灰かぶりのこより6

 結局、クイズ大会は見事に最下位。問題の最初の方だけ聞いて答えられる問題はあまりなく、得られたポイントといえば、もっぱら四択問題で当てずっぽうに答えたものだけだから勝てるはずもない。


 しかし、わたしには斉彬くんを責める気にはならなかった。だって――


「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……」

 クイズ大会が終わって〈竜海の森〉の木々の間までやってくると斉彬くんはドサリと倒れ込んで大の字になった。

 このあたりにはやってくる人もいないので、少々横になっていても問題ないだろう。


「お疲れ様。ずいぶん頑張ったもんね」

 わたしは頑張ってペダルをこぎ続けて斉彬くんにねぎらいの言葉をかけた。


「ぜぇ……。悪い……ここで……すこし……休ませて……」

 地下迷宮で連戦に次ぐ連戦でも全く息を切らさない斉彬くんでも、普段使い慣れていない自転車をこぎ続けるのはさすがに堪えるようだ。


「うん、休んでて。あ、わたし、何か飲み物買ってくるね!」

「ああ……助かる……」




「ジュース買ってきたよ。醸造研究会ってジュースも作ってるんだね。オレンジとグレープ、どっちがいい?」

 フタのついた紙コップを持って斉彬くんのところに戻ってきた。斉彬くんの息はずいぶん穏やかになっているようだった。


「それじゃ、オレンジを」

 言って、斉彬くんは起き上がろうとした。わたしは手を差し出して彼が起き上がるのを手伝おうとした。


 それがいけなかったのだ。


 斉彬くんは背も高いし体格もいいから当然、わたしなんかよりもずっと体重がある。それに加えてわたしは片手に紙コップを二つ持っていたせいであまり力が入らず……。


「きゃっ……!」

 逆にわたしが倒れてしまった。斉彬くんの上に。

 咄嗟に手をついたので、斉彬くんに倒れ込むということはなかったものの……。


「……………………」

「……………………」


 心臓の音が大きくなる。それはもう、心臓のせいで世界が揺れているのではないかと思えるほどに。みるみる顔が赤くなっていくのがわかる。

 近い。わたしの目の前に斉彬くんの顔が迫っているのだ。少し骨張っていて、男の子らしい顔。十八歳だけど、髭は生えていない。つるつるしてきれいな肌だった。

 足元に落ちたジュースが全て流れ出てしまった紙コップが風に揺られてころころと転がっていった。


「ご、ごめんね……! 今どくから……!」

 慌ててその場から飛び退こうとした。しかし、わたしの身体は動かない。

 斉彬くんに抱きしめられたからだ。


 さっきまで汗だくだった斉彬くんの匂いがわたしの鼻腔をくすぐる。

 不快なんてとんでもない。そのあまりの芳香に頭がクラクラしそうだった。もっとも、頭がクラクラするのはそれだけが原因ではないだろうが。


「な、斉彬くん……? どうしたの? 離して……くれないかな……」

 その言葉は尻すぼみで、後ろの方は声にしていたのかも怪しい。

 しかし斉彬くんはさらに腕に力を込めた。


「こよりさん、好きだ」

 それは、斉彬くんと初めて会ったときから言われ続けた言葉。でも、こんなに近くで言われたのは初めてだ。


「うん、ありがと」

 最初は受け流すために使っていた言葉だったが、いつしかそれは、わたしの心からの言葉に変わっていた。


「初めて会ったときからずっと好きだ。でも、今の方がもっと好きだ」

「うん」

 わたしは斉彬くんに抱きしめられながら頷いた。


「こよりさんはオレのこと、どう思ってる?」

「えっ……?」

 驚いた。今まで想いを告げられたことはあったが、想いを確認されたことはなかったからだ。


「オレはこよりさんが好きだ。こよりさんもそうだと嬉しい。でも、そうじゃなかったとしてもオレの気持ちは変わらない」

 わたしは上体を起こした。斉彬くんの顔が見える。彼は真剣な表情でまっすぐにこちらを見て、「教えてくれ」と言った。


「わたしは……」

 斉彬くんの顔を見る。彼もじっとわたしの方を見返してくる。その真摯な瞳に目が離せない。


 こういう所なんだよなぁ……。

 それまで頑なだったわたしの心はいつしかそのまっすぐな瞳によって解きほぐされていた。

 だから、自分で思ったよりも素直に自分の想いを言葉に出せた。


「好き」

 そうして、自分から斉彬くんに抱きついて唇を寄せた。


 驚いたようにぴくりと身体を震わせた斉彬くんが愛おしかった。柔らかな唇の感触がわたしの感情を溢れ出した。


 わたしは唇を離してもう一度言う。何度だって言う。

「好き」


 そしてまた唇を寄せる。そうしているとまた想いが溢れ出してそれを言葉にしたくなる。

「好き」

 口づけをして、唇から離して想いを伝える。


「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」「好き」

 口づけする場所と、想いを告げる場所が同じなのがもどかしい。


「好き」

 やがて唇を離すのも嫌になって口づけしながら心の中で想いを告げる。


(好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き。好き)


 斉彬くんがいれば他に何もいらない。

 人のやって来ない森の中で、ただずっと唇を重ね合わせているだけで幸せだった。




 燃え上がるような感情のほとばしりは次第に引いていき、今では暖かいが確実に心の奥で温度をたたえている気持ちが残っている。


「こよりさん、あれ、聞かせてくれよ」

「あれ……?」

「言わなきゃいけないことがあるって言ってただろ?」

「え? でもあれは……」


 夏の終わりのあの日、これで関係が切れることがあってもわたしはわたしの隠し事をすべて斉彬くんに話すつもりでいた。しかし斉彬くんはその話を聞かないという決断を下した。

 わたしはわたしで変わりないからって。

 それでその話は終わりだったはずなのだが……。


「いや、なんつーかこよりさん、苦しそうだからさ。だから聞いておこうかなって。ま、どんなことがあってもこよりさんはこよりさんだから安心していいぜ」

 わたし、そんなに苦しそうだったのかな。でも一番わたしを見てくれる斉彬くんがそう言っているのだからそうなんだろう。


「うん。それは、信頼してる」

 それは本心だった。今ならわたしの全てを話しても斉彬くんは――〈竜王部〉のみんなは受け入れてくれる気がする。


「わかった。話すね」

 一度目を閉じてゆっくりと息をしてから再び目を開いた。そして、わたしの知っている全てを斉彬くんに話し出した。

「あのね、実はわたし――」




「――――」

「ど、どうかな? びっくりした?」


「あ、あはははははは……!」

 わたしが意を決して話したわたしの“真実”は、斉彬くんの爆笑によって報われた。


「え。ええっ!? どうして笑うの?」

「だ、だってさ……」

 まだ笑いの止まらない斉彬くんは手で溢れ出した涙を拭きながらわたしの方をじっと見た。


「オレが思ってたよりもずっとことだったからさ……つい、な。ごめんごめん」

「しょ、しょうもない……!?」

 一時は拒絶されるかもしれないと真剣に悩んでいたわたしの秘密を、よりによって『しょうもない』だなんて……。


 でも、斉彬くんらしい。『全てを受け入れる』とは本当のことだったのだ。

 あまりに嬉しくて涙が出てきた。


「ええっ!? ご、ごめん……! しょうもないなんて言って悪かったよ。だから、泣かないで……」

「ううん、違うの。嬉しいの。斉彬くんに、全部打ち明けられて。だから、だから……」


 わたしは斉彬くんに抱きついた。先ほどとは異なり、甘えるように。嬉しい気持ちと重荷を下ろすことのできた安堵は後から後から限りがないかのように溢れ出してくる。

 わたしは誰憚ることなくそれを表に出した。


「うえーん……!」

 泣きじゃくるわたしを斉彬くんは優しく抱きしめてくれた。




「なあ、こよりさん」

「なに?」


 気がつくと夕方だった。校内放送で撤収の指示が出されている。わたし達はまだあの森の中にいた。さすがにもう抱き合っていないが、木の根元で並んで座っている。


「オレ達って、もう付き合ってるんだよな?」

 個人的にはそれでもよかった。しかし、ここで肯定してしまうのも何だか悔しい気がした。こういうのって安売りしちゃいけないって聞いたことがある


 わたしは斉彬くんにデコピンした。

「あいてっ!」

「もう、調子に乗らないの。そうね……北高ここから外に出られたら考えてあげる」


「ホントか!? よーし、がんばるぞ!」

 大きく両手を挙げて喜ぶ斉彬くんの太陽のような笑顔を見てこっちも嬉しくなってくる。

 いつ外に出られるのか、そもそも出られるのかはわからないけど、出られたときはちゃんと考えよう。


「それじゃこよりさん、明日の準備に行こうぜ」

「え? 準備は明日の朝からなんじゃ?」

 明日の二日目はわたし達〈竜王部〉もお店を出す。その準備に明日は朝早くから集合する予定だ。


「まあ、そうなんだけどさ、オレ、明日は生徒会の仕事があるからあんまり顔出せないんだよ。オレ達で準備進めておいて、浅村達あいつらを驚かせようぜ」

「ふふふっ、いいかもね」


「よし、それじゃ行くぞ、こよりさん。オレ達最初の共同作業だ!」

 無邪気に手を振り上げる斉彬くんに対し、わたしは顔が赤くなった。意味がわかってて使ってるんだろうか。


 でもいつか、ここから出られて何年かしたら……。

 そういうことが現実になってもいいかな。それくらいの希望は持ってもいいだろう。


 わたしは手を引く斉彬くんの手を改めて握り直した。

「行こう、斉彬くん!」

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