キノコ狂想曲5

「そろそろですかね」

「そうね。前回は確かお昼過ぎだったから……」

 こよりがマッピングをしているノートをパラパラとめくってイノシシの進行ルートをを確認している。


 イノシシの巡回ルートに関してはまだ未確定な部分も多いが、今のところ確かなことが二つある。ひとつは、同じルートを二日続けて巡回しないことと、ルートが確定すればそのルートをほぼ同じ時間、同じ道のりを進むということだ。

 昨日まではここに一定のパターンを繰り返すという法則があったのだが、それは崩れてしまった。


 そして、今日のルートはこの道を通ることが午前のチェックで確認している。前回、このルートを確認したときにこの一直線の通路をイノシシが通ったのは昼過ぎだから、そろそろ来てもおかしくない。


「じゃ、おれはそろそろ行くよ」

 慎一郎は〈副脳〉の入ったケースを置いて通路を出た。今回の目的はイノシシの討伐でなく、背中に生えている猪茸の採取だ。イノシシの足を止め、慎一郎がイノシシの背に飛び乗り、キノコを採取する段取りである。


 イノシシが通る通路脇に張り出している大きな岩に登り、体勢を整えたところで腹に響く振動が伝わってきた。


「来るぞ。みんな、準備はいいか?」


 慎一郎の問いかけに皆がそれぞれ返事をする。徹、結希奈、こよりは呪文の詠唱を始め、斉彬は徹が作った網を投げる準備を整えている。傍らにはあらかじめこよりが創ったゴーレムたちがロープを手に持ち、構えている。


 振動は少しずつ大きくなってくる。昨日、長い一直線の下り坂でも感じたあの振動だ。


 迷宮の中には光源がないのでまっくらだ。しかしそれだと呪文詠唱のタイミングがとれないので通路にあらかじめ明かりが置いてある。その明かりに巨体が照らされた。およそ二百メートル。


 生唾を飲み込んだ。冷たい汗が背筋を落ちるのが伝わった。部員全員の共同作業だが、最後にイノシシに乗り、キノコを採取するのは慎一郎の役割だ。緊張するなというほうが無茶な相談だ。


 通路に引いてある、作戦開始の合図となる白いラインの上をイノシシが通過した。斉彬が重りのついた網を投げる。イノシシの足に絡みついた。


「蔦よ!」「蔦よ!」「蔦よ!」

 徹、結希奈、こよりの三重詠唱が完成した。地面が盛り上がり、中から蔦が勢いよく飛び出してイノシシの足を捕らえる。後ろ向きの力が加わり、目に見えてイノシシの動きが鈍るのがわかった。蔦が切れる様子は今のところない。三人が継続的に蔦を強化しているからだ。


「よっしゃあーっ、これで仕上げだ!」

 斉彬がかけ声と共に素早く取り出したロープを投げる。ロープにはあらかじめ追尾の魔法が掛けられており、それは勢いの落ちたイノシシの牙に難なく絡みつく。同じくゴーレム達の投げたロープもうまくイノシシに絡みついたようだ。


「どっせーい! こよりさん、見ていてくれ、このオレのパワーをぉぉぉぉぉっ!」

 斉彬とゴーレム達が力任せにロープを引っ張る。しかしその叫び声は呪文詠唱に集中しているこよりに届いていないだろう。


 さらにイノシシの速度が下がる。が、完全に止めるにはパワーが足りないようだ。斉彬とゴーレム達は少しずつ引っ張られていく。

 ゆっくりとしたスピードでイノシシは進み、やがて慎一郎が待機する岩の下までやってきた。


「今だ浅村。飛べぇぇぇぇぇっ……!!」

 斉彬の声を背に身を乗り出す。少しの浮遊感のあと、イノシシの背にぶつかるように落ちる。一瞬息ができなくなるが、なんとかイノシシの背に生えているコケにつかまった。


「ぐ……」


 イノシシが大きく暴れ、振り落とされそうになるところをコケにしがみついて懸命に堪える。時々コケがちぎれて投げ飛ばされそうになるが、それでも少しずつ前に進み、キノコのあるところまで這って進んでいく。


 飛びついてから二分とかかっていないはずだが、慎一郎には二時間にも感じられる道のりを経て、ようやくキノコのあるところまでたどり着いた。


 コケを掴み、両足でイノシシの背中を挟み、身体を固定する。そのままキノコへ手を伸ばし、根元からもぎ取った。


 そのまま制服のポケットに入れ、二本目に手を伸ばす。


 夢中になって採っていると、突然イノシシが大きく暴れ出した。そのまま蔦とロープを引きちぎり、全力で走り出す。


「うわ、わわわわわっ……!」

 その激しい振動を堪えることができず、慎一郎は投げ出されてしまった。


 受け身を取る間もなく、背中から地面に落ちる。肺の中の空気が全部外に吐き出され、一瞬目の前が暗くなった。イノシシの足音はどんどん遠ざかっていく。


「慎一郎!」

 徹達が走って駆け寄ってきた。自力で上体を起こし、親指を立てた。


「大丈夫? 怪我はない?」

 そう言って結希奈が回復魔法をかけてくれた。落とされたときにぶつけた肩の痛みが和らいでいくのを感じる。「ありがとう」そして「大丈夫だ」と答えると結希奈がにっこりと微笑んだ。


「それで、首尾は?」

 斉彬の問いに慎一郎は右手を高らかに突き上げ、そこに持つキノコを皆に見せた。おぉ~という歓声。


「まだあるぞ」

 夢中でポケットの中に突っ込んだ猪茸を取り出す。一個、二個……手に持ったものも含めて全部で四個。思わずガッツポーズが出た。


『でかした、シンイチロウ!』

「大猟じゃないか!」

 皆の満面の笑みに達成感がこみ上げてくる。これを家庭科部に持っていけば……


「一個三千円だから、合計…………?」


 メリュジーヌを除く部員五人で割ると


 ここにいたるまでの道のりを思い返した。昨日の失敗から今朝の徹達の魔法の強化検討、網やロープの準備に猪のルート確定。昼食は家庭科部の弁当だから一人頭七五〇円。一日かけて、死にそうな目……とは言わないまでもそれなりに大変な思いをして一万二千円。


 すっかり興奮は冷めていた。


「割に合わねぇ……」

 一同は大きくため息をつき、がっくりうなだれた。


 結局、それ以降キノコ採取が行われることはなかった。ただひとり、メリュジーヌだけが家庭科部による猪茸ごはんとお吸い物に舌鼓をうち、その味を堪能し、今回の冒険に満足していたのだった。

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