枯れ尾花4

 さっきの“首なし子犬”がいないかどうか確認するため、ゆっくりと扉を開けて斉彬が外の様子を確認した。


「大丈夫。もういないみたいだ」

 斉彬が太鼓判を押してくれたので、安心してこよりも生物実験室の外へ出た。


「あぁ、びっくりした……」

 ふぅ、とようやくひと息つけた。


 かと思ったのだが――


「あのぅ~」


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 この日何度目の悲鳴だろうか、こよりは斉彬の腕に抱きついてその影に隠れる。


「す、すいません。驚かせてしまったようで~」

 よく見ると、北高の夏服を着た女子生徒だった。


 もっとも、顔にかかる長い黒髪と青白い肌の色はかなり不気味で、後ろから突然話しかけられれば悲鳴を上げたくなりそうではある。


「い、いえ……。こちらこそ取り乱してしまって、ごめんなさい」

 こよりは斉彬の影に隠れながらも女子生徒に頭を下げた。


「いえいえ~。よくあることですので~」

 女子生徒は笑った。どことなく幸薄そうに笑う子だなとこよりは思った。


「それで、お二人はどうされたんですかぁ~? こんなところで」

「えっと、実は……」

 かくかくしかじか。こよりはここに来るまでの顛末を女子生徒に話した。女子生徒の方はオカルト研究会の三年生らしい、大きな声が聞こえたから心配して様子を見に来たのだとか。


「そうだったのですね~。大事じゃなくてよかったです~」

 女子生徒は再び幸の薄そうな笑みを浮かべる。


「そんなことより、私と一緒に来ませんか~?」

「えっ?」


「私のオカルト研究会には他に部員がいないので~。友達が欲しかったのです~」

「いや、でもわたしは……」

「悪いようにはしませんよ~。ですから……」

 女子生徒は嫌がるこよりに手を伸ばした。病的なまでに白くて細い腕だ。


「ひゃっ!」

 腕を捕まれた瞬間、とてつもなく冷たく感じた。身体の芯が凍り付き、全身から力が抜けるような感覚。


「嫌っ、やめて!」

 思わず腕を振り払ってしまった。そして斉彬の影に再び隠れる。


「ご、ごめんなさい……。無理やり連れて行くつもりはないんです~」

 女子生徒は諦めたのか、一歩下がってやはりあの笑みを浮かべる。


「それでは私はこれで~。~」

「ありがとうございます。それじゃ」

 女子生徒が手を振って見送ってくれる中、こよりは斉彬の方を見た。そういえばずっと斉彬の腕にしがみついたままだった。


「斉彬くん、行こうか?」

 しかし、斉彬の反応は意外なものであった。


「大丈夫か、こよりさん? なんかぼーっとしてたみたいだけど」

「え?」

 斉彬の表情は真剣だ。本気でこよりのことを心配している。


「だってわたし、今ここでオカルト研究会の女の子と……あれ?」

 こよりは振り向いたが、つい今さっきまでそこにいたはずの女子生徒はいない。そこには、まるで濡れた傘を置いたように床が水で濡れているだけだった。


「それってもしかして、“真夜中の頼子さん”じゃないか?」

「な、何それ……」

「いや、オレも詳しいことは知らないんだけどさ、なんでも数年前にこの校舎で――」


「や、やっぱりいいわ。そういうのは……」

 こよりが真っ青な顔で首を勢いよく横に振るので斉彬はその後の話をするのをやめた。


「そ、それよりも先に行きましょ。ね?」

「お、おう……」

 二人は上の階に向けて歩き出した。


「あれ……?」

「どうした、こよりさん……?」


(あの子、どうしてわたしの名前、知ってたんだろう……?)

 嫌な予感が頭をよぎったが、すぐにその考えを頭から追い出し、笑顔で答える。かなりぎこちなかったが。


「ううん、なんでもない。早く行こう」

「お、おう……」




 こよりと斉彬は特別教室棟の階段を上り、二階へと移動した。ピアノの音はますます大きくなっている。

 このとき、斉彬は大ざっぱな性格から、こよりは七不思議を知らないという理由から階段の段を数えなかったのは幸いと言えるのかもしれない。


「上から聞こえるね」

 こよりが更に階上を見た。この上には音楽室がある。


「音楽室だな。音楽室からピアノの音が聞こえるってのは当たり前の話だが……」

「今が夜で、しかもみんな出払ってる花火大会じゃなきゃね……」

 足がすくむが、ここで怖じ気づくわけにもいかない。こよりにも立場があるのだ。


(こんなことなら百物語の時に結希奈ちゃんをからかうんじゃなかった)

 百物語で過度に怖がる後輩の女子をからかっていた過去の自分を恨む。


(ごめんね、結希奈ちゃん……)

 少し余裕が出てきたからなのか、こよりは恐怖とは異なる感情により少し身体を震わせた。それを目ざとく斉彬が見つける


「……? どうした、こよりさん?」

「えっと、その……」

 口ごもるこよりに斉彬は更に問いを重ねる。


「なんだよ、こよりさん。何か問題でもあったか? また何か見えるとか?」

「えっと、その……。そういうんじゃないけど、その……」

 内股になってもじもじするこより。


「…………?」

「その……えっと……。お花をね、摘みに行きたいなって」


「花? 花火じゃなくて?」

「そうじゃなくて、トイレ!」

 我慢しきれなくなったこよりは大声で言うと、そのまま階段脇にある女子トイレに駆け込んでいった。


「なんだ、トイレか……。えっ、トイレ!?」

 驚きの表情の斉彬。もしかして、こよりはトイレに行かないとでも思っていたのだろうか……。




 特別教室棟二階のトイレの前で斉彬はこよりを待っている。

 相変わらずピアノの音は聞こえてくるが、はっきり聞こえてくるからだろうか、本校舎の屋上で微かに聞こえてきたときよりは不気味さを感じない。


 それにしても長いな……。


 女子のトイレは長いと噂には聞いていたが、かれこれ十分にもなる。もしかして何かトラブルでも……?


 斉彬が心配になって、中のこよりに声をかけようかどうしようか迷っているその時だった。


「な、斉彬くぅ~ん……!」

 泣きそうな顔をしてこよりがトイレの中から出てきた。そしてそのままトイレの前で待っていた斉彬の腕に抱きつく。


「ど、どうしたんだよ、こよりさん……」

 あまりのことに抱きつかれて喜ぶ余裕もない。斉彬はこよりのことをただ心配する。


「だ、誰かいる……」

「誰かって……そりゃトイレだから誰かいるだろうさ」


「違うの。ぶきみな声で、助けてって……。ほら、聞こえるでしょ!」

 言われて耳を澄ませてみれば、確かに『すいません……』とか、『助けてぇ……』とか聞こえる。


「おねがい、斉彬くん。見てきて……」

「って言われてもなぁ。女子トイレに入るのはどうも……」

「お願いっ!」

「わ、わかったよ……」

 これも惚れた弱みかと思いつつ、女子トイレを覗いてみる。


 入学してから二年半になるが、もちろん女子トイレの中を覗く事なんて初めてである。

 とはいえ、そこは別に花が敷き詰められているわけでもなく、えもしれぬいい香りがするわけでもない。タイルが敷き詰められている普通のトイレだ。

 強いて違いを見つけるとするならば、スリッパがピンク色なことと、個室しかないということだろうか。


「……誰かいるのか?」

 女子トイレの中に頭だけを突っ込むようにして斉彬は中に声をかけた。ここで大声を出されたら言い逃れできないななどと思いつつも、彼の背中に今もしがみついて怯えているこよりのためを思うと、校内での女子からの評判などどうでもいいとも思える。


「誰かいるか?」

 返事がなかったので、もう一度、少し大きめの声で呼びかけてみた。

 やはり返事がない。気のせいだったのではと思ったところで、


「あのぉ……すいません……」

「ひっ……!」

 中から声が聞こえてきた。それに呼応してこよりが斉彬の背中をさらに強くつかむ。


「誰かいるのか? 何かあったのか?」

 斉彬の呼びかけに、トイレの中の声は少し逡巡したかのような間のあと、答えが返ってきた。


「そのぉ……。紙がなくて、困ってるんです……」

 一気に力が抜けた。


「だってさ、こよりさん」

 背中にしがみついていたこよりからも力が抜けたのを感じた。


「紙はさ、多分そこの棚に入ってるから、届けてあげてくれないか?」

「そ、そうね……」

 こよりはおそるおそる斉彬の影から出て、女子トイレへと入っていった。


「ちゃ、ちゃんと見ててよね……」

「わかってるって! オレがこよりさんから目を離すはずないだろ!」


「信じてるからね……」

 数歩歩くと後ろに斉彬が見ているかどうか確認するほど腰がひけているが、それでもどうにか備え付けの棚まで行って、紙を個室の中の女子に渡すことができた。




「ありがとうございます~」


 紙を届けられて一時間ぶりに個室の外に出ることができた女子生徒――バレー部の多和田心たわたこころは朗らかな気持ちで紙を届けてくれた相手に礼を言った。


 が――


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……!!」

 心の顔を見るなり、相手の男女二人組は脱兎のごとく逃げ出してしまった。


「あ、あれ……? あれ?」

 彼女が制服の上につけたエプロンは屋台で販売されていたバレー部名物のアイスクリーム――イチゴ味のアイスの果汁がついていた。こより達がそれを見て血まみれの少女であると勘違いしたとしても、誰も責められないだろう。

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