謎の地下迷宮3

                       聖歴2026年4月23日(木)


 いつもの市道との交差点。あの夢の時とは違って車は途絶えることなく行き交い、周囲には北校生を含む通学中の男女が楽しげに、あるいは眠そうに朝の道を歩いている。いつもの登校の風景だ。


 ここを通るのはあの夢の時以来、初めてだ、一昨日はここを通るのが怖くて行きも帰りも避けてきたし、昨日は市民病院に行っていたので学校は休んだ。


 交差点にあの青いドラゴンはいない。当たり前だ。現代日本で竜人がその本性を現すには事前の申請と審査が必要になる。これは日本だけでなく、多くの国で共通だ。


 しかし、あれがただの夢だったと断ずることができない事情がここにはある。

 フェンスの向こう、少し高くなっている先は北高の――正確には北高に敷地を貸し出している竜海神社の――敷地だ。市道と北高を分ける柵は何か重いもので潰されたように曲がっている。周囲の木々も強大な力で押しつぶされたように折れ、あるいは曲がっている。周りには人が立ち入らないよう、黄色いロープが張ってある。


 あそこは夢であのドラゴンが尾を振り下ろした場所だ。間違いない。

 夢でドラゴンは尾を振り下ろし、背後にあった柵と、敷地内の小屋のようなものを潰した……ように見えた。


  今、目の前にある光景はドラゴンこそいないが、あの夢の時と同じ光景ではないか――まさかとは思いつつも、その考えを払拭できずにいた。




「よっ、どうした昨日は?」

 そんな風に崩れた箇所を眺めていると、突然、背後から組み付かれた。クラスメイトで親友の徹だ。もともと家の道場で剣術をやっていたからかどうかはわからないが、朝は強い方だと昔、聞いたことがある。

 徹は肩を組んでいつもの笑顔で慎一郎とメリュジーヌに話しかけてきた。


『トオルではないか。今日も元気だな』

「おう、ジーヌ! 今日もかわいいな!」

『ふん、かような世辞は聞き飽きておる。もっと気の利いた世辞を考えてこい』

「さすがは竜王様。ちょっとやそっとのお世辞じゃびくともしない。そうでなくっちゃ」

 そう言って徹はけらけらと笑う。


 メリュジーヌの姿は〈念話番号〉を交換している慎一郎と徹にしか見えないから、第三者から見ればかみ合っていない会話をしている男子生徒、に見えるかもしれない。


「昨日は病院に行ってたんだよ」

「病院? どっか悪いのか? ……ああ、ジーヌの件か。ま、確かに一度検査してみた方がいいよなぁ。で、どうだった?」


『わしがシンイチロウに危害を与えるはずがなかろう。安全無害がわしのモットーじゃ』

「大食いでおれの胃袋ぶっ壊そうとする奴がよく言うよ……」

 はは、と軽く笑いながらも、目の前の壊れた柵から目が離せない。


「……ああ、あれね。なんかさ、一昨日の早朝にトラックが電柱にぶつかって派手にぶっ壊したらしいぜ」

 と、徹に言われてあたりを見ると、なるほど、近くの電柱が根元から切断されている跡が見えた。


「あそこにさ、なんか小屋、なかったっけ?」

 慎一郎の問いに徹が首をかしげる。

「小屋? そんなのあったかな……? ここからじゃ見えないな」


「いや、確かにあった。あの小屋も潰されちゃったのかな?」

「そんなに気になるのか? 何の小屋だ? 体育倉庫? いや、体育倉庫はもっと奥だな」


「そういうんじゃなくて、もっとみたいなやつ」

「やけにこだわるな。なら、見に行ってみるか?」


「え?」

 徹の提案に一瞬何を言ったか理解できなかった。


「だから、放課後にでも校内からあの事故現場、見に行こうぜ。そう言われて俺も興味わいてきた」


 ここで『今すぐ』とならないのが徹の――というより北校の生徒の――真面目なところである。


「ちょ、ちょっと待てよ! 放課後は部活見学に行くんじゃなかったのか?」

「んなもん、明日でいいだろ? 見学は明日までなんだし、あの事故現場は今じゃないと見れないぜ」


『わしは何でもいいぞ。それより弁当の時間はまだか?』

「朝飯、食べたじゃないか……。しかもパンを一斤」

 結局、いつものように徹に押し切られ、放課後行くことになってしまった。




 代わり映えしないチャイムが校内に響き渡る。生徒達にとってみれば待ちに待った、終業のチャイムだ。


 1年F組の生徒達も寄り道の計画を立てる者、いち早く帰宅しようとする者、部活見学に行く者、そしてすでにどこかの部に入部して部活に行こうとする者など様々である。

 校内は授業が行われていたつい五分前とは比較にならないほど活気に満ちあふれていた。


「行こうぜ」


 制服姿で、肩に〈副脳〉のケースをかけ、手には通学鞄を持った、いつもの通学と変わらない格好で二人と慎一郎の〈念話〉による映像である幼女一柱は校内の端にある事故現場あとへ向かう。




 校舎を出て校庭を経由し、体育館の脇を通っていく。部活見学会は今日も行われており、そこかしこから活気ある声が聞こえてくる。時折、「おおーっ」とか「きゃーっ」という歓声が聞こえてくる。あれはどこの部だろうか。


 体育館の脇を抜け、木々が生い茂る、通称〈竜海の森〉――北高を取り囲む竜海神社敷地内の広大な森はそう呼ばれている――へと足を踏み入れる。

 普段、生徒達が足を踏み入れることもない森の中に入っていく男子生徒ふたりに注意を向ける者は誰もいない。


『ほう……なかなかの森じゃな。この国にかような場所があるとは、捨てたものでもない』

 うっそうと茂り、日の光も多くが遮られる薄暗い森の中に入ると、メリュジーヌがそう漏らした。


「こっちの方か?」

 木々の向こうから微かに自動車の走る音が聞こえてくる。おそらく、市道を走る車だ。それを頼りにあの柵が壊された場所へと向かっていく。


「こんな森だと、モンスターが出ても不思議じゃないな」


 〈モンスター〉。一般的にモンスターと動物の差は、『人間に危害を加えるか否か』にある。人間に危害を加えないものは『動物』、人間に危害を加えるのが『モンスター』だ。


 なので、熊や虎などは『モンスター』だし、人に危害を加えないスライムなどは『動物』になる。家畜化されて普段は動物だと思っていたら、野生化して凶暴になり、モンスターと呼ばれるものもあるなど、その境は曖昧である。

 ちなみに、学術上動物とモンスターに違いはない。


「うわっ!」

 森の中を歩いていると、慎一郎は木の根に足を取られて転びそうになる。


『気をつけんかい! そのケースにはわしの脳が入っておるんじゃ! 壊れたらどうする! ガラス細工を扱うように丁寧に運べ!』


 メリュジーヌの不安はわからなくもないが、昔ならいざ知らず、今の〈副脳〉ケースは耐衝撃に優れ、落とした程度では絶対に壊れない。交通事故に遭っても滅多なことでは壊れないレベルだ。


 そんな感じで歩いていると車の音が大きくなってきた。木々の向こうから光が漏れている。そこに向かって歩いて行くと――




「どうやら、ここみたいだな」

 徹が黄色い『立ち入り禁止』のロープをくぐりながら言った。ロープの向こうは木々が無残になぎ倒されている。今朝、交差点から見た風景の反対側だ。


「本当に入るのか?」

「大丈夫。こんな所誰も来ないって。行くぞ」

 徹に急かされ、慎一郎もロープをくぐり、中に入る。


「お?」

 先に進んでいった徹が何かを見つけた。


「小屋って、これじゃないか?」

 徹は倒された幹にまたがり、向こう側を覗きながら言った。急いでそこへ向かうと、木に半分が潰されている小さな小屋――というよりは『ほこら』といった方が正確だろう――が見えた。


「これだ……」

 慎一郎が言葉を漏らした。古い木造のほこらは大きな力で無残にも潰され、痛々しい姿をさらしている。近くには誰かが供えたものだったろうか、割れた花瓶と切り花が散乱している。


『む……?』

 に最初に気づいたのはメリュジーヌだった。


「どうした?」

『そこ、潰れた木の下じゃ。何かないか?』


「本当だ。よし、慎一郎。この木をどかすぞ」

「えぇ? これを、おれ達だけで?」

「当たり前だ。他に誰がいるってんだよ?」


『いいから早うやれ。口を動かす暇があったら手を動かすんじゃ』

 勝手なことを言うメリュジーヌを無視して、徹とともに倒木を動かした。


 倒木は思ったよりも簡単に動かすことができた。持ち上げるのなら大変だったかもしれないが、転がすだけならばそれほど力はかからない。二人がかりで倒木をどける。

 倒木の下敷きになったほこらの残骸を取り除くと、その下から石の蓋が出てきた。縦横一メートル半くらいの大きさだが、それほど重いものではなかったようだ。ふたりがかりでこれをどかすと、果たしてその中は――


「地下道?」

「……みたいだな」

 地下に続く階段があった。


「何か見えるか?」

 中をのぞき込む徹に慎一郎が声を掛ける。


「……いや、暗くて何も見えないな」

 周囲は木々が倒されたことにより夕日がよく当たっているが、穴の奥までは日も差さず、真っ暗だ。階段はその奥の闇へと続いている。


『なら、中に入って確かめるしかあるまい』

「はぁ? いや、ちょっと待ってくれよ。中に入るって……!」


「おっ、それいいね! さすがはジーヌ! よし、行くぞ徹!」

「ちょ、ちょっと待てよ! こんな所に地下室があるなんて聞いたことないぞ! 一度戻って……っておい!」

 徹は慎一郎の声も聞かず、ずんずんと中に入っていく。


『いいから行け。お主も男じゃろう。わしのまえで情けない姿を見せるな』

「いや、おれは別に……」

 とはいえ、このまま徹を一人で中に生かせるわけにも行かない。


「ああもう!」


 仕方がない、とため息をついて慎一郎も階段を下りていった。

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