♯184 迷宮《ラビリンス》

 クレスとフィオナの同行を許可する際、シノは一つだけ条件をつけた。


『――私の指示に必ず従うこと。それのみが条件です。この契りを守れるのなら、二人を連れていきましょう』


 条件を呑んだ二人は、数日後、シノの付き添いとして騎士団メンバーと共に聖都から近くの名もなき森へと向かった。なおこの任務には傭兵としてヴァーンも参加しており、途中までは一緒だったが、クレスたちとは別の隊に所属し、森に魔物などが潜んでいないか、周囲を警戒する仕事を任されたらしい。ヴァーンもシノと会うのは初めてだったようで、帰ったら手合いをしたいと挑戦状を叩きつけていたが、シノは穏やかにそれを流していた。



 やがてヴァーンたち別働隊と別れ、目的地を唯一知っているシノを先頭にして、一同は鬱蒼とした森の中をしばらく進んでいく。

 その途中、シノの背中に向かってフィオナがおずおずと話しかけた。


「シノさん、あの、無理矢理についてきてしまってごめんなさい。もしもご迷惑になりそうでしたら、遠慮なく置いていってください!」


 すると、シノの足がぴたりと止まる。

 彼女はフィオナの方に振り返って言った。


「連れてきたのは私の判断ですから、気にすることはありません。それより、着きましたよ」

「え? あっ――!」


 声を上げるフィオナ。

 シノが手で示した先にあるのは、地下へと続く大きな空洞。

 斜めに深く掘られたような形状をしており、騎士たちが奥を覗いてみても、見えるのは暗闇だけ。じっとりと湿ったような空気が流れており、数名の騎士がなんだか嫌そうな顔をして戻ってくる。騎士たちも見たことがないような異質の洞窟であり、野生動物のものとは思えないため、やはり魔物の住み着くダンジョンである可能性が高いと思われた。


 騎士たちがそれぞれに突入の準備を始める中、ダンジョンの入り口で様子をうかがっていたクレスが戻ってきてつぶやく。


「間違いない。まだ真新しいがダンジョンの類いだろう。魔物の気配も残っている」

「そ、そうですか……。街のこんな近くにダンジョンがあったなんて、びっくりですね……!」

「ああ。最近出来たものなんだろう。どこに繋がっているのかもわからないが、やはりキングオーガもここから現れたようだな」


 ごくん、と緊張の息を呑むフィオナ。私服から着替えた彼女は、現在は冒険モードのローブ姿で、既に星の杖も握りしめている。長い旅を続けてきたクレスがそう言うのならばと、騎士たちも緊張を高めた。


 一方、シノは落ち着いた様子で髪を結い直しながら言う。


「クレス。フィオナさん。良いですね、中では必ず私の指示に従ってください。それが出来ないのならば置いていきます」

「承知しています」

「わ、わかりました!」


 すぐに返事をする二人。シノは「よろしい」と一言だけ返した。

 今回、二人はあくまでも付き添いであり、戦闘要員ではない。そもそもこれは調査であり、戦いが目的ではなかった。だが、世界を救った偉大な勇者と、今ではその勇者以上に有名になりつつある嫁がいることは、騎士団員たちにとってこれ以上ないほど心強いものに違いない。


 やがて全員の準備が済んだところで、騎士団長の合図と共にダンジョンへの突入が始まった。騎士たちは松明を、フィオナは指先から小さな火を上げて暗闇を照らしながら、慎重に進む。

 中は思った以上に広く、道が分かれていたこともあって、途中から部隊も分けていくことになった。だがそれぞれの進んだ先でも道は分かれ、次第に迷路のようになっていく。これには多くの騎士たちも戸惑い、騎士団長も頭を悩ませ、足を止めることとなる。


「……ではこうしましょう」


 シノが小さくそんなつぶやきを漏らした後、騎士団長の代わりにどう進むべきか指示を出した。シノがクレスの師であり、クレス以上に世界を巡った冒険者であることは既に知られているため、騎士たちも快く従ってくれた。何よりも、シノの声色にはどこか人を落ち着かせる不思議な力があったのだ。

 そんなシノの意見によって、団員たちは分かれ道のたびにメンバーを細かく分けて進んでいく。だが、やはり進んでも進んでも分かれ道ばかりで、魔物の姿はおろか、コウモリなどの小さな生き物の姿すら見当たらない。

 一体今はどこにいるのか、これ以上進んでも大丈夫なのか。経験の少ないフィオナはちょっぴり不安になっていた。先ほどの分かれ道でとうとう騎士団員たちはいなくなり、既にクレスとフィオナ、そしてシノの三人だけになってしまっていたのだ。


 フィオナがそわそわと歩きながら口を開く。


「あ、あの。こんなに細かく分かれてしまって大丈夫なんでしょうか? はぐれた先で、騎士の皆さんがもし魔物に遭遇していたら……」


 するとシノが後ろを見ずに答えた。


「大丈夫ですよ。おそらくここは、どう進んでも・・・・・・同じでしょうから・・・・・・・・

「え?」


 パチクリとまばたきをするフィオナ。

 それはどういう意味なのか、フィオナがそう思ったときにクレスが口を開く。


「師匠。では、やはりここは――」

「ええ。『迷宮ラビリンス』ですね」


 シノの言葉に、フィオナは「えっ!」と驚愕の声を上げて足を止めた。


 魔物や魔族が潜む『ダンジョン』には、いくつかの区分がある。

『迷宮』はその中の一つ。侵入者を拒み、迷い込ませるための複雑怪奇なダンジョン。その多くは、力のある魔族が要地を守るため、人間を処分するため、戦略的に作りだしたものだ。通常、魔物や魔族の住処として利用されることはほとんどない。フィオナにもその知識はあった。


 クレスが振り返って言う。


「フィオナ。以前セシリアの森で、ショコラが俺たちを迷い込ませようとしただろう。あの森も『迷宮』の一種だよ」

「あっ、そ、そうなんですねっ。なるほどです!」


 慌てて足を動かし、待っててくれたクレスに追いつくフィオナ。


「えっと、それじゃあここは、誰かが侵入者わたしたちを迷わせるために作った……ってことですか?」

「ああ。その可能性が高い。しかしなぜこんなところに……」


 顎に手を当てながら思案するクレス。


 そこで、先頭のシノが再び足を止めることになった。


「あっ、ま、また分かれ道です」


 そう言ったのはフィオナ。

 これで何度目かもわからない分かれ道。さすがに『迷宮』と呼ばれるだけはあった。

 するとシノは特に悩むこともなく言う。


「私は左に。クレスとフィオナさんは右へ」

「承知」


 クレスも戸惑うことなく了承する。そしてシノはさっさと左の道へ歩き始めてしまった。

 そこでフィオナがシノを呼び止めた。


「シノさんっ! ここが『迷宮』なら、や、やっぱり散り散りになってしまうのはあまり良くないのではないでしょうか? シノさんお一人でなんて――」


 すると、シノはフィオナの方に振り返って小さく微笑む。


「ありがとう。本当に、お優しい方ですね」

「シ、シノさん……」

「問題ありませんよ、フィオナさん。先ほども申しましたが、ここはどう進んでも同じなのです」

「お、同じ?」

「そう、『迷宮』は入ってしまった時点で創造主の手の平。そもそも出口などないことがほとんどです。わざわざそこに魔物を配置する必要もなし。あちらの構築した“狙い”に掛からない限り出られないのです。一種の魔術結界ですから、フィオナさんにもおわかりでしょう」

「狙い……そ、そんな……」


 弱々しくつぶやくフィオナ。かつてエステルの“領域”に閉じ込められた経験のあるフィオナにはよくわかる。

【魔術結界】は自分に有利な領域に敵を連れ込むということである。つまり、ここが危険だとわかっていながらも相手の仕掛けた罠にわざと掛からなければならないのだ。そんな状況では、普通は足を進めたくはないだろう。


 そこで、クレスがフィオナの背中にそっと手を添える。


「フィオナ、師匠を信じよう」

「クレスさん……」

「大丈夫だ。俺たちは右の道へ進もう」


 クレスがフィオナを安心させるように優しく笑ってくれる。

 クレスの信じる人ならば、フィオナもまた信じられる。だからフィオナは明るい表情で返事をした。シノはいまだに目を閉じたままだが、それでもどこか優しく二人を見守っているような表情をしていた。


「それでは師匠」

「ええ。二人とも、お気を付けて」

「シノさんも! どうかお気を付けて!」


 シノは左に。クレスとフィオナは右に。

 こうして、とうとう三人も道を分かってしまった。



 ――だが。


 少しして、シノが左の道から引き返してくる。



「…………」



 先ほどの分かれ道に戻ってきたシノは、無言で右の道へと歩みを変えた――。

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