七夕の夜4

 こよりちゃんと二人で飾り付けた笹を持って部室を出る。

 七夕の笹飾りをもっと目に作る所に置いてみんなに願い事を書いてもらおう。そう思いついたあたしは新校舎一階の昇降口へ向かうことにした。


「ふんふふ~ん♪」

 やることを見つけて上機嫌のあたしは意味もなく鼻歌を歌いながら旧校舎の階段を降りる。


 そんなあたしを物理的にも、精神的にも呼び止めたのは、ちょうど一階まで下りてきて渡り廊下にさしかかったところで出会ったある人物だった。


「おい、貴様! 〈竜王部〉、高橋結希奈!」

 後ろから声をかけられたが、振り返らなくてもわかる。こんなに厳しい声を出す女子はあたしは他に知らない。


「……はい、何ですか? 風紀委員長」

 振り返るとそこには背の低い――あたしも高い方じゃないけど、それよりもさらに低い――くせっ毛の、しかし全身黒ずくめの明らかに学校指定の制服ではない服を着ている女子生徒。


 風紀委員長の岡田遙佳さんだ。腕に巻いた黄色い風紀委員の腕章が目につく。


 正直、苦手な先輩だ。実家が神社という事があるかどうかはわからないけど、今まであまり苦手な人というのはいなかった。けれど、この先輩だけはどうも苦手だ。

 栗山は昔はこんな人じゃなかったと言っていたが、あたしは昔の岡田さんを知らない。

 だから、あたしにとってはいつもピリピリしていて恐い、いつ怒鳴られるかわからない人というのが正直なところだ。


 そんなあたしの考えが顔に出ていたのだろうか、岡田さんは不機嫌そうな顔であたしの方ににじり寄ってきた。

「その手に持っているものは何だ?」


 やっぱり。岡田さんが目を付けたのはあたしが今まさに昇降口に飾ろうとしていた笹飾りだ。岡田さんは風紀の乱れを許さない。そのために芽になりそうなものは片端から摘み取っていく、そんなタイプの人だ。


 でも、これはそんなに怒られるようなものじゃない。だから、あたしは正直に答えた。


「七夕の笹です。今日、七夕だし、みんなに願い事を書いて飾り付けてもらえないかなーって思って。ほら、こういう状況だからイベントって大事だと思うんですよ」

 我ながら言い訳くさいと思ったが、言ってしまった言葉はもう取り消せない。


 岡田さんはあたしの話を聞いて、「ふむ」と笹を見ている。

「確かに、少々の息抜きは必要だな」

 などとつぶやいたので少々驚いた。正直、風紀委員長この人は息抜きなんて認めないと思ってたからだ。


「それで? 生徒会の許可は取ったのか?」

「え? 生徒会?」

「そうだ。校内でイベントを行うためには生徒会の許可を得る。当然だろう?」

「いや、その……。イベントって言ってもただ笹を置くだけだし……」


 生徒会の許可なんて考えてもいなかった。こんなちょっと笹を置くだけの話なのに、どうしてそうなるんだ? あたしは混乱した。この場をどう切り抜ければ……。


「ん? どうした? 許可は得ていないのか?」

「それは、その……これから……」

「これから? つまり、許可は得ていないのか? ならばこれは没収――」

 万事休す――せっかく作ったのになぁ……。


「生徒会の許可なら得ていますよ」

 そこに割って入る第三者の声。思わず振り返るとそこにはあたしよりも頭ひとつ大きな金髪の上級生。思わずその美貌に見とれてしまう。


 イブリース・ホーヘンベルク先輩。魔界からの留学生で、生徒会の副会長だ。


「たった今、会長からの許可を得てきました。高橋さん、それの掲揚は問題ありません」

 そう言って副会長はにっこり笑った。


「そうか。ならば問題なかろう。ただし、今日中にきちんと片付けておくこと。明日の朝残っていた場合は何らかの処罰が下されると思っておけ」

 そう言い残して岡田さんは去って行った。その背中は何だか寂しそうに見えた。もしかすると気のせいかもしれないけど。でも、放っておく訳にはいかなくて、だから自然と声が出た。


「岡田さん! あの、岡田さんも良かったら短冊にお願い事、書いておいてください……!」

 風紀委員長はその声に立ち止まると、ゆっくり振り返った。そして――


「そんな暇はない。校内の巡回で忙しいからな。だが――」

 そのまま歩いて行った。しかし、去り際の言葉

「考えておこう」

 その言葉は確かに耳に届いた。




「ありがとうございます。イブリースさん。おかげで助かりました」

「いいんですよ。生徒達を守るのも私たちの役割ですから」

 ああ、この先輩は本当にきれいに笑う人だなあ。思わず見とれてしまった。


「ところで……」

 イブリースさんは怪訝そうな顔で聞いた。

「これは何のお祭りですか? クリスマス……にはまだちょっと早いようですし……」


 イブリースさんは首をかしげている。ボケ……じゃないよね? イブリースさんは日本語も堪能で日本人と区別がつかない。成績も学年トップだと聞いたことがあるし、生徒会でも実質的に実務を取り仕切っているのはイブリースさんだともっぱらの噂だ。


 だから、七夕を本気で知らないようだというのはちょっと新鮮だった。ちょっとかわいいかも。

「これはですね、七夕といって、もとは中国から……」

 あたしはイブリースさんに七夕について簡単に説明してあげた。


「一年に一度だけ会える恋人同士ですか……ロマンチックですね……」

 イブリースさんはうっとりと言った。いつもは凜々しい人だけど、こういった所はすごく女の子っぽくてかわいらしい。


「魔界にもあるんですか? こういうの」

 そういえば、あたしは魔界のことについてほとんど何も知らなかった。この機会だから少しは知っておきたい。


「そうですね……。恋人同士のようなロマンチックなものではないんですけど、遠くに仕事に出ている父親がしばらくぶりに戻ってくるっていう昔話がそれに近いですかね」

 遠くに仕事に行ってる父親かぁ……。あたしはうちが神社だから、あんまり実感はないな。今、お父さんは封印の外にいて家に帰れない状態だから、今がそうなのかもしれないけど。


「それじゃ、私はここで。約束通り笹はきちんと片付けて、焼却場に捨ててください」

「はい、イブリースさんも良かったら願い事、書いてくださいね」

 そう言ってイブリースさんに短冊を渡した。生徒会の人の分も含めて少々多めに。


「ありがとうございます。ぜひ書かせてもらいますね」

 そしてイブリースさんはうっとりするような笑顔を残して立ち去っていった。




「これでよし……と」

 あたしはぱんぱんと手を払った。べつにほこりがついたとかじゃないけど、こうした方がなんかやりきった感がある。


 昇降口の近くにある掲示板の柱に笹をひもでくくりつけ、『七夕のお願い事、自由にお書きください』とピンクのペンで書いた紙を貼り付けた。近くの空き教室から持ってきた机を隣に置き、その上に短冊と、さまざまな色のペンを置いておいた。


 誰か来ないかなーと笹の前で待っていておよそ三分、階上から女子の楽しそうな話し声が聞こえてきた。


「小麦粉はある。きゅうりも、ネギも、しそも、トマトを入れてもいいな。薬味の生姜もあるし、つゆはどうにだってなる。だからさ……!」

「うーん、かぁ……。〈竜海の森〉に生えてればいいんだけど……」

「なら、今度探しに行こう!」

「そうねぇ……あら?」


 階段を降りてきた園芸部部長の山川碧さんと家庭科部の山川翠さんがあたしに気がついた。軽く会釈をして挨拶する。


「こんにちは」

「やぁ、結希奈ちゃん! ちょうど良かった。今度、〈竜海の森〉にみょうがを探しに……ん? なんじゃこりゃ?」

 翠さんが笹飾りをまじまじと見つめた。お姉さんの碧さんはその後ろでにこにこと翠さんを見ている。


「今日は七夕だったわね。すっかり忘れてたわ」

「みなさん、忙しいですから、つい忘れちゃいますよね」

「なあなあ、結希奈ちゃん。これ、あたしたちも書いていいのか?」

 翠さんは短冊とペンを手に、目を輝かせている。三年生の先輩だけど、あたしはかわいいと思ってしまった。ちなみに、持っているのは名前と同じ、緑のペンである。


「はい、どうぞ。みんなに書いてもらおうと思ってここに持ってきたんです」

 翠さんは「やったー!」と言いながら短冊に願い事を書いている。……何枚書くんだ、この人?


「ふふ、わたしも書いちゃおうかな」

「うおー! 失敗した! 紙だ! 紙をもっとくれ!」

「あら、翠ちゃん。漢字間違ってるわよ」

「うわっ! み、見るなって! 書いてる途中に見られると恥ずかしいんだよ」

 一気に騒がしくなってきた。その騒ぎを聞きつけて生徒達がわらわら集まってくる。


 ここにいても邪魔になるだけだから、集まってきた生徒達に願い事を書いて飾って欲しいと伝えて部室に戻ることにした。

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