第二章 迷い狸の狐太郎(3)

「ようこそ、いらっしゃいました。隣の土地神様」

 などと思っていたら、狸がいきなりあいさつを始めた。

「狸じゃねえのかよ!?」

 何の前触れもなく人間の言葉をしやべり始めたので俺はツッコミを入れてしまう。

「いえ、狸ですが」

 しかもそれに冷静に返された。

「狸って人間の言葉をしゃべれるのか」

「いえいえ、それは無理ですよ」

 明らかに会話が成り立ってるのにそれを否定された。どういうことだ、これは。

「他心通というヤツだよ」

 土地神のヤツが混乱してる俺に説明をしてくれた。

「ああ、テレパシー。なるほどね」

 要するに心の声が互いに伝わってるということなのか。確かによく見ると狸どころか土地神のヤツも言葉と口の動きが合ってない。

「そもそも僕自身、狸の言葉がしゃべれるわけじゃないからね」

「俺とお前が会話できるのはいいとして、なんで俺とこの狸が会話できるんだ?」

「ここが山の神様の庭だからじゃないかな」

 土地神のヤツは確信がない中途半端な言い方をしたようだ。

「よくわからんが、お前の力ではないわけだ」

「僕にだってできなくはないけど、君は力の無駄遣いはするなと言ってるからね」

「……なるほど」

 そんな俺たちの話を迎えに来た狸は黙って聞いていたらしい。

「ご案内しろと言われて来たのですが、よろしいですか?」

 会話が途切れたところで真面目な調子でそう尋ねてきた。

「あ、はい、すみません」

 それに引きずられて、下手に出てしまう俺。たかが狸とも思ったが、山の神様の命令で迎えに来るくらいなので偉い狸なのかもしれない。

「よろしく頼むよ」

 なのに、うちの土地神のヤツと来たらなんとも偉そうな態度だ。

 道に迷ったことなんてもう忘れてるに違いないと俺は思った。


       ***


 空気が変わった。

 そこに一歩踏み込んだだけで、それを感じた。さっきまでは茂った木々の枝や葉で日が差さず暗かったが、急に明るくなってきた。それでも人間の領域に近づいたわけではなく、自然としての気配は濃くなってるのを感じる。

 ここは森ではなく、本当に狸の国というヤツなのだろうと俺は直感した。

 俺の視界の端で狸たちが俺たちの方を見てるのが見えた。俺がそっちを向くと木の後ろに隠れたりする。俺たちに興味はあるけどおびえてもいるのか。

「こちらです」

 そう言って案内の狸が進む上り坂はハッキリと道とわかるほどの広さがあった。狸が行き交う獣道という感じではなく、人よりももっと大きなものが通るための幅があった。

「けっこう急だな」

 そしてその上りのこうばいもかなりのものだった。感覚的には二十度以上はありそうだ。人間の俺でもそう感じるのだから、狸にはかなり険しい道だろう。

「このまま進むと山神様がいらっしゃいます」

 そんなことを思っていたら案内の狸は立ち止まり、行く先を鼻で示した。

「どうもありがとうございました」

 俺は指示された通り、その先へと向かう。

「わざわざすまなかったね」

 そして土地神のヤツも感謝らしい言葉を告げたかと思うとひゅっと俺の前に移動してきてそのまま歩き始めた。

「やっぱり狸にはこの先の道は上りづらいってことなのか」

 まだ少し距離があるらしく、手持ちで俺はそんなことを聞いてみた。

「上りづらいというのにも二つ意味があるね」

「どういうことだよ」

「坂道がキツいという文字通りの意味と、この先は山の神様のすみで入るのが恐れ多いという意味だよ」

「恐れ多いね」

 うちの土地神様を見てるとそんな気持ちにはまったくならないが、これだけの狸に慕われている山の神ともなるとやはり格が違うということか。

 とまあ、そんなことを思ってるうちに、道の向こうに洞穴の入り口が見えてきた。

「あれが山神様の家ってことか」

 道の先にはそれしかないというのもあったが、気配というのか、威圧感というのか、確かに何か強い力のようなものを感じる。

「改めて言うことでもないが失礼のないように頼むよ」

 うちの土地神様の声も少し震えてるようだった。遠くからでもこれだけの神の気配を感じさせる相手だ。怒らせたりしたら大変なことになるのだろう。

「わかった」

 俺としてもそうしたいわけじゃないし、素直にうなずくしかない。

「良く来てくれたな、隣の土地神よ」

 その言葉はそこら中に響くごうおんのように感じられた。心の声なのだろうが、その存在感の強さから俺はそれだけで魂が吹き飛ばされるんじゃないかと心配したほどだ。

「いえ、困ってる時はお互い様ですから」

 うちの土地神様はそう言って立ち止まった。俺もそれに倣って、ヤツに従ってるみたいな形で止まる。

「そう言ってくれると助かる」

 のそりのそりと洞穴の中で動く気配を感じた。俺たちがそこに入るのではなく、向こうから顔を見せてくれるということらしい。

 俺はそれを微動だにせず待っていた。指の一つ動かすこともまばたきも許されない緊張感。それを感じていた。ところが、だ。

「狸じゃねえのかよ!?」

 明るい場所に出て来た山神様の顔を見て俺はツッコんでしまった。なんでって、その顔が熊だったからだ。

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