♯17 それぞれの決意

 やがて、フィオナの父がクレスの方を見た。


「グレイスさん」

「はい」

「あなたは、知っておられたのですね?」

「はい」

「……そうですか」


 フィオナの父は静かに目を閉じる。

 

 そのとき、クレスの目には彼がわずかに微笑んだように見えた。

 

 皺の深くなったまぶたを開き、フィオナの父は静かに顎下に手を置いた。


「グレイスさん。最後に、あなた様のお気持ちをお聞きしてもよろしいでしょうか」

「はい、もちろんです」

「二人は、まだ出逢って間もないと聞きました。愛を育む時間も少なかったことでしょう。私たちの知る限り、この子にはそのような気配もありませんでしたから。にもかかわらず、なぜ――この子を?」


 その問いに、フィオナが濡れた瞳でクレスの方を見る。

 皆の視線が、クレスに向く。


 少しの間を置いて。


 クレスは、ゆっくりと口を開いた。


「私は、決して器用な人間ではないのだと思います。女性の扱いにも、慣れているとは言えません。仰るとおり、彼女と出会って日も浅い。きっと彼女に苦労をかけてしまうことも多いでしょう。ただ――」


 言葉を待つ三人。


 ――クレスは、恋をしたことがない。


 子供の頃から勇者になるべく鍛錬を重ね、ひたすら走り続けてきた。

 だから、自分へ好意を寄せてくれていた女性たちの想いになど気付かなかった。気付けなかった。

 旅を終えた今。役目を終えた今。フィオナの存在で初めてそういった感情を意識している。


 だから、己のフィオナへの想いがどういうものなのか、クレスは今もよく解ってはいない。


 彼女の村の人々を救えなかった罪悪感なのか。彼女をベルッチの家に預けた責任なのか。そのことも解らない。


 だから不思議だった。


 それでも自分は、彼女を受け入れた。

 あの家で共に暮らすことを決意した。


 それは、自分の意志だ。

 その意志の中に“答え”がある。


 例え今すぐに答えが出せずとも、クレスはただ、誠実であろうとした。


「彼女は、自分を受け入れてくれました。私のすべてを知って、受け入れてくれたのです。だから私も――今は、彼女のすべてを受け入れたいと思っています」


 フィオナが、少し驚いたような表情でクレスを見つめていた。


 ――勇者ではなくなってから、何をしていいのかわからなかった。


 ――生きる意味がわからなかった。


 目的もなく、ただ過ぎ去る時を見送るだけの日々。


 そんな先の見えない日々を、彼女が変えてくれた。

 何も持たない自分の手を引いてくれた。


 この世界から、『クレス』を見つけてくれた。


 クレスは気付く。

 今は、一つだけ確かなことがあった。



 ――彼女と共にありたい。



 ならばとうに、答えは出ていた。



「――この命尽きるまで彼女を守る。それが、私の気持ちです」



 その言葉にフィオナは両手で口元を押さえ、両親は揃って目を見開いた。


「どうか、フィオナさんと共に暮らすことをお許し願いたい。そしてこれからも、足りない私にご指導ご鞭撻いただければ幸いです」


 クレスは椅子から立ち上がり、その場に膝をついて頭を下げる。それを見たフィオナも、慌てて同じことをした。


 しばらく、壁掛け時計の音だけが響く。


 やがて、フィオナの父が言った。


「頭を上げてください」


 言われたとおりに、クレスとフィオナは顔を上げる。


「……我々には、血の繋がった子がおりません。フィオナは、6年前に聖教会の方より授けられた子。出自は不明でした。それでも私たちは、彼女を本当の娘として大事に育ててまいりました。彼女は我々の思った以上に良い子に育ってくれた。その中で、フィオナが類い稀な魔術の才を有していることはすぐにわかりました。ゆえに、察しもついていたのです。いや、気付かない方がおかしい。我々は、彼女の“親”なのですから」


 そんな父の言葉に、隣の母もゆっくりうなずく。


「私も妻も、もうずいぶんな年齢になりました。フィオナはそんな我々を気遣って、休みの日にはいつもこの家に戻ってきてくれました。誕生日には、毎年贈り物を届けてくれるのですよ。そうそう、初めてアカデミーの課題任務で報酬を得たときは、レストランに連れていってもらいました。あの時の料理と酒の味は今も忘れない。6年は、本当に、早かった……」


 しみじみと、これまでの記憶を噛みしめるように語っていくフィオナの父。

 彼はクレスの目を見て言った。

 

「グレイスさん。フィオナは素直で心根の優しい、自慢の娘です」

「存じています」


 すると両親は、穏やかな笑顔を浮かべて立ち上がった。

 そして、父がフィオナの手を、母がクレスの手を取って立ち上がらせてくれる。


「フィオナ。良き方と巡り会ったのだね」

「おじ様……」

「幸せになりなさい。そして、いつでもここに帰ってきなさい。フィオナは、いつまでも私たちの娘なのだから」

「フィオナちゃん、おめでとう。幸せにね」


 フィオナはぽろぽろと泣き出す。

 そんな彼女を、両親は優しく抱きしめた。


「どうか、フィオナのことをお願い致します」


 クレスは、深々と応えた。




 ――こうして無事にベルッチの家に挨拶を済ませた二人は、両親に見送られて街に出ていた。


「フィオナ、大丈夫かい?」

「は、はい。ごめんなさい、クレスさん。取り乱してしまって……。わたし、あんな風に受け入れてもらえるとは、思っていなくて……」


 フィオナの瞳はまだ少し赤い。あの後もだいぶ泣いてしまったからだ。

 クレスはフィオナの背中にそっと手を当てる。


「良いご両親だね」


 その一言に、フィオナは強くうなずく。


「……はい。自慢の両親です!」


 笑顔を輝かせるフィオナ。クレスも安心して微笑んだ。


「クレスさん、一緒に来てくださってありがとうございました。わたしはきっと……今まで、本当の意味で両親と向き合っていなかったのだと思います。だから今は、両親にすべてを打ち明けられて、気持ちがスッキリしました! これでもう、何の憂いもなくクレスさんのおそばにいられます」

「ああ。だけどご両親が言っていたとおり、いつでもあの家に戻っていいんだよ。ああいや、一緒にいたくないというわけではなくて!」

「ふふ。わかってます」

「そ、そうか。何も常に俺のそばにいる必要はないんだ。家族は大切にすべきだからね」

「はい。でもわたしは――クレスさんと家族になりたいです」

「え」

「わたしは、あなたのそばにいたいのです」


 フィオナがそっとクレスの服の袖を掴む。


 彼女は上目遣いにささやきかける。



「さっきは……すごく、嬉しかったです。とっても、格好良かったです」



 フィオナの穏やかな笑みに、クレスは自分の胸が小さく跳ねたような気がした。

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