File32:ポイズン・ハザード


「ジョ、ジョン……何故、こんな事を……」


 ローラはゾーイに霊力を送り込みながらも悲し気な瞳でジョンを……かつての相棒の姿を見やる。


 ミラーカから聞かされた話、そして敷地で実際にグール達が出現した事で、ローラは既にジョンの裏切りが真実である事を受け入れていた。それでも実際に彼を目の前とすれば問わずにいられなかった。

  

「警部補となってからのあなたは全て演技だったの? もうあなたに人の心は残っていないの……?」


「ローラ、お前も吸血鬼になってみりゃ解るぜ。人の心だの人間としての倫理観だの……そんな小さな物・・・・に縛られてた自分がいかに馬鹿らしかったかって事にな」


「……っ!」

 彼の顔も口調も明らかに本心であった。覚悟してはいたがローラは改めて衝撃を受ける。


「尤もお前は身体の中に妙な力を飼っちまってるようだから、もうなりたくても吸血鬼にはなれねぇだろうがな。だから遠慮なく……俺が頂いて・・・やるぜ。クリスの奴がお前を欲しがってるから死なない程度にだがなぁ!」


 その見慣れた顔に卑しく邪悪な笑みを貼り付けてジョンが襲い掛かってくる。だが今度はミラーカが間に割り込んでそれを妨害する。


「いい加減にしなさい、ジョンッ!」

「ち……邪魔すんじゃねぇ、クソババァッ!」


 2人の吸血鬼が激しく得物を打ち合う。フィジカルはジョンの方が上のようだが、ミラーカは巧みな戦闘技術を発揮してジョンと互角に渡り合う。だがこの場にいる敵はジョンだけではない。


 フォルネウスが再び口の中から舌のような器官を突き出して毒針を発射してきた。その先にいるのはローラだ。


「ち……!」


 ミラーカがそれに気付いて咄嗟に刀で毒針を弾く。だがジョンと斬り結んでいる最中にそれは大きな隙となる。


「おらっ!」

「ぐ……!」


 ジョンのサーベルがミラーカの身体を斬り裂く。鮮血が舞う。ミラーカの顔が苦痛に歪む。だがジョンが即座に追撃してくるので動きを止めている余裕はない。



「ははは! 折角仲間と一緒に来たってのに、結局お荷物抱えて1人で戦う羽目になってりゃ世話ねぇなぁ!?」


「くっ……!」


 盛大に侮蔑されるが言い返せずに歯噛みするミラーカ。ジョンは1人でも厳しい相手だが、ましてやフォルネウスの攻撃からローラ達を庇いながらでは勝ち目はない。


 そうこうしている内に再びフォルネウスの毒針が、今度はセネムに向けて射出される。自身の霊力で毒を無効化しているセネムだが、流石にあの太い毒針を直接打ち込まれたら無効化しきれない可能性が高い。それに加えて今はジェシカとシグリッドの治療にも霊力を割いている状態だ。


「セネムッ!」


 ミラーカは必死に移動してその毒針を打ち払う。しかしそれによってジョンに背を向ける形となった事で……


「そらよっ!」

「あがっ!!」


 今度は背中からジョンのサーベルが突き抜けた。辛うじて心臓は回避したが、ミラーカが口から吐血する。



「ミラーカ!? くそ……!」


 それを見たセネムが歯噛みする。しかしシグリッドもジェシカも魔物である為か霊力による治療の効きが人間よりも悪く、中々体内の毒素を中和できない。だがミラーカを援護する為に治療を中断して手を離せば即座に毒が進行してしまうだろう。


 結果ミラーカの苦闘を見ている事しか出来ずお荷物・・・となっている現状に、悔しさともどかしさから歯軋りするセネム。


「わ、私……達の、事は……いい、から……彼女、を……」

「ガ……ゥゥ……」


 四つ這いの状態で息も絶え絶えなシグリッドがそれでも歯を食いしばって促してくる。ジェシカも言葉は喋れないが意思は同じのようだ。だがセネムは激しくかぶりを振る。


「馬鹿を言うな! 私が手を離したら君達は更に弱って死んでしまう! 君達が何と言おうと絶対に離さんぞ!」


 だが現実問題としてミラーカは確実に追い詰められている。ローラの方も肉体的には普通の人間であるゾーイの毒の回りが早い為に、治療に手間取っているようだ。ローラが手を離したら恐らくゾーイは数秒と持たずに死んでしまうはずだ。ローラも釘付けで動けない状況は同じであった。


「ぐぁっ!」

「ミラーカ!?」


 その時再びミラーカの苦鳴が聞こえた。やはりフォルネウスの毒針からローラ達を庇った所をジョンに狙われて攻撃を喰らったようだ。しかしそれでも尚一歩も引かない気迫で必死にジョン達を牽制する。



「くはは、中々頑張るじゃねぇか。だが忘れてねぇか? 俺達の中に毒が効かない奴は他にもいるんだぜ?」


「な、何ですって……!?」


 こちらを嬲るようなニヤついた表情のジョンの言葉にミラーカは目を瞠る。それを合図とするかのように、病院の正面入り口から1人の男が歩み出てきた。……この毒ガスが満ちる敷地の中に平然と。


「やあ、思ったよりも上手く罠に嵌ってくれたね。正直予想以上の戦果だよ」


「ニ、ニック……!」


 ローラもまたその姿を見て目を見開く。それは【悪徳郷】のリーダーたるニックであった。


「僕が〈従者〉……つまりミイラ男だという事は知ってるはずだよね? 当然毒物の類いは今の僕には無意味さ」


「……!」

 言われてみれば確かにそうだ。人間の姿はあくまで擬態。既に肉体が朽ちている不死者アンデッドに毒が効くはずもない。 



「ニック、あなたは……」


「ああ、ローラ。会話で時間を稼ごうとしても無駄だよ。僕は君達に何を言われた所で翻意する事も後悔する事も無い。これは単純な生存競争・・・・なんだよ」


 そう言って微笑んだニックの手に砂が集まって、刃渡りの長い西洋剣のような武器を形作る。そして迷う事無くミラーカ目掛けて襲い掛かる。


「く……!」

 ミラーカも刀を構えて応戦する。戦闘形態にはならない。ジョンやニックも戦闘形態やミイラ形態になってしまうだけで意味が無いからだ。


 ニックが凄まじい勢いで連撃を仕掛けてくる。それでもミラーカは何とか見切って反撃しようとするが……


「おらっ!」


 ジョンが横槍を入れてきて反撃の機会を潰されてしまう。ただでさえ劣勢だった所に、2対1で一方的に追い詰められていくミラーカ。



 そしてフォルネウスはそんなミラーカを尻目に、容赦なく再び大口を開いて筒状の器官を露出させると複数の毒針を発射した。狙われたのはセネムだ。


「……っ!」

 それに気付いたミラーカは無理を押して毒針を弾こうと、その軌道に駆け寄ろうとするが……


「おっと、行かせないよ?」


 ニックが無情にも先回りしてそれを阻む。ジョンも妨害してくる為、今度こそ庇うのが間に合わない。 


 セネムは迫ってくる毒針を躱す為にジェシカ達の身体から手を離……さない! 睨み付けるような目で、自らの身体に迫る毒針を見据える。



「セ、セネムーーーーッ!!!」



 ローラが絶叫する。最悪の事態を想像して思わず目を逸らしてしまう。だが……



 ――バシィィンッ!



「……え?」

 セネムの胴体に突き刺さるはずだった毒針は、何故か見えない壁・・・・・のような物に阻まれて虚しく地に落ちた。


「な、何が……」

「こ、これは……まさか!?」


 セネムが唖然とし、ローラが何かに思い至ったようにハッと目を見開く。


「おい、何が起きたんだ、今のは?」

「……ああ、なるほど。そういう事か」


 ジョンもまた戸惑ったようにニックに問い掛けているが、ニックはローラと同じで今の現象が何かに思い至ったらしい。




「……ローラさんに、そして皆に手は出させない。これ以上あなた達の好き勝手にはさせないっ!」



 先程ブリジット達が乗るバスが消えていった、病院の裏手に繋がる細い通路。そこから1人の女性・・・・・が姿を現した。


 それはメリハリのある褐色の肢体をライフガードの赤いハイレグ水着に包んだ姿の、ラテン系・・・・の美女であった。


ヴェロニカ・・・・・!!」


(ナターシャ! やってくれたのね……!?)


 ローラは喝采を上げると同時に、恐らく裏で尽力してくれたのだろう新聞記者の友人に心の中で深く感謝した。



「ローラさん! 皆さん! 今助けますっ!!」


 ヴェロニカは決然とした表情で、毒ガスが満ちているはずの敷地に入ってきた。信じがたい事に、『障壁』を張り巡らせる事で有毒な気体だけを遮断できているらしい。


「しゃらくせえぇぇっ!!」


 ジョンが悪鬼の如き形相となってヴェロニカに飛び掛かる。そうはさせじと今度はミラーカがそれを妨害する。


 生存競争という名の戦いは新たな局面に突入しつつあった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る