犬馬の養い5

 ガキィィィィ……!

 狭い洞窟の中を堅い音が鳴り響く。ゴンに襲いかかった犬のモンスターの牙を慎一郎の剣が受けた。


「ゴンちゃん……!」

 弾き飛ばされたゴンのもとに結希奈が走り寄っていき、奥へと連れて行った。回復の魔法をかけたのが見えた。淡い光がゴンの身体を包む。ゴンの胸はモンスターの爪によって鋭く切り裂かれていたが、まだ意識はあるようだ。結希奈の魔法を受けながらうっすらと目を開けている。

 その口が「犬神様」と動いたように見えた。


『シンイチロウ、距離をとれ。こやつとの接近戦は危険じゃ』

 モンスターの勢いを止めていた慎一郎はメリュジーヌのアドバイスに従い、モンスターを抑えていた剣を引き抜こうとする。


「……!?」

 が、剣はびくともしない。よく見ると、犬が剣をがっちりくわえ込んでいるのが見えた。


『くっ……! もしやこやつ、最初からこれが目当てで……!?』

 慎一郎の剣を牙で押さえ、恵まれた体格とそれによってもたらされる体重が慎一郎を抑え込もうとしてくる。


「慎一郎……!」

 徹が援護の魔法を唱えようとするが、犬は巧みに慎一郎の影に入り、それを許そうとしない。


「くそぅ……あいつ、こうなることを見越して……!」

「気をつけて! あのモンスター、見た目よりずっと賢い。もしかしてこのモンスター、正気を失っているんじゃなくて……」


 モンスターの巧みな牽制により、こよりもゴーレムに指示を出せないでいた。もしかすると狭い洞窟内での遭遇戦もモンスターの狙い通りなのかもしれない。


 ――グワァァァァァァァッ!!


「ぐっ……!」

 犬のモンスターがその膂力を生かしてさらに踏み込んできた。あまりの力に慎一郎は押され、膝をついてしまう。


「慎一郎!」「浅村くん!」

 慎一郎が膝をついたことにより、後衛陣とモンスターとの間に射線が生まれた。徹とこよりが援護をしようとそれぞれの持っている杖をかざす。と、その時――


「〈犬神様〉を……傷つけないで欲しいっす……」

 結希奈の回復の光に包まれていたゴンの弱々しい声が聞こえた。その言葉に皆が一瞬、躊躇する。


 モンスターにとってはその一瞬で十分だった。均衡が破られ、モンスターは目の前の人間を殺意でもって一気に押し倒す。


『ぐはっ……!』

 メリュジーヌの悲鳴が聞こえた。倒れたときに〈副脳〉のケースが壁面にぶつけられたのが見えたが、とてもそこに構っていられる余裕はない。


 倒れた瞬間、慎一郎の顔に痛みが走った。攻撃されたのではない。イヌの大きな前足が慎一郎の顔を押さえつけたのだ。


 イヌは慎一郎の右手を左前足で、頭を右前足でがっちりと押さえ込んでいる。下は土の地面とはいえ、イヌの尋常ならざる体重が慎一郎の手と頭に食い込んでくる。


「ぐあぁぁぁぁ……!」

 メリメリという音に慎一郎が悲鳴を上げる。


 犬はこのまま慎一郎の頭をかみ砕こうと考えているのだろうか、口からよだれをポタポタと滴らせ、牙をこちらへと向けてくるのが爪の間からも見えた。


「くそっ! もう相打ちとか言ってられねえ。炎よ!」

「ゴンちゃん、ごめんね。レムちゃん……!」

 徹とこよりがそれぞれ攻撃を仕掛ける。万が一、慎一郎に当たっても致し方なしという覚悟だ。


 しかし――


 ――ガァァァァァァァァッ!!!!

 犬が雄叫びを上げた。


「何っ……!」

 その瞬間、徹の放った魔法がかき消え、こよりのゴーレムはばらばらに粉砕されてしまった。


「なら、これでどうだ……!」

 斉彬がモンスターに向かって飛びかかり、上段から剣を振り下ろす。


 しかし、イヌはその固く鋭い牙で易々とその一撃を受け止めはじき返してしまった。


「しまった……!」

 斉彬の大剣〈デュランダル〉は空を舞い、イヌの後ろに落ちた。


「ちっ……犬の分際で……!」

 斉彬は自分の迂闊さとモンスターの狡猾さに奥歯を噛むが後の祭りだ。




 モンスターに完全に押さえ込まれた形になっている慎一郎。仲間達の攻撃も悉く無効化されている。事前にメリュジーヌが強敵である可能性を示唆していたが、予想以上だ。

 散々手こずらせた巨大イノシシを倒したことによって気の緩みがなかったかと言われれば嘘になる。相手は仮にもコボルト達に“神”と崇められている存在だ。侮っていいはずもなかった。


「メリュジーヌ……! 手助けを……」

 慎一郎はメリュジーヌに助けを求めた。メリュジーヌは物理的な手助けを努めてしないようにしていることは慎一郎も理解していた。だからこれまで彼女が申し出てくれた時以外、こちらから手助けを求めるようなことはしなかった。


 だが今回は別だ。このままでは目の前でよだれを垂らしている“神”と呼ばれるモンスターに頭をかみ砕かれて死ぬ。


 “死”……。その言葉が頭をよぎる。平和な現代日本に生きている慎一郎にとって、それは生まれて初めて実感する言葉だった。

 巨大ネズミから逃げるとき、メリュジーヌは追いかけるネズミを牽制するために魔法の力で剣を動かして手助けをしてくれた。今回もそれがあれば……!


「メリュジーヌ……!」

 再び竜王の名を呼ぶが返事はない。もしかすると先ほど〈副脳〉のケースを強打した際に意識を失ってしまったのかもしれない。


「慎一郎!」「浅村!」「浅村くん!」

 仲間達の声がどんどん小さくなっていく。代わりに、モンスターが慎一郎の頭を踏みつける、みしみしという音が小さくなっていき、そして意識がもうろうと――


 その時であった。


 モンスターの押さえつける力が急になくなったかと思うと、力の抜けたイヌの身体そのものが覆い被さってくる。次の瞬間、生臭くて温かい液体が慎一郎の頭にぶちまけられたのを感じた。


 ピクリとも動かないモンスターの身体から這い出す。イヌの身体の傍らには、両手で抱えるほどもあったイヌの切断された首がごろりと転がっていた。思わず息を飲み込む。


 一瞬前まで慎一郎の頭を砕こうとしていたイヌのモンスターは何者かに首を刈り取られ、今は物言わぬ骸となっていた。

 助かった――という感情より、一体誰が――という疑問の方が慎一郎の考えの表に上っていた。


 そして、その答えはイヌのモンスターの上に立っていた。


 白い上着に紺の袴、小柄ながらも引き締まった体躯。鋭い瞳を持つ顔には不敵な笑みをたたえている。そして、右手に持つ刀――日本刀。そこからは真っ赤な血が滴り落ちている。にもかかわらず、彼は一滴の返り血を浴びていなかった。


 少年――少年と言っていいだろう。


 モンスターの死体から這いだし、血まみれで少年を見上げる慎一郎の姿に気づいたのか、彼は慎一郎の方を一瞥し、


「雑魚が」


 そう言って捨てたのであった。

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