File19:ハリウッド公園湖

 LA市街。ローラ達3人はとりあえずの手がかりと思われる『死の博物館』まで車を走らせた。施設は大量の人骨が発見された現場という事で、当然ながら一時的に閉鎖となっている。


 近くのコインパーキングに車を停めると、そこからは徒歩で『死の博物館』の前まで向かう。ローラは警察関係者なのでバッジを見せれば中に入れるが、ミラーカとシグリッドはそうは行かない。


 尤も『死の博物館』に入る必要はない。ここはあくまで起点であり、ここからモニカ達の霊力の痕跡を辿って追跡を始めるのだ。


「勿論ここを『浄化』したのがセネム達だと仮定しての話だけど……」


「……丁度この施設を覆っていた認識阻害の力が解除・・されたのと時を同じくして、モニカとセネムが同時に失踪している。しかも2人は事前に会う約束をしていた。これらの事象が繋がっているのは間違いないわ」


 ミラーカの呟きにローラは確信を持って頷いた。状況証拠からいっても他の可能性は考えにくい。


「どのみち他に手がかりは無いのですから早く始めましょう。皆を助けなければ」


 かなり気負っている様子のシグリッドが急かす。やはりルーファスも行方不明になっている事が彼女の焦燥を駆り立てているようだ。これは口で言ってもどうにもならないだろう。それにルーファスも勿論だがセネムやモニカも本当に危機に陥っているのだとすれば、急いだ方がいいのは事実だ。



「そうね。それじゃあミラーカ、お願いできる?」


 ローラはミラーカに視線を向ける。ローラもシグリッドもそうした魔力や霊力の探知作業は不得手だ。それが出来るのは今この場ではミラーカしかいない。彼女は頷いた。


「ええ、解ってるわ。ちょっと集中する事になるから、探査の間は周りの事はお願いね?」


 2人が首肯したのを受けて、ミラーカは精神を集中させて探知作業に入る。集中すると周囲への注意や警戒が極端に落ちて無防備になりやすいので、そこは同行しているローラ達がサポートする事になる。


「……ここにあった魔力は残滓さえなく完全に浄化させているわね。流石はモニカという所だけど、仕事がやりにくくなったのは確かね」


 ミラーカは少し唇を歪めて皮肉気に笑う。彼女は吸血鬼だけあって魔力の探知は比較的得意だが、霊力となるとやや勝手が違ってくるようだ。その探査と追跡にはかなりの精神集中を必要とするらしく、途中で何度も行き詰まる場面があった。


(もしジェシカがいれば…………いえ、馬鹿な事を考えては駄目よ)


 こういう追跡ならジェシカが最も得意としており、彼女は既にモニカやセネムの臭いも記憶しているだろうから、追跡作業は遥かにスムーズに進んだはずだ。


 だがジェシカ達をこの件に巻き込まないと決めたのはローラ自身だ。その決断自体は一切迷いはない。ならばジェシカ達がいない事によって生じる不都合や不便さも全て受け入れるしかない。



 そうしてローラは改めて決意して、じれったくなるほど遅いミラーカの探査に辛抱強く付き合う。ローラでさえこれなので、シグリッドの焦燥ともどかしさは如何ほどのものか。


 彼女は不満や催促こそ口に出してはいないがその表情は険しく、唇も噛み締め続けて血が垂れている程であった。 



 そして探査を続ける事、半日以上。探査を始めたのは午前中であったが、空は既にすっかり夜の帳が落ちていた。


「……ここよ。ここで霊力の痕跡は完全に途絶えているわ」


 流石に疲労の色が濃いミラーカが、そう言って目の前の森を指し示す。ローラとシグリッドもその森を見上げる。


「ここは……ハリウッド公園湖?」


 街の只中にあるハリウッド貯水池という小さな池を囲むように作られている自然公園。モニカ達はここに入っていったという事だろうか。


「こんな……ビバリーヒルズからも目と鼻の先に……?」


 シグリッドも呆気に取られたような表情になっている。それも当然だろう。ルーファスと彼女が住むビバリーヒルズから数キロも離れていない場所なのだ。


「でも現状、他に手がかりがないしね。ありがとう、ミラーカ。出来ればこのまま踏み込みたいんだけど……大丈夫?」


 ミラーカはここまでの細やかな探査でかなり精神力を消耗している様子だった。一刻も早く捜索を開始したいのは山々だが、ミラーカに無理をさせたくない。


 だが彼女は苦笑してかぶりを振った。


「私の心配ならいらないわ。一刻も早くモニカ達の行方を探したいのは私も同じだし、勿論今すぐ踏み込みましょう」


「ミラーカ……ありがとう。それじゃあ行きましょうか」


 ローラは念の為デザートイーグルを抜いてから他の2人を促すと、3人は迷う事無くハリウッド公園湖の森の中に足を踏み入れていった。





「……シグリッド、気付いてるわね?」


「はい。恐らく前に襲ってきたのと同じ種族の連中ですね」


 森に入ってすぐ。ミラーカがコートを脱ぎ捨てて黒いレザーのボンテージ姿になると、油断なく日本刀を構える。


 同様にシグリッドも着ていたロングスカートのワンピースを脱ぎ捨てる。そして予め下に着ていたららしい『シューティングスター』や【悪徳郷】との戦いでも着用していた、露出の多いプロテクター姿となった。


 2人共明らかに戦闘を意識した臨戦態勢だ。遅ればせながらその事に気付いたローラが慌てる。


「ミラーカ? シグリッド? 前に襲って来たって……まさか!?」


「あなたも準備しなさい。来るわよ!」

「……!!」


 ミラーカの警告にローラが慌ててデザートイーグルを構えた時、ほぼ同時に木々の暗闇の向こうから複数の影が飛び出してきた。


「な……!?」


 その姿を見たローラが驚愕する。木々の間を低空飛行する皮膜翼。臀部から生える尖った尻尾。卑しく歪んだ醜い面貌。


 それはまさに人が連想する『悪魔』そのものの姿であり、ミラーカやシグリッドから聞いた話に出てきた奴等と同じ姿でもあった。


(悪魔……本当に実在したの!? ミラーカ達はこいつらに襲われたって事!?)


 敬虔なクリスチャンではあるローラだが、まさか比喩的な意味ではなく本当に悪魔という存在が実在しているとは考えていなかった。だがこの光景を見る限り信じる他なさそうだ。



 敵は全部で4体。こちらよりも多い。ミラーカとシグリッドが素早く迎撃に回る。悪魔達も2体が手に剣のような武器を作り出して彼女らに斬り掛かる。この能力も事前にミラーカ達に聞いていた通りだ。となると……


「……!」


 こちらに攻めてこないもう2体の悪魔に視線を巡らせると、案の定そいつらは手を掲げてその先に放電現象や氷のつららなどを発生させていた。これも事前に聞いていたお陰でそれ程驚かずに済んだ。


 奴等はこの前衛と後衛の連携攻撃が厄介らしい。だが今はこちらにもローラがいる。前衛後衛の連携攻撃は奴等だけの得意技ではない。


 悪魔達の手から電撃や氷柱が放たれる。ミラーカもシグリッドも卓越した体術でそれを躱すが、その隙を突かれて既に斬り結んでいる前衛の敵相手に劣勢に立たされてしまう。しかし今度はこちらの番だ。


 ローラはまずミラーカと戦っている悪魔に狙いを定める。ミラーカとの連携は慣れたもので、彼女の動きの癖などを読んで最適のタイミングでデザートイーグルによる援護射撃を行う。


 神聖弾ホーリーブラストは敢えて使わず、普通のマグナム弾を撃ち込んでみる。これで効くようなら霊力を節約できる。何と言ってもこの先何があるか解らないので、無駄な消耗は極力抑えたい。


『ギギャッ!!』


 果たしてマグナム弾が命中した悪魔は、奇怪な呻き声を上げて大きく怯む。どうやら『悪魔』は武骨な金属の弾丸でも傷つけられるようだ。ただ流石に一撃では倒せないようで、悪魔はマグナム弾の直撃を受けながら尚も反撃に転じようとする。だが、


「流石ね、ローラ!」


 大きく怯んだ隙をミラーカが逃すはずもない。素早く悪魔に接近すると刀を一閃。悪魔の首が宙を舞った。首を切断された悪魔は空気に溶け込むように消滅してしまった。これで「斃した」という事になるようだ。



 これで均衡は崩れた。ローラとミラーカは特に言葉を交わす事も無く、自然な動きでそれぞれの役割を認識して動く。


 ミラーカは後衛の悪魔達に突撃して奴等の援護攻撃を封じる。その間にローラはシグリッドの援護に回る。ミラーカほど最適なタイミングは読めないが、それでも相手側の援護を封じた状態なので落ち着いて狙いを定める事が出来た。


「下がってっ!」

「……!」


 ローラの合図。優れた戦士であるシグリッドは、余計な動きや逡巡を挟む事無く反射的に飛び退った。そこにローラのデザートイーグルが再度火を噴く。


 心臓と思しき場所に命中したが、悪魔はそれでも死ぬ事は無かった。驚異的な生命力だ。だがダメージは免れないようで、そうなれば最早シグリッドの敵ではない。彼女は苦し紛れに振るわれる悪魔の剣を躱して、その喉笛の部分に強烈な拳打を叩き込んだ。


 悪魔の首が奇妙な方向に折れ曲がり、地面に倒れてそのまま消滅してしまった。


「助かりました、ローラさん」

「どう致しまして。それよりまだ敵は残ってるわ」


 ローラはシグリッドを促して、残り2体の悪魔と戦っているミラーカの援護に入る。パワーバランスは完全に崩れたので、それから程なくして悪魔達を殲滅する事が出来た。




「ふぅ……2人共、怪我はない?」


 ローラは銃を下ろしてミラーカ達に問い掛けるが、2人共特に問題はなさそうだった。


「私達は大丈夫よ。ありがとう、ローラ。あなたがいてくれたお陰で前回より格段に楽な戦いだったわ」


「同意します。やはり……仲間・・の力という物は大きいのですね」


 ミラーカとシグリッドが揃って称賛するので若干照れくさくなったローラは、頬を掻きながら話題を変えた。


「でも、本当にあんな悪魔みたいな奴等がいたのね。あいつら一体何者なの?」


 それは根本的な疑問でもあった。あの『死の博物館』に残されていた人骨の山を見る限り、邪悪な存在であり人間の敵であるのは間違いないだろうが、その正体も、目的も、そしてどこからどうやって現れたのかも、一切が不明だ。


 数少ない手掛かりは、ミラーカ達が先日襲われた時に悪魔達が言った言葉のみだ。即ち『特異点』、『蟲毒』、そして『ゲート』といった聞き慣れない単語群。


「あいつらは『ゲート』を完成させると言っていた。多分こいつらはその『ゲート』という所から現れたんじゃないかしら?」


「なるほど……あり得るわね。でもその『ゲート』はまだ完成していないとも言っていたのよね? その完成の為に『蟲毒』が必要とも……」


 少ない手掛かりから類推する限りはそういう事になる。問題はその『蟲毒』とやらが何なのか、全く手がかりが無いという事だ。いや……


「あの……『死神』は現れる度に、私に対して毒がどうとか言っていた。それが今回の件に無関係とはどうしても思えないのよ。あの『死神』は今回の件には直接関わっている。そんな気がするのよ」


「…………」


 『死神』。明らかな異形の魔物ながら、これまでの戦いでは重要なヒントをくれたり、ローラとミラーカの互いの危機を報せてくれたり、直近では彼のお陰で目の前のシグリッドも含めた【悪徳郷】との戦いで戦死した仲間達は甦る事ができたと言っても過言ではない。


 その目的自体は未だに不明ながら、『死神』がローラ達を裏から助けてくれていたのは紛れもない事実なのだ。


 その『死神』と、場合によっては対決を余儀なくされるかも知れない。それを思うと複雑な感情が胸に去来する。



「『特異点』という言葉も気になりますね。私はそれの影響を受けているとの事でしたが」


 シグリッドだ。勿論影響を受けていると言われても、彼女には何のことか全く心当たりがない。


「特異点、ね……。ミラーカは何の事か解る?」


 500年生きてきて博学な彼女なら何か知っているかもと思って尋ねるが、ミラーカはかぶりを振った。


「特異点という言葉自体は知ってるけど、それは主に科学や物理学、高等数学などで使われる理論上の概念に過ぎないわ。シグリッドのケースを聞く限り、明らかにそれとは無関係ね」


「そう……」


 まあ駄目で元々だ。ローラは頷くと手を叩いた。


「まあミラーカじゃないけど、考えても解らない事に時間を費やすのは建設的じゃないわね。モニカ達が何か知っているかも知れないし、どっちにしろ彼女達を無事に救出しないと始まらないわ」


「ふふ、そうね。とりあえず敵の追撃は無さそうだし、先に進みましょうか」


 小さく微笑んで同意したミラーカは、再び魔力の痕跡を辿る作業を再開した。ローラとシグリッドは周囲を警戒しながらそれに追随する。

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