牛の歩みも千里4
「バレー部のアイスを救って!」
そう言った女子をとりあえず部室へと案内して座ってもらった。結希奈が彼女のために冷えたお茶を出してくれた。
「それで、えっと……松井さん?」
松井の正面に慎一郎が座り、話を聞くことにした。他の部員は机の周りで各々見守っている。
「バレー部のアイスを救うって言ってたけど……」
「うん」
「どういうこと?」
松井の大きくて鋭い瞳がじっとこちらを見つめる。その表情は真剣そのものだ。決して、冗談でここに来たわけではないということがわかる。
「みんなは――うちの部の、バレー部のアイスは食べたことある?」
『アイス! うおお! わしはまだ食っておらんぞ! なのに販売中止じゃと!』
メリュジーヌがうるさいので無視しようとしたが、そこに重要な情報が含まれていた。すなわち――
「確か、あまりの人気に販売中止になったとか」
『おおかた、あの風紀委員長が風紀を乱すからと圧力をかけたのじゃろう! 食い物の恨みは恐ろしいと思い知れ!』
メリュジーヌが松井には見えない声と姿で怒りを露わにする。
しかし松井にその声は届かない。
「うん。ちょっと事情があって……」
松井の顔が曇る。彼女にとってもアイスの販売中止は不本意だったのかもしれない。
「事情って……?」
こよりが身を乗り出すように聞いてきた。もしかすると彼女もアイスが食べたかったのに食べられなかったのかもしれない。〈竜王部〉のように朝から晩まで迷宮に籠もっている部のメンバーにあの大人気のアイスは縁遠い。
「材料が切れてしまったんだ……」
「材料が……?」
松井はそこで出されたお茶を口に含んだ。ここからが本題なのだろう。
「アイスってどうやって作るか知ってる?」
「アイス……? えっと確か生クリームと卵とお砂糖とバニラエッセンスを混ぜて……」
料理が得意な結希奈が答える。しかし、すぐに何かに気づいたようだ。
「あれ? でも卵は手に入らないよね?」
「ううん、卵はなくてもアイスは作れるよ」
松井が指摘した。
「ああ、確かに。あれ? でも生クリームを作るミルクがないよね? ミルクなしにアイスクリームはできないんじゃ?」
という結希奈の言葉に松井は我が意を得たりと言わんばかりの顔をした。
「そう、そこ! そこがウチの……バレー部だけがアイスを作ることができたポイントなんだ!」
松井の表情はまるで秘密基地のありかを教える子供のようにキラキラしていたが、〈竜王部〉の部員たちには何を言っているのか全くわからなかった。
「……?」
「もうちょっと……この先」
慎一郎たちは松井と、あとから合流したバレー部の源田という女子生徒の案内で夜の〈竜海の森〉を歩いていた。
体育館とプールの間から森に入り、月明かりに照らされる道とも言えぬ木々の間を歩くこと約十分、木々の切れ目にたどり着いた。
そこは森の中にぽっかりと空いた空間で、一番最初に地下迷宮への入り口を見つけたあのほこらのあった場所に似た雰囲気があった。
しかしそこにあるのは倒れた木によって潰れたほこらではなく、井戸。
「井戸……だな」
あたりを念入りに調べていた斉彬が言った。井戸以外の何物でもない。
木々の切れ目のその場所は、夏の強烈な日差しに照らされて猛烈な植物の匂いを発している。くるぶしほどまである草の間にそびえ立つように石造りの井戸が鎮座している。
井戸は丸い石を組み上げて作られており、直径はおよそ一メートル半ほど。その上には半ば朽ち果てた木製の屋根が取り付けてある。そこには、同じく木製の滑車と、まだ真新しいロープの先にやはり新しい木製の桶。何の変哲もない井戸である。
――森の中にひっそりと残されているということを除けば。
「もしかすると、昔は〈竜海神社〉からここまで水くみに来ていたのかもね」
〈竜海神社〉の巫女である結希奈がそうつぶやいた。水道が通っていない時代のことなど、想像するしかない。
「中はどうなってるんだ?」
「徹、気をつけろよ」
「わかってるって」
徹が井戸の中をのぞき込んだ。念のために後ろからその身体を支えてやる慎一郎。
そこから見える井戸の中は暗くて、そこまで見通すことはできない。奥深くまで続く闇はその穴が永遠に続いているようにも思えてきて、吸い込まれそうにもなる。
「なんも見えないな。松井ちゃん、この井戸がどうしたんだ?」
徹が松井に聞くと、松井は待ってましたとばかりに説明を始める。だんだんこのバレー部員の性格がわかってきた。
「驚く事なかれ、なんとここからミルクが湧き出していたんだよ!」
松井が言うには、この井戸の底には水ではなくミルクが溜まっていたらしい。それを誰よりも早く見つけたバレー部がそのミルクでアイスを作って大ヒット、というのがアイス騒動の発端だ。
「材料不足で販売中止ってことは……」
「うん。この井戸、枯れちゃったみたいなんだよ……」
松井と、その隣に立つ源田の表情は心の底から悲しそうだった。
「ああ、それでおれたちに助けを求めてきたってわけか……」
「? どういうことだ、慎一郎?」
慎一郎の気づきに徹が疑問を投げかけてきた。
「この井戸、多分地下迷宮に繋がってるんだよ」
「そうみたい。最初、生徒会に相談してこの井戸を見てもらったんだけど、これは〈竜王部〉に相談した方がいいって言われて、それでお願いに来たんだ」
「なるほどね。そういうわけなら俺たち〈竜王部〉に任せておけってんだ。ほかならぬ松井ちゃんの頼みだしな!」
バレー部女子の前で胸を張る徹を前に竜王部員達は「また始まった」とあきれ顔だった。
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