♯189 目玉むし
◇◆◇◆◇◆◇
「――ぐえええええええええええええんごっっ!?」
がばっと頭を起こして覚醒したヴァーンは、そのままの勢いで背後の木の幹に後頭部をぶつけた。
「いってええええぇ!? くっそなんだよ! なんかめっちゃ息苦しっ……ハァハァ! んあっ?」
寝ぼけ眼で辺りを見回す。そこは緑生い茂る森だった。
首に手を当てていたヴァーンは、「ぜぇはぁ」と激しく呼吸をして、焦るように脳へと新鮮な酸素を送り込む。次第に意識がはっきりとしてきた。
やがてヴァーンは思い出す。
「…………ああ! そういや任務の最中だったっけな。つい寝ちまったのかァ」
後頭部を擦りながら上半身を起こし、座り込んだまま腕を伸ばしてあくびをするヴァーン。脇にはちゃんと槍を抱きかかえたままであった。
クレスたちがダンジョンに入ってしばらくが経っていた。
ダンジョンのある森の中は、別働隊の騎士たちが警戒している。周囲に魔物がいないか、そして魔物たちがダンジョンに入り込まないか見張るためである。
そのメンバーの一人である傭兵ヴァーンもまた、この森の中をうろついていた――のだが、とっくに飽きて木にもたれかかってところ、ついそのまま眠ってしまったのである。
ヴァーンは赤い髪をぽりぽり掻きながらつぶやく。
「あー。なんか、セリーヌちゃんやリズリットちゃんが抱きついてきたり、ガキ共がベタベタしてきてモテまくる夢を見てた気がすんだが、途中でとんでもねぇ悪夢になったような……よく思い出せねぇな。チッ、息苦しかったのはそのせいか。気分転換用に
すっかり夢の内容を忘れてしまった彼は、面倒くさそうにその場に寝っ転がる。槍を傍らに置いて肩肘をつき、再びあくびまで出てくる始末だ。
「あーだりぃだりぃ。せっかくクレスとダンジョン探検で魔物退治でも出来るかと思ったのによ。いくら警戒したところで森自体は平和そのものじゃねぇか。虫みてぇな小さな魔物でもいりゃあわからんだろうが、そんなもん脅威でもねぇしな。ったく、これならやっぱセリーヌちゃんでもデートに誘ってりゃよかったぜ。あーセリーヌちゃんの水着姿がみてぇ! エステルみてぇなクソちっぱいじゃないでけぇのが揉みてぇ!」
かったるそうに鼻をほじりながらただの願望を漏らすヴァーン。
すると、そんな彼の眼前に上から何かが落ちてきた。
「ン?」
目を細めるヴァーン。
一瞬虫かと思ったそれは――鳥のような足が生えた目玉の怪物だった。
「うおおおキメェ!?」
驚いたヴァーンは、とっさに握り拳でその目玉を潰した。すると目玉はボフッと大きな音を立て、煙のように消えてしまう。
「アッツ!? アア? なんだこりゃ気持ちわりぃな」
身を起こすヴァーン。辺りを見回しても異常はない。
だが、少し離れたところで謎の爆発音と騎士たちの悲鳴のようなものが聞こえた。それも一つではなく、次々に拡散するように広がっていく。
すると、木々の上からボトボトと大量の目玉たちが落下してきた。
ヴァーンは焼け焦げていた自分の拳を見つめ、槍を手に立ち上がった。
「……ハハァン、ようやく始まりやがったか? さて、んじゃ目覚ましがてら気味のわりぃ『目玉むし』退治でもしますかねぇ!」
急に目が生き生きしと始めたヴァーンは、槍を構えて駆けだした。
◇◆◇◆◇◆◇
一方、聖都の街ではエステルが一人で優雅な朝のティータイムを楽しんでいた。
だが、そんな彼女の表情が突然虫の居所が悪そうなものへと変わった。
「……今、なんだかものすごくイラッとしたけどなぜかしら。自尊心を穢された気がするけどなぜかしら。あの筋肉ダルマの高笑いが聞こえた気がするけどなぜかしら。いえ、気のせいね。こんなに気持ちの良い朝なんだもの」
長い髪をサラッと払い、気を取り直して足を組む夏服姿のエステル。
行きつけとなっているお馴染みのカフェレストラン。特に大通りが見渡せるこのテラス席はエステルのお気に入りで、朝は決まってサラダと冷製スープを頼む。食後のアイスコーヒーがエステルは特に好きだった。
今日はアカデミーの授業もない。誰かとの約束もない。完全なる休日だ。この後はセリーヌの店で新作の服や靴でもチェックして、お洒落な雑貨屋でも覗いた後、気になっていた新しいカフェに赴き、帰りにあの温泉施設でのんびりしていく予定だった。既に施設の年間フリーパスを購入済みであり、かなりのお得意様になっていた。風呂上がりのエステマッサージも素晴らしいのだ。
「……ふぅ。こんなに落ち着いた生活をしたことはなかったけれど……なかなかどうして楽しいものね。結婚……か」
エステルは現在、アカデミーが管理している講師用の寮に住んでいるが、殺風景なあの部屋には休日の暇をつぶせるようなものはない。ゆえに休日は外出することがほとんだ。
たまに講師の同僚であるモニカと酒を飲み合うこともあるが、『私たちもそろそろ婚活すべきかもですね! 円満退籍憧れます!』という発言にはちょっぴり思うところがあった。エステル自身にはまだ結婚願望というものはないが、日々クレスやフィオナのことを見ていると、少々羨ましいところもある。ただ、あの二人ほど特別な夫婦もそういないだろう。あまり参考にすべきでもないかと、エステルは小さく笑った。
それからコーヒーのカップを置いてつぶやく。
「そういえば……クーちゃんたちは大丈夫かしら。確か、騎士団と一緒にダンジョンへ行くとか言っていたけれど。あの子たちが絡むと、事が大きくなる傾向にあるのよね……」
物憂げな表情でため息をつくエステル。まだ暑いこの時期に、白い肌を晒した薄着の美しい女性がアンニュイな雰囲気を醸し出す姿はあまりにも様になっており、通りを歩く男たちが時折チラチラとエステルのほうを見ていた。
「――まぁ、ここで考えていても仕方ないわね。クーちゃんのお師匠様という方や、あの脳みそムキムキ男もいるのだし、あまり心配することはないでしょう。フィオナちゃんも、またずいぶん成長したようだものね。私は私の休日を楽しむだけだわ」
コーヒーを飲み終えたエステルが席を立ち上がる。
するとそのタイミングで、日を避けるためのパラソルの上から何かが降ってきた。
「――あら?」
それは空っぽになったコーヒーカップの中に落ちる。エステルは虫か何かと想定していた。
文字通り、目が合った。
目玉である。
鳥のような足が生えた小さな目玉の怪物が、カップの中で「よっ」とでも言いたげな目でじーっとエステルを見ていた。
エステルが青ざめる。
「…………んきゃあっ!?」
思わず悲鳴を上げてしまったエステルは、これ以上ない見事な魔力の集中でカップごと目玉の怪物を凍結させた。その声を聞いた顔なじみのウェイターが慌てて駆け寄ってくるが、エステルは「な、なななんでもないのごめんなさい」と若干動揺しつつも平静を装いながら答えた。
ウェイターが去っていったところで、再び席に座るエステル。
カップの中で凍りついた、『虫』とも『鳥』とも形容しがたい目玉の化け物を見つめながら、エステルはため息と共につぶやく。
「……ああ、私の休日が壊される……嫌な予感がするわ……」
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