枯れ尾花5

「はぁ、はぁ……酷い目に遭った……」

「な、何なのあれ? 血まみれだったよね?」

「ああ……。あれはマジでヤバイやつだ……」


 普段地下迷宮でモンスター達と戦っていても、暗がりで突然現れる血まみれの少女――それは見間違いだったわけだが――が突然現れれば驚くものである。


「お、追いかけて……こないよね?」

 こよりがおそるおそる振り返り、今し方上ってきた階段の方を見るが、誰かが登ってくるような様子はなさそうだ。


「大丈夫っぽいな……」

 斉彬も身を乗り出すように階段の下をのぞき込んでいる。やがて少しは落ち着きを取り戻したのか、

「大丈夫だ。例え何があってもこよりさんはオレが守る!」


 そしていつものように拳をぎゅっ、と握るのだが――

「い、痛いっ!」

「うわっ、ご、ごめん……」

 いつの間にそうしていたのか、こよりと斉彬はしっかり手を繋いでおり、その繋いだ手をぐっと握ったのでこよりが痛がった。


「!!」「!!」

 そして今更ながら手を繋いでいたことに気づき、慌ててその手を放す。


「ご、ごめん……」

「う、ううん。大丈夫……だから……」

 お互い顔を真っ赤にして顔を見ることもできない。


 その時こよりが気づいた。


「ねえ、斉彬くん……」

「どうした、こよりさん?」

「ピアノの音、止まってない……?」

「……そう言われてみれば」


 先ほどまで少し大きめの声で話をしないといけないほどの大きさで聞こえていたピアノの音が今は全く聞こえてこない。


 ふと顔を上げると、教室の前にいたことに気づく。

 その扉の上に嵌められているプレートに書かれているのは――


「音楽室……」


 音楽室。特別教室棟で唯一――校内では体育館などにもある――ピアノが置かれている教室だ。今は全く聞こえないあのピアノの音はここから聞こえてきたのだろう。


 こよりが音楽室の扉に手をかけた。知らず、生唾を飲み込んでいた。

 斉彬が心配そうにこよりを見つめていたので、彼女は安心させるべく少し微笑んで頷いた。


 さっきみたいに血だらけの女人が出てきたら嫌だなぁという考えがよぎる。大きく息を吸ってそれを振り払い、決意を固めた。「よし」


「すいませ――」

 扉を開いて中に入ろうとした、まさにその時だった。


 ガラッ。のだ。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「うわっ……!?」

 驚きのあまり、こよりが大きくのけぞったので、後ろに立っていた斉彬を巻き込む形で派手に尻餅をついてしまった。


「あれ……? あなた達、たしか〈竜王部〉の……」

 斉彬に抱きかかえられるような形で廊下に尻餅をついていたこよりが怯えながらもなんとか声の主を見る。


「えっと、あなたは……」

「野田ですよ。合唱部の。ちょっと前に地下迷宮で助けてもらった」

「あぁ……!」




 合唱部の野田は地下迷宮探索中に足を滑らせて迷宮内の崖の下へ転落したところを駆けつけた〈竜王部〉のこより達に助けられた。ほんの二週間ほど前のことである。


「で、その野田さんは何してたんだ、こんな所で?」

「せっかくの花火大会だからBGMをつけて盛り上げようかなって」

「…………」

 思わず顔を見合わせるこよりと斉彬。


「えっとね、野田さん。言いにくいことなんだけど……」

 こよりは野田に本校舎からはほとんど聞こえなかった上に、微かに聞こえたその音にみんな気味悪がっていたことを伝えた。


「ええっ!? そうだったんですか? あちゃー、失敗失敗」

 頭をかきながら笑う野田。どこか抜けている部分があるのだろうか、「窓、締め切ってたからかなぁ」と見当外れの分析をしている。


「それじゃ、事件は無事解決ってことで。良かったな、こよりさん」

「え、何が?」

「幽霊とか、そういうのじゃなくて。苦手なんだろ? あんなに大きな声で――いてっ!」

「おほほほほほ。何のことかしらね?」


 余計なことを言った斉彬の足を踏みつけてごまかしたこよりだったが、数々の醜態はごまかしきれるものではないだろう。


「そういえばさ……」

「はい、なんでしょう?」

 事件も解決したので花火大会に戻ろうと音楽室を出ようとしたところで斉彬が何かに気づいたかのように野田に聞いた。


「さっきの曲、歌があったんだな。オレ、初めて聞いたよ。なかなかよかったよ」


 野田が音楽室で弾いていた曲は、ピアノソロ曲としてはそれなりに有名な曲で斉彬も聞いたことがあったが、歌があるなどと言う話は聞いたことがなかった。


「え?」

 しかし、野田の反応は意外なものだった。


「私、歌なんて歌ってないですけど……? 合唱部でもピアノ担当で歌わないし……」

「…………」

「…………」


 その時、風向きが変わったのか、どこからともなく声が聞こえてきた。


 ――た……の……おお……しそう……


 ――あな……すき……ぎて……ふれ……


 ――あなたへのすきがおおすぎてあふれだしそう……


 それは恋の歌のはずなのにどこか悲しくて、今にも途切れてしまいそうな儚い歌声だった。

 こよりが野田の方を見るが、彼女も驚いたように首を横に振る。


「もう、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 こよりの悲鳴にその一瞬だけ歌声はかき消されたのだった。




 県立北高には昔から伝わる“七不思議”が存在する。それは生徒達の間に代々伝えられてきたものだ。


 1.首のない子犬……校内を首のない子犬が徘徊しているという。子犬は飼い主を求めており、子犬に飼い主と認められると永遠にとりつかれる。


 2.動く人体模型……生物実験室の人体模型は実は模型ではなく本物の動く死体リビングデッドであり、自分の代わりを求めている。


 3.真夜中の頼子さん……かつて入水自殺した生徒の霊が成仏せずに今でも彷徨っている。彼女は出会った生徒を親友として霊界に連れて行ってしまう。


 4.十三段の階段……普段は十二段の階段が十三段だったとき、それ以上進んではならない。先に進んで戻ってきた者はいない。


 5.トイレの花子さん……有名なトイレの花子さん。呼びかけに応えるとトイレの中に引きずり込まれてしまう。


 6.無人ピアノ……夜、誰もいないはずの音楽室からピアノの演奏が聞こえてくる。それはかつて死んだピアニストの霊だという。


 7.七不思議の真実……これまでの六つはすべてでたらめで、本当の恐怖は他にある。それを知ったものは死ぬ。




 ちなみに、オカルト研究会の部室は旧校舎の一階にあり、こより達が隠れていた生物実験室からは渡り廊下を挟んだすぐ隣だった。

 唯一の部員である増田頼子ますだよりこは部室でかき氷を楽しんでいたが、生物実験室の前でそれを落としてしまい、悲しみに暮れている。

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