真夏のハッピーバースデー4
聖歴2026年7月20日(月)
七月二十日。こよりの誕生日。
その日は区切りがいいと迷宮探索はかなり早めに切り上げられた。かなり強引な切り上げだったが、この頃にはすでにこより以外の〈竜王部〉部員は斉彬のプレゼント作戦を知ることとなっていたので異論は出なかった。
迷宮探索を切り上げた〈竜王部〉は一旦解散、その後斉彬はあらかじめ注文してあった花――バイト代で買えるだけの花を買ったらしい――を受け取り旧校舎四階のトイレでスタンバイ、徹が結希奈に〈念話〉で連絡して結希奈がこよりを部室まで連れてくる。そこであとから部室にやってくる斉彬がこよりにサプライズで花束を渡すという段取りだ。
「なんか俺、緊張してきたよ」
徹が部室でそわそわしている。
『お主はもう何もすることはないであろう、トオルよ。何を緊張することがある?』
「けどよぉ……」
すでに斉彬は花束を受け取り、トイレで待ち構えている。今はこよりの到着を待つばかりの状態だ。こよりには重大な問題が発覚したから緊急会議を招集すると伝えてある。
「ねえ、結希奈ちゃん。重大な問題って何なの?」
「あたしも知らないの。栗山から〈念話〉があってすぐに部室に来てくれって」
「何だろう……。悪い話じゃないといいけど……」
廊下から結希奈とこよりの声が聞こえてきた。ぱたぱたという足音からすると、小走りで来ているらしい。騙しているように思えて慎一郎は少し心が痛んだ。
「おまたせ」「ごめんね、遅くなって」
部室の扉が開かれ、結希奈とこよりが中へ入ってきた。すでに机の前で待機している慎一郎と徹を見て、女子達も席に着く。
念のために彼らは深刻な顔を作っている。
「それじゃ、早速話を……」
慎一郎が切り出したところをこよりが遮った。
「あれ? 斉彬くんは?」
全員が一瞬固まる。ここに斉彬がいないことの言い訳を考えていなかった。
「な、斉彬さんは……そう! 生徒会! 緊急事態だから生徒会に報告しに行ってるんだ」
ナイス徹!と心の中でガッツポーズした。
「そうなんだ……」
徹の咄嗟の言い訳にこよりは納得したようだ。しかしその不安そうな表情にまたも胸が痛む。
「実は、おれもさっき知ったんだけど、生徒会から連絡があって……」
「あれ? 生徒会にはこっちから連絡してるんじゃないの?」
しまったぁ! こよりからの鋭い突っ込み。咄嗟の言い訳からの臨機応変なフォローができていない。
「い、いや……それは、その……」
しどろもどろになる慎一郎を救ってくれたのはメリュジーヌだった。
『うむ。それでわが方のスタンスを向こうに伝えに行っておるわけじゃ』
「ああ、なるほど。そういうことね。ごめんね、話を折っちゃって」
「いえ、いいんです。それでですね……」
斉彬さん、早く来て下さいと慎一郎は心の中で祈る。こよりが部室に入る直前に徹が斉彬さんに〈念話〉で連絡したのはわかってるから、もうすぐ斉彬が入ってくるはずだ。
「それで……ですね……」
慎一郎が必死に時間を稼ごうと四苦八苦しているところで、今度は結希奈が助け船を出してくれた。
「みんなお茶飲む? あたしここまで急いで来たから喉、乾いちゃって」
が、しかし、そんなあからさまな時間稼ぎはこよりには通じなかった。
「ううん。それより、緊急事態なんでしょ? 浅村くん、早く話して」
「そ、そうですね。は、話します。話します……」
ちらと扉を見る。まだ斉彬が来る気配はない。それをこよりは目ざとく見つけた。
「どうしたの? さっきからみんなで扉の方ちらちら見て? 何かあるの?」
「い、いや……そんなことは……。なあ、徹?」
「え? 俺? う、うん。何もないよ。何も」
慌てて否定するが、それがこよりの疑念をますます深くする。
「ううん。絶対何かある。何? 緊急事態に関係あること?」
こよりが慎一郎の方へずい、と身を乗り出す。その豊かな胸が机に押しつぶされて存在を誇示した。思わず目がそちらに向いてしまう。
「いや……それはですね……その……」
斉彬さんもう限界です! と心の中で叫ぶ。もうすべてを話すしかない。
「じ、実は……」
口を開きかけたその時、救いの神は――慎一郎を窮地に追い込んだ本人であるが――やってきた。
部室の扉が勢いよく開かれる。そして、思わず耳を塞ぎたくなるような大声で、
「こよりさん!」
扉を大きく開けて現れたのはその手に真っ赤な薔薇の花束を持った森斉彬。
しかし、その格好はいつもの制服ではなく、勲章やら金色のひもやらいろいろと装飾のついた真っ白な服――まるで、物語の王子様が着るような――であった。
後で聞いた話だが、演劇部から借りてきたらしい。
「な、斉彬くん!?」
目を丸くして驚くこより。それはそうだろう。緊急事態と呼び出されて行ってみれば、そこに現れたのはよくわからない格好をして花束を持った上級生なのだから。
「ど、どうしたの? 生徒会に行ったんじゃ? というか、その格好は……!?」
しかし斉彬は目の前の好きな女子の声はまるで聞こえていないのだろう、顔を真っ赤にして手に持っていた花束――百八本の薔薇――を突き出し、そして――
「こよりさん、誕生日おめでとう!」
皆の視線が差し出された花束とこよりに注目する。長い沈黙。その沈黙を破ったのは、こよりの、彼女以外誰にも予測できない一言だった。
「わたし? え? わたし、今日誕生日じゃないけど……?」
再びの長い沈黙。そして驚愕の声。
「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?」
「じゃ、じゃあ……こよりさんの誕生日はいつなんだよ?」
斉彬がこよりに迫るように聞いた。こよりは顔を背ける。
「斉彬くん、顔が近い……。えっと、すごく言いにくいんだけどね……」
「う、うん……」
「……がつ……にち……」
「え? よく聞こえなかった……何月何日だって?」
「一月二十日……」
「いちがつ……にじゅうにち……かっ……!」
ショックに斉彬が膝をつく。こよりの誕生日はまだ半年も先だった。何という空回りであろうか。
『『いち』と『ひち』を聞き間違えたという、まあよくあるパターンじゃな』
がっくりうなだれる斉彬を前に、メリュジーヌがやれやれと首をすくめた。
「それでこよりちゃん、この花束どうするの?」
受け取られることなく、部室の机の上に置きっぱなしになっている薔薇の花束を見ながら聞いた。
「え? わ、わたしに聞かれても……」
「そんな……。こよりさん、受け取ってくれ! オレの気持ちだ!」
いかにも悲しそうな表情の斉彬にこよりは困り顔だ。
「でも、こんなにたくさんもらっても置き場に困るし……」
途方に暮れてこよりは辺りを見回すも、そこにいた部員達は皆わざとらしく目をそらす。
こよりは大きくため息をついた。
「はぁ。わかりました。受け取ります」
「本当か!? やったぁ!」
先ほどまでの泣きそうな顔がどこへやら、大喜びの斉彬。しかしそこに釘が刺される。
「ただし、一本だけよ」
「そんな! いや、一本でも百本でもオレのこよりさんに対する想いは同じ。ありがとう、こよりさん!」
「どういたしまして」
普通、お礼はもらった側が言うものではないかとこよりは思ったが、それを言い始めるとまたややこしくなりそうな気がしたので黙っておいた。
「それで、残りの薔薇なんだけど、結希奈ちゃん、もらってくれない?」
「え? なんであたしが!?」
結希奈は突然話を振られてあからさまに嫌そうな顔をしている。
「ううん、そうじゃないの。確か、薔薇のジャムってあったでしょ? それを作ってくれないかなって」
「ああ、なるほど……。悪くないわね。そのかわり……」
「?」
「手伝ってもらうわよ、こよりちゃん」
「え、いいの!? やったぁ!」
こうして、斉彬のバイトから始まった誕生日騒動は幕を閉じた。こよりの部屋には新しく薔薇の花が一輪飾られ、薔薇ジャムは翌日の〈竜王部〉の昼食に提供された。
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