。

 ――しかし、卒業した先輩にいつまでも甘えていては問題がある。

 そのことを自覚したリズリットは、おそらくフィオナやセリーヌらに頼り切りな自分を変えたいと思っているのだ。それは、クレスにはとても清廉で立派な決意に思えた。


 すっくと立ち上がるクレス。


「――よし、話はわかった」


 リズリットが不思議そうにクレスを見上げた。


「フィオナやセリーヌさんに頼れないなら、俺はどうだろう」

「……え?」

「今は無理だが、俺も勇者として旅をしていたときは簡単な魔術くらいは扱えた。自分の意識をコントロールするための思考術、瞑想術も師匠から教わっている。少しくらいはリズリットさんの力になれるかもしれない」

「…………クレス、さん、が……?」

「ああ。一人で困難に立ち向かおうとしているリズリットさんの向上心は見事だ。しかし、自分を追い詰めすぎては良いパフォーマンスは出せない。今回のお詫びも兼ねて、何か俺が役に立てないだろうか」


 リズリットは、ぽけーっと呆けたような顔で口を開けていた。


「……リズリットさん?」

「――はぇっ!? あ、ご、ご、ごめんなさい! え、えっと、えっとえと!」

「い、いや、落ち着いて考えてくれればいいよ」


 慌ててきょろきょろと視線を彷徨わせるリズリットは、何度か呼吸を整えて落ち着きを取り戻し、それからしばらくじっと何かを考えていた。


 やがて彼女は胸元できゅっと手を握ると、ぽつりとつぶやいた。


「……あの。リズ、小さかった頃に、好きな絵本があったんです……」

「絵本?」


 突然変わった話に目を点にするクレス。だが、ここは話を聞いてみようと考えた。


「はい……。『ラスカーレ冒険記』という本で、兄と妹が二人きりで世界中を冒険するんです」

「ああ……! その本なら俺も知っているよ。小さな頃、母が読んでくれたことがあった。俺が初めて冒険をしたいと思ったのも、その本がきっかけだったな」

「本当ですかっ!? あっ、ご、ごめんなさい大きな声を出してっ」

「いや、大丈夫だよ。リズリットさんも、その本に何か思い入れがあるのかい?」

「は、はい。ただ、クレスさんとは違う理由で……」


 リズリットの表情に、柔和な落ち着きが戻る。

 

「リズは、冒険に憧れたわけではなくて……その、『お兄ちゃん』のほうに、憧れていたんです……」

「お兄ちゃん?」


 こくん、と気恥ずかしそうにうなずくリズリット。


「『ラスカーレ冒険記』のお兄ちゃんは、強くて、勇気があって、頼りがいがあって……泣き虫な妹を、いつも励まして助けていました。リズは一人っ子なので、それで、お兄ちゃんが羨ましくなって……。兄妹がいたらいいのになって、そう、思うようになりました……」

「なるほど……そういう見方もあるのか」


 自分にはなかった視点らしく、感心したようにうなるクレス。彼にとっては貴重な女心の勉強になっていたようだ。


 そこでリズリットはなぜかもじもじとし始めて、再び落ち着かない様子になる。


「あ、あのう、クレスさん……」

「ん? なんだい?」

「ま、前に、リズとエステル先生に約束してくれたこと、覚えて、いますか……?」

「リズリットさんとエステルに? ――ああ、俺たちがダンジョンに行っている間、街を守ってくれたときのことかな? 二人には、何か“ご褒美”を渡す約束をしていたね。そのことだろうか」

「は、はいっ。そ、それで、えっと……ずうずうしくて、む、無理かもしれないですけど、ご、ご褒美を! 今、お願いしても……いい、でしょうか…………?」


 おそるおそるといった表情で伺ってくるリズリット。

 クレスは膝を折り、リズリットと目線を合わせて答えた。


「ああ、もちろん。リズリットさんの力になれるなら、喜んで」


 力強く微笑むクレス。夕陽に照らされた笑顔と金髪がキラキラと輝き、リズリット顔が夕陽のようにぼっと赤く染まる。


「え、えっと、それでは、あの、あのっ……」

「ああ、遠慮なく言ってほしい」

「は、はい。あの、合宿までの、す、少しの時間だけでいいので、その…………」


 リズリットはぐっと目をつむり、意を決したように大きく口を開いた。



「リ、リ……リズのっ、お、お兄ちゃんになってくださいっ――!」



 わずかな沈黙。


 果たして彼は答えた。



「――わかった! お兄ちゃんになろう!」



「あっさり了承ですっ!?」



 思わずパッチリと目を開けて驚いてしまうリズリット。同時に夜を告げる鐘が街へと鳴り響く。


 こうしてクレスは、リズリットの『期間限定お兄ちゃん』となることが決まったのだった。

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