♯185 0勝1000敗
シノと分かれたクレスとフィオナは、二人きりで暗い洞窟を進む。コツ、コツ、と二人の足音だけが響いていた。ここでは時間もよくわからないが、朝からダンジョンに入って一時間ほどは経っているだろう。
クレスは松明を、フィオナは魔術で火を起こしてはいるが、先の見えないダンジョンの暗闇は、そんな灯りを吸い込んでしまいそうだった。
そんなとき、クレスが左手でフィオナの空いた右手をそっと掴んだ。
「わっ! ――あっ、ク、クレスさんですか? よかったぁ。暗くて、あんまりよく見えなかったので、驚いてしまいました。えへへ」
びくっと反応して思わず自分の火を消してしまったフィオナに、クレスは申し訳なさそうに言った。
「すまないフィオナ。その、ショコラの魔術のときを思い出してね」
「え? ショコラちゃんの、ですか?」
「うん。あのあと俺は子どもになってしまったようだが、そこまではよく覚えているよ」
「あ……」
その話で、フィオナはかつての記憶を呼び起こした。
花の素材を求めて、ショコラの闇魔術【
「クレスさん……」
「ここはダンジョンだからね、本当は剣を握って歩くべきなのだろうが……今は、それよりも君の手を握っていたかった」
穏やかに微笑むクレスを見て、フィオナの胸が高鳴る。一瞬だけ、小さくなったときのクレスの顔が蘇った。
フィオナはもう、以前ほど暗闇が苦手ではなくなっていた。色々なことがあって、精神的に多少は成長した自覚があった。けれどもやっぱり、本能的な部分で感じる恐怖は完全には消えない。それでも平気だった。乗り越えていける自身があった。自分は、一人ではないから。
フィオナは笑った。
「クレスさんっ。今晩は、ハンバーグにしましょう!」
「おお、それは豪華だね。では、早く片付けて帰ろうか」
「はい!」
手を繋いだまま笑い合い、また進んで行く二人。
すぐにフィオナが言った。
「ところでクレスさん、わたし、ずっと気になっていたことがあるんですが……」
「ああ、俺もだ」
二人の視線の先は同じだった。
洞窟の壁面――そこに、錆色の巨大な『目』のような模様が描かれている。
「ダンジョンの途中くらいから、この模様がたまに出てきますよね。シノさんはスルーしていたので、問題もないのかなって思ったのですけど……」
「そうだね。罠のようにも思えるが、特に何かが起こるわけでもない……うーん。俺もこういうものを見るのは初めてだからよくわからないな。フィオナは何か感じるところはあるかい?」
「いえ、今は何も……あっ、ちょっと待ってください」
そこでフィオナが目を閉じて集中力を高めると、彼女の全身が魔力の光に包まれて、すぐにウェディングドレス姿へと変貌する。《ブライド》状態へと移行したのだ。近くには先ほどまで着ていたローブが落ちている。
まぶたを開いたフィオナは、改めて壁面の『目』を見る。そんなフィオナの瞳には、かすかな星の瞬きが宿っていた。
「フィオナ、その瞳は――」
「はい。ソフィアちゃんの『
「おお、そうなのか。姉妹なら同じ力があっても不思議じゃないしな。それに、とっても綺麗だよ」
「えへへ、ありがとうございます♪ あ、それでですね、今の状態ならわかるんですが、おそらくこれは、何かの魔術によって作られたものですね。かすかにですけれど、魔力の痕跡があります」
「む、そうなのか。ということは、やはりこのダンジョンを作った魔族の仕業か……」
「かもしれません。今は警戒するくらいしか出来なさそうですね……。あ、クレスさん、あの、少しだけあっちを向いていてもらえますかっ」
「ん? ――あ、ああそうか。わかった」
すぐに意図を理解して視線を逸らすクレス。するとフィオナの方から衣擦れの音が聞こえてきた。
ちょっぴり落ち着かないクレスが待っていると、やがてフィオナからOKサインが出る。クレスが振り返れば、フィオナは元のローブ姿に戻っていた。
フィオナがほんのり頬を赤らめながら言う。
「うう、ごめんなさいクレスさん。《ブライド》状態はすごく便利なんですけど、解いたあとに毎回服を着替えなくてはいけないのが難点です……」
「う、うーむ、大変そうだ……」
なんとかしてあげたいクレスだが、さすがにそこはなんともしてあげられない。
そうして壁面の『目』を気にしつつも再び歩を進めたところで、気を取り直したフィオナが話す。
「シノさんの方は大丈夫でしょうか? シノさんはああ言ってましたけれど、やっぱりその、こんな場所にお一人というのは心配で……」
「ん、師匠ならば問題ないだろう。あの人は俺よりも多くの土地で冒険をしてきた強者だ。俺が師事していた頃も、常に冷静沈着に物事を見通していた。冒険中は厳しかったが、その分、俺も身についたものが多いように思う。師匠の教えがなければ、とても勇者になどなれなかっただろう」
「そうなんですね……! そういえば、まだ聞いたことがありませんでしたが、クレスさんはどのくらいの間シノさんに師事していたんですか?」
以前にも、フィオナはシノのことについてクレスから少し話を聞いたことはあったが、そのときは人となりくらいしか聞いていなかった。実際にシノと邂逅した今だからこそ、フィオナには知りたいことが多かった。
「二年弱だよ。俺がこの聖剣を授かり、一人で旅をするようになってしばらくしてから出会ったんだ。聖剣を手に入れ、多少は強くなったと浮かれていたのかもしれない。ある魔物にやられそうになったところを助けてもらったんだ。とにかく強くなりたかった俺は、半ば強引に師匠の旅に同行させてもらい、自分を鍛えることにした。あまり直接教えてくれることはなかったから、二年間ずっとあの人を観察して、技を盗み、動きを真似て、戦闘を学んだ。手合わせは毎日していたよ」
「ま、毎日ですか」
「こっぴどくやられたものだよ。それから俺が十六になったある日、突然、『もうお前に教えることがありません』と言って去っていってしまった」
「えっ? きゅ、急にいなくなってしまったんですか?」
「ああ。弟子になるとき、師匠は俺に『必要なことだけ教えたら終わります』と言っていた。つまりそういうことなんだろう。だから、師匠に会うのは本当に久しぶりだったんだ。外見はあまり変わらずに見えるが、あの頃よりずっと強さが洗練されているのがよくわかる。今の俺など、相手にもならないだろう。ヴァーンでも難しそうだ」
「そ、そんなにですかっ?」
「うん。少なくとも、俺はあの人より強い人間は見たことがない。俺が師事していた二年間で、千回以上は手合わせをしただろうが、俺は一度も師匠に勝ったことがない」
「!」
つい足を止めてしまうフィオナ。それは衝撃的な言葉だった。
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