地底の王国7

 結局、一行はこの部屋に滑り落ちてきた坂を登って井戸の底から脱出した。


 井戸の底から滑り台までは二メートルほどの高さがあったが肩車で一人を上げ、ローブで残りの部員達を引き上げた。

 滑り台はこよりが錬金術で滑り止め加工をしながら進んだため、降りてくるときは数秒だった道のりに一時間近くも掛けてしまったが。


「先を急ごう」

 最初に降りてきた広い湾曲した通路を進む。徹はしきりに後ろを気にしてあの巨大な鉄球が再び転がってこないか心配していた。


 その後も罠のオンパレードだった。


 スイッチとなっている石を踏んだら横から矢が飛び出してきたり、突然足場が崩れて落とし穴になったり、通路だと思った場所は見えない壁に阻まれて壁と思われる場所に通路があったり。


 しかしどれも子供だましのような罠ばかりであった。


 今になって考えてみれば鉄球は全力で走れば逃げ切れる程度の速さだったし、水攻めもそのままにしておけば滑り台まで浮かんでたどり着けただろう。釣り天井もそれほど危険な罠ではなかったのかもしれない。


『妙じゃな』

 メリュジーヌが首をひねった。


「どうした、メリュジーヌ?」

『シンイチロウよ、おかしいとは思わぬか? ガーゴイル、そして数々の罠。この城塞の主は侵入者を排除したいはずじゃ。それなのに……』


「あまりに簡単に突破できる……?」

『うむ。まるで、遊んでいるかのようじゃ』

「そんなこと……」

 考えすぎじゃないのか、とは言えなかった。慎一郎もこの石造りの砦に入ってから同じような違和感を抱いていたからだ。

 まるで、昔両親に連れて行ってもらった遊園地のアトラクションのようだった。


「だとしたら、何故……?」

『わからぬ。何せ、ここのあるじが何者のかもわからぬ状況じゃからのぉ』

 そんなことをメリュジーヌと慎一郎が話しているとき、一歩前を歩いている斉彬が足を止めた。

 それとほぼ同時に慎一郎や、その後ろに続いていた仲間達もその気配に気づく。



 斉彬の声が聞こえたわけではないだろうが、通路の左右で煌々と灯されている灯りの上、キャットウォークのようになっている部分から小さな影が次々と姿を現してきた。


 そして、通路の奥から何かがやってくる。ひた、ひたという足音が聞こえてくる。


 剣を抜き、魔法の準備をして慎一郎達は戦闘態勢に入った。

 やがて、通路の奥からやってくるものたちの姿が明らかになる。


 先頭を歩く者がもつたいまつに照らされているのは輿。四体の屈強な者たちが担ぐ輿みこしは豪奢な飾り付けがしてあり、そこに座るものの身分の高さを思わせる。


 慎一郎達から五メートルほど離れたところまで来たとき、輿は止まった。

 輿の上の人物が右手を挙げると輿は音もなく下ろされる。輿を担いでいた四体の屈強な者たちも、たいまつを持っていた者も跪いて頭を下げる。暗くてよく見えないが、頭上のキャットウォークに居る者たちも頭を下げているのだろう。


 輿の上の人物にかしずいている者たち、それらは全員サルだ。

 輿の上にしつらえてある金色の座椅子の上に座り、サル達の敬意を一身に集めているのは北高の制服を着た女子生徒だった。


「女の子……?」

 徹が虚を突かれたように漏らした。


 髪を短く切りそろえたその女子生徒は卵形の輪郭に大きな瞳、すっと通った鼻梁、色素の薄い唇、長いまつげを持つ、まごうことなき美少女だ。

 その美少女は座椅子の上で肘掛けにもたれかかってこちら――正確には慎一郎を見ている。


「いらっしゃい。歓迎するわ。そして、さようなら♡」

 そして美少女はその美貌にそぐわないほどに表情を歪ませる。笑ったのだ。


 キャットウォークに集まっているサル達が騒ぎ出す。

 それと同時にサルたちの周囲が淡く光り始めた。


『いかん、〈誘眠スリープ〉の魔法じゃ! 全員意識を強く持て!』


 サルたちは騒いでいたのではなかった。キャットウォーク上のサルたちが一斉に呪文を唱え始めたのだ。


 〈誘眠〉の魔法のように精神に作用する魔法はそれほど成功するものでもない。特に正面きって魔法を唱えるとまず成功しない。

 しかし、予期しないタイミングで、しかも大勢の術者が同時に使用すればどうなるか……?


 かつてこの戦術で大勝利を収めた戦国武将がいた。その武将は少ない手勢をすべて〈誘眠〉の魔法に費やした奇襲を成功させ、まるで無人の野を行くがごとく敵陣まで悠然と馬を駆り、十倍以上の軍勢に守られていたはずの敵将の首を取ったという。


 正面に立っていた斉彬が倒れた。背後で誰かが倒れる音がした。

 しかし後ろを向く余裕はない。慎一郎も必死に睡魔と戦っている。

 慎一郎の脳内に黒いが進入してくるように感じられた。


 先ほどまで脳内で叱咤激励を続けていたメリュジーヌの声もいつの間にか聞こえなくなっていた。

 剣を落とし、膝をついたが慎一郎はそれに気づかない。

 やがて目の前が徐々に暗くなり、その闇は慎一郎の意識を包み込んでいった。

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