ふたつの剣術部5

 夢を見ていた。


 ドラゴンの時代でもなく、その本体を〈竜石〉に封印してからの竜人時代でもない。

 徹や結希奈、こよりに斉彬。そして慎一郎――。〈竜王部〉の部員達と共に戦い、笑い合う夢。


 そこでの自分は現実とは異なり自分の足で立ち、自分の手で剣を握り、自分の目で見て、自分の顔で笑っていた。


 そこでの自分は竜人時代とは異なり、見た目通りの弱い自分で、失敗しては笑われ、味方の窮地をギリギリのところで救ってはいい気分になり、今はもう行くことができなくなったあのファミレスで隣のポテトを盗み食いしていた。


 そこでの自分は竜王ではなく、ただのメリュジーヌだった。


 対等な関係。それは“竜王”という立場ではなしえないことだった。竜王はすべての上に立つ存在。竜王の前ではすべての者がかしずく。それは、決して対等な関係ではない。

 それはいつ以来の関係だったろう? 竜王になってからはもちろん、それ以前にも対等の関係だったことなどない。もしかすると、生まれて初めての関係なのかもしれなかった。


 そして、それがとても心地良いことを知った。


 時を超え巡り会った少年少女達は、自分が竜王であることに疑いを持っていない。しかし、それでもなお、彼らは自分たちと竜王が対等の存在として接した。

 それは、この時代の、あるいはこの国の文化ゆえのものなのかもしれない。あるいは、時が流れ、竜王の権威が弱まっていたからかもしれない。


 しかし、彼女は――メリュジーヌはそうではないと信じていた。それは、彼らが彼らだからであると。


「仲間……か」

 およそ二ヶ月前、時を超えるときに失われ、今は存在しない瞳から涙が流れる。これもまた、生まれて初めての経験だった。




 何やらあたりが騒がしい。何人かの男女が話をしているようだ。少しずつ意識が覚醒して、その意味がわかってきた。


「あんまり無理しないでね。まだ完治はしてないんだから」

「大丈夫っす。高橋殿に治していただいた身体ですから!」

「そう言うのがダメなんだってば! しばらく狩りは別のコボルトに任せること。いいわね!」

「了解っす! ……浅村殿、高橋殿はいつもこんなに恐いっすか?」

「まあな」

「聞こえてるわよ!」

「ひっ……! そ、それじゃあっしはこれで。また気軽に村まで遊びに来て欲しいっす!」

「ああ、またな」

「またね、ゴンちゃん」

「へい。皆さんにもよろしくお伝え下さい」


 扉が閉じて一人が部屋を出て行ったのがわかった。その時、相棒が自分の覚醒に気がついたようだ。意識をこちらに向ける。


「目が覚めたか。調子はどうだ?」

 目の前に広がるのは天井。白い天井。メリュジーヌと感覚を共有する少年――浅村慎一郎の視界だ。この光景には見覚えがある。


『なぜお主が横になっておるのか、シンイチロウ?』

 視界が動く。慎一郎が起き上がるのがわかる。慎一郎はベッドの上に腰掛け、メリュジーヌの問いに答える。隣に座っていた結希奈が身体を支えてくれた。優しい娘だ。


「検査だよ。メリュジーヌがいつまで経っても目を覚まさないから。ほら」


 慎一郎が指さした先には白い箱。彼の〈副脳〉が納められているヒヒイロカネ製のケースだ。メリュジーヌの意識が入っている脳。

 そのケースには様々な機器が取り付けられている。よく見ると、擦り傷や泥汚れがついている。


「辻先生に調べてもらったけど、異常はないって言ってたわよ」

 結希奈が微笑んだ。そうだった。あの時、犬のモンスターに襲われ、その時の衝撃で意識を――


『ふっ。情けないものじゃな。竜王ともあろうものが、あの程度のモンスターに』


「おれのほうこそ……。まだまだ、力不足だ」

 そう言って慎一郎は自らの握った拳を見つめる。


「もっと、強くならなきゃ」


 それは、慎一郎の決意であり、メリュジーヌの希望だ。そう、人間はドラゴンとは異なり、成長できる。取るに足りないと思っていたと存在が時を経て目を見張るような成長を見せた姿をメリュジーヌは何度も目にしている。


『……そうじゃな。じゃが、わしの指導は厳しいぞ』

「望むところだ」


 こういうとき、肉体がないのは惜しいと思った。肉体があれば微笑んでいただろう。そう、隣にいる結希奈のように――




「ふむ……。問題はなさそうだな」


 慎一郎の手に当てられている手は少々冷たくて、それが心地良かった。手のひらからは淡い光が漏れ出していて、それは回復の魔法なのか、検査のための魔法なのかはわからないが、その光は安心感を与える。


『わしが問題ないと言っておるのだ。問題あるはずもなかろう』

「自覚症状がないこともある。特に脳はな」


 メリュジーヌに理路整然と反論する辻綾子つじあやこの姿は養護教諭と呼ぶにふさわしい頼もしさだった。――酒臭いけど。


 この匂いには覚えがある。六百年前もよく飲んだ――ワインだ。あの頃のワインよりも雑味が少なく、製法の進歩が見られることが匂いでわかる。


 ――飲んでみたいのぉ。


 そう思うが、身体の持ち主である慎一郎は頑なに飲酒を拒んでいる。この国では二十歳になるまで飲酒はできないというルールだからだ。ちょっとくらいいいではないかと思うものの、年長者としてここは我慢することにする。


「肩の方はどうだ?」

「大丈夫です。この通り、全然痛くないですよ」

 慎一郎が肩をぐるぐる回す。先の戦いで肩を負傷していたらしいが、メリュジーヌが目覚めたときはもうその感じは全くなかった。


 あの養護教諭、酒ばかり飲んでいるが意外とちゃんとしているのかもしれない。

 メルジーヌが綾子の評価を少しばかり上方修正した。その時――


「浅村、いるか?」

 保健室の扉が開かれると同時に、男子生徒の野太い声がした。同時に、複数の足音が保健室に入ってくる。


 「もう起きていいぞ」と綾子に言われたので、慎一郎と結希奈は保健室の奥にあるベッドからカーテンの向こうに移動した。


「ふふっ、元気そうだね。よかった。」

 同じく現れた制服姿のメリュジーヌ――〈念話〉を使用した立体映像だ――を見て、保健室に入ってきたこよりと斉彬が笑顔を見せる。


「おっ、何だお前ら? ベッドから出てきて、いつの間にそういう関係になったんだ?」


 斉彬の下品な冗談に結希奈の顔が一瞬で赤くなる。

「バッ……な、何言ってんのよ! そんなんじゃないってば!」

「本当か? どうだか怪しいぞ? メリュジーヌも入れて三人で――ぶべっ!」

 こよりに思いっきり殴られた斉彬。いつも穏やかなこよりが見せてはいけないような表情を見せている。


「なんだぁ? そういうことなら言ってくれれば私は席を外すぞ?」

 カーテンの向こうから現れた綾子からのさらに火に油を注ぐような発言。


「せ、先生までからかわないでください!」

 結希奈の顔は耳まで赤くなっている。


『ふははははは! よい! 実によいの。仲間か……。うむ、実に良い仲間パーティになった!』

「……?」


 からかいの中心にあって困り顔の慎一郎だったが、突然笑いだしたメリュジーヌを見てさらに困惑する。


『よし、これより迷宮探索の続きをするぞ。行くぞ友よ!』

 ひとりで『おー!』と盛り上がるメリュジーヌだが、他の誰も賛同しない。


『む? どうしたんじゃ? まだ何かすべきことでもあるのか?』

「いや、そうじゃないんだけど……」

 慎一郎が何やら言いにくそうにしている。


「あのね、ジーヌちゃん。あれ……」

 こよりが窓の外を指さす。慎一郎が保健室のカーテンを開けて外を見せてあげた。


「ま、そういうわけだ。仕切り直しは明日からだな」

 がははと豪快に斉彬が笑う。


『な、何じゃとー!!』


 すでに日は暮れ、真っ暗な校内にメリュジーヌの声が響いた。その声は部員にしか聞こえない。

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