第20話 坂の上の太陽

 生い茂る緑に囲まれた急斜面。

 その中を一本通すようにして、小さな階段が突っ切っている。

 右へ左へうねりを繰り返す車道を横目に、三人の女子生徒と一人の男性教員が、一段一段を踏みしめていく。


「せんせー、早くしてくださーい」


 あおいの声がやまびこのようによく響く。

 厳しい声かけにも屈しずにいられるのは、他の二人が彼のことを見向きもしていないからだった。気にかけてもらえるだけ良かった。


「お、おぅ……」


 その先も登り続けている坂道の途中で、少しだけひらけた場所に出る。

 歴史を感じさせる欧風のお城のような建物が、大きな門の先に突如として現れた。


「ついた……」


 真っ赤だった榎本えのもとの顔が、少しずつ青ざめ始めている。


「早く」


「お、おぅ」


 今にも倒れ込みそうになりながら、おぼつかない足取りで門をくぐる。

 その傍らに窓口があった。


「アイドル部のイベントで」


「お名前は」


「朝陽高校の榎本と申します」


「あさひあさひ……」とつぶやきながら、キャップをかぶった男性が手もとの用紙を指でたどっている。そのうち彼が首を傾げた。


「エノモト?」


「なにか」


 窓口の男性はじーっと榎本の顔を見つめてから、その脇にいる女子生徒たちにふっと目を向けた。


「お名刺いただけますか」


「あ、はい」


 ガサゴソと慌ててバッグを弄りながら、榎本が言われたとおりに名刺を渡す。


「な、なにかおかしなことでも」


 慣れた手つきでポケットのハンカチを取り出し、精一杯に額を拭った。


「いや、聞いてた名前と違ったものでね」


「名前が?」


「まあいいんだけどね」と言って名刺を受け取ると、男性は手元の用紙にメモを取った。


「それから」


「え、まだなにか」


 男性は榎本達が上がってきた階段を見下ろしている。


「帰りはぜひスクールバスで」


「バス、あるんですか……」


「最寄りの駅からシャトルバスが往復してますから」


 汗でシャツがぴたりと張り付いた榎本の背中に、痛いほど冷たい感触が突き刺さる。


「ありがとうございます……」


 そう言い終える頃には既に、あおい達は先だって校内へと進んでいっていた。


「こ、こら待て」


 すかさず追いかけようとした榎本だったが、ふと何かを思い出したように足を止めて振り返った。


「あの、そこに書かれていた先生の名前って」


 窓口の男性は目を細めて手元を眺めると、そのままの態勢から声を発した。


「シマ」


 男性と同じような言い方で、榎本もその名前をつぶやいた。

 そのままペコリと頭を下げ、校舎の中へと駆けていく。生徒達の姿はすっかり見えなくなっていた。


 彼らが後にした門の入口に、青みがかった金属で文字が記されている。


 ”旭陵学院高等学校”


 それよりも遥かに存在感を醸し出している”関係者以外の立ち入りを禁ず”という仰々しい看板は、女子校ならではの光景かもしれない。






「おい! 待て、お前たち」


 いつもほどの勢いがなくなった声を絞り出す榎本。気のせいか痩せてきたように見えなくもない。


「せ、先生を置いてくんじゃない……!」


 茜音あかねみどりは冷ややかなままの目を、ようやく榎本へと向けた。


「先生がもたもたしてるからでしょ」


 「うぐぅ」と声にならない声を発しながら、両膝に突っ伏したままの榎本がゆっくりと体を起こす。


「ん、大原はどうした」


「え」


 正門からまっすぐにここまでやってきたはずだった。県立である朝陽あさひ高校では考えられないくらい大きな建物が、目の前にはある。入り口には“第一アリーナ”と記されており、その名の通り、茜音達の知っているような“体育館”ではなかった。

 そこにたたずむ茜音と翠、そして後から追いついてきた榎本の姿。


「なんでまっすぐ歩いてきただけでハグレるんだよ! 小学生じゃあるまいし……」


「いや茜音、小学生だってちゃんと着いてくるよ……」


 あおいの姿が、ない。

 二人の先輩はこれ以上が無いほどの呆れ顔で脱力している。


「まったく……! じゃあ俺が探してくるから、お前たちで先にエントリーしといてくれ!」


 榎本は額をもう一拭ひとぬぐいすると、リュックサックを背負い直してもと来た道を駆けていく。二人はその後ろ姿をしばらくぼーっと眺めていた。


「大丈夫なのか、本当に」


 茜音が頭を抱えると、翠が笑った。


「ま、いつも通りってことでいいんじゃないの。ウチららしくて」


「前向きだなあ、翠は」


 どっと疲れた顔をする茜音の背中を、気合いを入れるように翠がたたく。


「ほら、受付行こ」


「うん」


 翠に促されながら、アリーナへと進んでいく。


「翠、なんか変わったね」


 入り口に他校の生徒達が列をなしていた。近づくほどに賑やかなのが分かる。


「え?」


 茜音のつぶやきは、その喧騒に溶け込んでしまった。

 

「いや、なんでもない」


「何それ」


 茜音は笑った。おかしなものを見る目で、翠がそれを見ている。

 そのうち「次の方」という声が、二人に向けられた。


 受付用紙をのせた長机を挟んで待ち受けていたのは、輝くような美女だった。

 色白で鼻が高く、パッチリとした目。明るい茶色のショートカットに包まれたそれは、欧風のハーフ顔を思わせる。きれいな唇がニコッと笑えば、美しすぎて十分凶器になる。


 その眩さを正面から受けきることができず、茜音は伏し目がちに高校名を告げた。


「朝陽高校……」


 思いもよらず、目の前の美女がその学校名に反応した。彼女はぱっと顔を上げると、茜音の顔をジロジロと見ている。


「もしかして、伊沢いさわ中の」


「……え、あたし?」


 予期せぬことに、茜音は柄にもなくうろたえた。


「あ、急にごめんなさい。金瀬かなせ中学出身の鶴橋つるはしまいといいます。もしかしてなんですけど、伊沢中学のアイドル部にいらっしゃいませんでしたか」


「あ、はい、まあ……」


「やっぱり! あの年の伊沢中はよく覚えてますから。朝陽高校に行かれてたんですね。どうりで」


 鶴橋舞がその後に何かを言いかけて、やめた。


「……じゃあ、入りますね」


 なんだかバツの悪くなった茜音は、すぐにでもその場を離れたくなっていた。

 いつも通りの無愛想なまま、翠に目配せをしてアリーナ内の控室へと進んでいく。


「……あ、あの」


 鶴橋舞は声をかけようとしたが、後ろからやってきた他校の生徒達にかき消されてしまった。もう一度さっきまでの笑顔を作り直し、茜音達にしたのと同じように、一通りの説明を行う。


「朝陽」


 説明を終えて一段落つくと、そうつぶやきながら息を吐く。茜音の背中が消えていった通路の方にしばらく視線を送っていた。






「金瀬中学って言ってたね」


「うん」


 翠の問いかけに、特に反応も見せずに茜音が答える。


「じゃあ」


「そうだね」


 “控室”と書かれた扉を開ける。他の高校の生徒達がそれぞれで塊になって、壁際に陣地を作りあっていた。全校合同の更衣室のようなものだ。


すずの同級生だよ」

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