混迷への序曲3

 結希奈の魔法が完成して地上の部室との〈転移門ゲート〉が開かれる。

 光り輝く扉をくぐって最初に目に入ったのは、普段の巫女服でうやうやしく跪く巽だった。


「結界の一部に魔術的な攻撃が仕掛けられましたのでご報告にまいりました」

 部員達が全員部室に戻ったところで巽は話し始めた。

「つい先ほど――十五分ほど前、“鬼”を封じる結界の一部に魔術的な攻撃が加えられましたが防衛に成功、現在、攻撃は治まっています」


 “辰”の〈守護聖獣〉である巽は現在、半壊状態の結界をほとんど一人で支えている。彼女以外の〈守護聖獣〉たちは全て狂ったか、殺されたか、あるいはその両方かのいずれかだった。知る限りは。


「十五分前っていうと、ちょうど巽さんが高橋に〈念話〉してきた頃だな」

 斉彬が十五分前のことを思い出す。

 地下迷宮探索中の彼らに、巽から結希奈に〈念話〉がかかってきたのだ。すぐに戻ってきて欲しいと。


『結界に攻撃と申したな。それによって結界――封じていた“鬼”に影響はあるか?』

 巽の前に立つメリュジーヌの言葉には威厳が込められており、普段慎一郎達と交流するときとはまるで異なる、〈竜王〉の姿だ。


「いえ、完全に防御しており、結界に異常はありません。また、同程度の攻撃であれば何度攻撃を受けても全く問題はありません」

『同程度の攻撃と申したな? では、それ以上の攻撃だった場合は?』

 巽は跪いたままメリュジーヌの方を見ずに答える。


「防御魔法の許容量以上の攻撃を受けた場合、その場所は破壊されますが、そのような場合はすぐに私に通知が来るようになっています。結界に関してですが、一箇所を破壊されただけで“鬼”の封印は解かれません。許容量以上の攻撃を複数攻撃する場合は事前に察知できるかと」


『ふむ……よくわかった』

 メリュジーヌが腕を組んで頷いた。一件十歳程度の幼女に見える彼女のアバターだが、その理知的な瞳は齢数千年の竜王のそれだ。


『この北高の結界はもともとそなたが造りあげ、今もそなたが維持管理をしているものだ。わしは立場上、報告を受けねばならんが、その方針については現状をよく知るそなたの考えを最大限尊重しよう』

「……ありがたく存じます」

 巽が頭を更に下げる。


『それで? この件に関してそなたはどうするつもりじゃ? わしらは何をすればよい?』

「恐れながら……」

 と、巽は前置きをして答えた。当然、彼女は最初からここまで計画を立ててからメリュジーヌの報告したのだろう。その言葉によどみはない。


「このままにしておくのが最善かと。攻撃を受けた場所の様子を見に行くにしろ、結界の強化を図るにしろ、敵の攻撃を我々が気づいたことを知られることになります」

『こちらが“知っている”ということを知らせる必要もない、というわけか』

「御意……」


『ならば、そなたの言うとおりにしよう。シンイチロウよ、よいな?』

「ああ」

「ありがとうございます」

 そして、巽が立ち上がり部室から出ようとしたときであった。


「ちょ、ちょっと待ってくれよ」

 今まで黙って話を聞いていた徹が慌てたような表情で巽を止めた。


「何もしないって……いいのかよ、それで! 攻撃されたんだろ? なら、なんとか手を打たないと……。ほら、攻撃してきたやつと話をして、やめるよう説得するとかさ」

 しかし、そんな徹に巽は表情ひとつ変えようとはしない。


「先ほども申したとおり、敵にこちらが攻撃に気づいたと知られるのは得策ではないと考えます」

「敵って……。なんだよ、“敵”って……! は敵なんかじゃ……。ただの行き違いで……。だから話し合えばきっと……」


「結界に攻撃を加えるものは誰であろうと敵です。例えそれが結希奈さんのお友達であったり、栗山さん、あなたのお知り合いであったとしてもです」

 静かに、だが強く言い切り、話はこれで終わりだと部室の扉に手を掛けた。


「ひとつ……。ひとつ教えてくれよ」

「なんでしょう、栗山さん」

 徹は拳を強く握りしめていた。その手は細かく震えている。


「攻撃の……攻撃のあった場所はどの辺りなんだ?」

 巽はその問いにすぐには答えなかった。メリュジーヌの方を向き、彼女が小さく頷くのを見て口を開いた。


「南西方向……“いぬ”のほこらです」

「そうか……ありがとな、巽さん」




 その日の夜、徹は風呂に入ると言って慎一郎達と別れ、校庭の隅を部室棟の方へ向かって歩いていた。

 〈竜王部〉のようにシャワー付きの部室を持たない部は野球部やサッカー部のようにシャワー付きの部室を持っているが部員が誰も校内にいない部の部室のシャワーを借りている。


 一見、徹はその野球部の部室へと向かっているようであったが――


 部室棟のすぐ側までやってくると徹は足を止めて辺りを注意深く見渡す。

 夏も終わりに近づいており、日が落ちるのも一時と比べてだいぶ早くなってきている。あたりは校内にいくつかある街灯が照らしているが、せいぜい足元が見える程度でそれほど明るくはない。


 だから彼がそこで待っていることに気づかなかった。


 徹は野球部の部室へは入らず、部室棟の奥の方へと向かっていった。そこは本校舎の方角からは見えない位置にある。

 そこにはトタンの板が置いてあり、その上を二つのパイロンが重しの役割を兼ねて板の対角線上に置かれている。さらに二つのパイロンはロープで繋がれており、そこには『立ち入り禁止 風紀委員会』と書かれた札がぶら下げられている。


 徹はパイロンをどけ、板を横にずらした。


 そこにはぽっかりと空いた穴。

 穴の奥はこの暗がりの中では見ることはできないが、ここから地下迷宮へと入ることができる階段が延びている。

 ここから降りてしばらく歩くと剣術部の部室がある。

 半月ほど前までは頻繁に通っていたこの道も、剣術部が多くの騒ぎを起こすためにここしばらくは足が遠のいていた。


 しかし、今、誰あろう自分が行かなくてどうする。


 徹は決意を固めて穴の中に入っていこうとした。

 そこで初めて、彼の背後に迫り来る気配に気がついた。


「徹……」

 徹が振り返ると、そこには悲しそうな表情の慎一郎と険しい表情のメリュジーヌがいた。


「な、なんだよ。慎一郎にジーヌじゃないか。どうしたんだ二人揃って……?」

 徹は努めて明るく言うが、その視線は宙を彷徨っており、動揺を隠しきれない。


「徹、剣術部に行くんだろう? 今日の結界への攻撃のことを話しに」

「…………」


『トオルよ、剣術部へはもう行くな』

 メリュジーヌのあくまでも冷静なその物言いに徹は反発する。


「は!? 何言ってんだよ! 俺がどこに行こうとジーヌには関係ないだろ?」

『トオル……』


「あいつらは……あいつらはそんな奴じゃないんだ。今は少し感情的になってるだけで……。結界に攻撃を仕掛けたのだって、あいつらかどうかはわからないじゃないか」


『それで、あやつらに聞きに行くというのか?』

「そうだよ! それであいつらが違うってなれば、誰か近づいてこないか見張ってもらえばいいんだ。そ、そうだよ! それがいい! 慎一郎もジーヌも一緒に行こう!」

 徹が慎一郎の腕を引く。が慎一郎は悲しそうな表情のまま動こうとはしない。


「どうしたんだよ、慎一郎。行くぞ」

「徹……」

 慎一郎は徹の腕を振りほどいた。


「徹、もう気づいてるんだろう? 剣術部の近くにはもう簡単には近づけない。他に誰が結界に攻撃したと思うんだ?」

「…………そんなこと」

 徹は地面を見つけたまま立ち尽くしている。


『そんなこと、話してみないとわからない、か? 子供じゃのぉ』

「なんだと!? ジーヌ、もういっぺん言ってみろ! いくらお前でも……いや、いい」


「徹、わかってくれるか? 部室へ帰ろう」

『そうじゃ、トオルよ。もうあそこへは行くな』

 徹はうつむいたままだ。その表情を窺い知ることはできない。


 いや――


「いいや、わからないね。あいつらは俺にとって慎一郎、お前と同じくらい……」

 急速に高まる魔力。それにいち早く気づいたのはメリュジーヌだった。

『いかん! シンイチロウよ、〈誘眠スリープ〉の魔法じゃ! 意識をしっかり保て!』


 しかし、その警告もむなしく徹の〈誘眠〉の魔法は慎一郎に対して発動した。

 なすすべもなく眠りに落ち、慎一郎の身体は崩れ落ちる。

 倒れる前に徹はその身体を支えて、近くのコンクリートの上に寝かせてやる。


「悪いな、慎一郎、ジーヌ」

 そして慎一郎を置いて徹は先ほどの穴から地下へと降りていった。

「さっき言ったことはさ、反対でもあるのさ。ガキの頃からずっと一緒だったあいつらと同じくらい、お前も大切なんだ。だから――」

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